2018年1月28日日曜日

自民党「改憲草案」の九条改定条項を読む――改憲論議との関係で

今月(2018年1月)招集・開会した通常国会において、安倍首相は、「憲法改正」の具体的な審議設定を提起している。去る2017年には、「自衛隊の憲法九条への明記」を提起した安倍首相だが、21世紀に入ってから自民党が発表した「改憲草案」では、もっと、過激な内容の九条改憲案がしめされており、それとの関係で、どのような改憲案が実際は、示されてくるか極めて不透明な側面があることは、否めないだろう。
 そこで、自民党改憲草案を「国家権威主義的法実証主義」として批判した、拙著『エコロジスト・ルージュ宣言』(2015年、社会評論社、文京区本郷)の「第二章 国家基本法と実体主義的社会観」――この拙論は、その字数の多くを、「人権」に焦点をあてたものだが――から、「九条改憲」に関する部分を、掲載するものです。

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渋谷要『エコロジスト・ルージュ宣言』(2015年、社会評論社、文京区本郷)「第二章 国家基本法と実体主義的社会観――自民党「憲法改正草案」の社会実在論と戦後民主主義憲法の社会唯名論」第11節~第15節。


●戦争国家の国家基本法を明記



「草案」は、「平和主義」などと言いながら、戦争国家の国家基本法を明記している。 

a「(平和主義)第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては<用いない>。

前項の規定は、<自衛権の発動を妨げるものではない>」。

⇒第一項の「永久にこれを放棄する」が「用いない」となっている。用いる場合もあるということを意味するものということができる。

第二項は、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これをみとめない」が全面削除されている。この自衛権に、集団的自衛権も入るというのが、この草案を出した自民党の意図だろう。「平和国家」から戦争国家に変質してゆく、少なくとも法文上、確定的な規定だ。なぜならそれは、以下の国防軍の規定と連結しているからだ。

「(国防軍)第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、<国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調>して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。

国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない」。

⇒「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」は国連による派遣軍のほか、多国籍軍などの集団的自衛権の行使を可能とし、かつ、「国防軍の機密に関する罪」については、秘密法が先取りしていると言えるだろう。

b「(内閣の構成及び国会に対する責任)第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長である内閣総理大臣及びその他の国務大臣で構成する。

内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない」。

⇒文民統制の項目、「国務大臣は文民でなければならない」が削除された。削除する必要があるということだ。

「(内閣総理大臣の職務)第七十二条 内閣総理大臣は、行政各部を指揮監督し、その総合調整を行う。

内閣総理大臣は、内閣を代表して、議案を国会に提出し、並びに一般国務及び外交関係について国会に報告する。

内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する」。

⇒首相の国防軍統括、端的に九条の改悪(廃止といってよい)に基づく戦争国家の規定である。

 日本弁護士連合会の「日本国憲法の基本的人権尊重の基本原理を否定し、『公益及び公の秩序』条項により基本的人権を制約することに反対する意見書(二〇一四年二月二〇日)」では、つぎのようである。

「国防軍(軍隊)は憲法により公の存在になるとともに、第九条の二第三項により国防軍は公の秩序を維持する活動(治安活動)を行うことができると定めていることから、国民の基本的人権は、公の存在となった国防軍(軍隊)との間で厳しい緊張関係を強いられることになり、軍事的公共性の下位に位置づけられる危険が著しく高まる」とされている。



●「国家緊急権」の明記と反革命基本法





「草案」の「第九章 緊急事態(緊急事態の宣言)第九十八条」は次のようである。

「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。

内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。

第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする」。

⇒帝国憲法の「緊急勅令」の復活だ。

このような緊急事態の定義は、「国家緊急権」と法概念化されるものであり、国家の緊急事態における国家の「自然権」とされているものである。そしてこの規定は、実は、人民が自然権として持っている「革命権・抵抗権」(補論①参照)と、セットの関係にあると近代民主主義の自然法概念ではされているものだ。だが「草案」は、こうした「国家緊急権」は認め、人民の「抵抗権・革命権」は、認めないというシフトをとっている(次節参照)。

また、「内乱等による社会秩序の混乱」なども、緊急事態と規定されているように、国家体制打倒の革命に対する反革命基本法として、この「草案」が存在していることは明白である。



●緊急事態=緊急勅令の復活



つづいて、この緊急権規定を見ていこう。

「(緊急事態の宣言の効果)第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。

緊急事態の宣言が発せられた場合には、<何人も>、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他<公の機関の指示に従わなければならない>。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。

緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる」。

⇒この緊急勅令の復活はまず、「政府は法律と同じ効力を有する政令を制定できる」とある。

政令は国会の審議を通さないものであって、法律と同じ効力というのは、明治憲法の天皇の緊急勅令とおなじものだ。さらに、「何人も、…国その他公の機関の指示にしたがわなければならない」という国民徴用・有事動員の規定が書かれている。

 伊藤博文『憲法義解』では、次のようである。

第八条天皇の緊急勅令に関する規定では、「天皇は公共の安全を保持し又は災厄を避るため緊急の必要に由り帝国議会閉会の場合において法律に代わるべき勅令を発す。この勅令は、次の会期に於いて帝国議会に提出すべし、もし議会において承諾せざるときは政府は将来に向けてその効力を失ふことを公布すべし」(前掲三〇頁)という規定である。

天皇は「法律に代る」勅令を発することができ、それは、法律と同じ資格のものであると規定されている。第九条には天皇による「行政命令」が規定されているが、それは、法律を変更することができず、法律としての勅令を規定した第八条の緊急勅令とは、区別されたものである。まさに緊急勅令が、法=王命思想を前提とする専制権力の積極的立法行為として存在するということが、言われているのである。

それはこの緊急勅令をもって、法律を変更・廃止することもできるものであった。このような緊急勅令によって、憲法一四条戒厳宣告権による戒厳令の発動が、一九〇五年の日比谷焼打ち事件、二三年の関東大震災、三六年の二・二六事件のときに発動された。さらに、かかる緊急勅令として二三年には、治安維持法の前身とされる「治安維持のためにする罰則に関する件」が発令され、二八年には治安維持法の改定が、おこなわれている。この改定によって、治安維持法の厳罰化がおこなわれ、最高刑が死刑となった他、目的遂行罪(「結社のためにする行為」として、ある人が、結社のためにすることを意識しない場合でも、特高警察から見れば、ある人の行為が、結社のためにする行為だとなれば、罰に処することができる)が設定されたのである。

 この帝国憲法の緊急勅令と治安維持法の関係は、また、「草案」の緊急事態の規定と国家権威主義的法実証主義、とりわけ、二一条(表現の自由)二項の規定(公益及び公の秩序を害する結社は「認められない」の規定)とフレンドな関係性をもっているだろう。



●戦後民主主義憲法では緊急権規定は一切禁止



これに対し、戦後憲法の人権規定からは次のようにいう事ができる。

宮沢俊義の『憲法Ⅱ――基本的人権』(有斐閣、初版一九五九年)を参照したい。

「日本国憲法の人権宣言の保障する基本的人権がかように前憲法的性格を有するとされることから、それらは、憲法制定権をも拘束するという結論がうまれる。……憲法以前の権利であれば、憲法改正によって、これを変えることはできないという考え方である。もっとも、このことは、基本的人権についてのみいわれることであって、人権宣言に規定してあるそのほかの事項は、すべて憲法の改正によって変えられることは、当然である」(二〇六頁)。

また、明治憲法では、①軍人については、人権ではなく軍規―軍の法令が優先するという規定(三二条)、②「戦時」「国家事変」に際しての「天皇大権」(非常大権)による人権の制限(三一条)、③戒厳による人権の制限(一四条)、④天皇の緊急命令(勅令)での人権の制限(八条)が認められていた。だが「日本国憲法の人権宣言は、この種の例外をいっさいみとめない」(二〇八頁)ということだ。そうした「平和国家」の自然法思想が否定されているということだ。



●最高法規の削除=革命権・抵抗権の否定



「(削除)現憲法第十章 戦後民主主義憲法九七条最高法規

戦後民主主義憲法第九十七条

 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」。

⇒この規定は、「抵抗権は他の人権の帰結である」(フランス人権宣言)という革命権・抵抗権を内包している。その最高法規の否定は、革命権・抵抗権の否定であって、このことと、天賦人権論の否定は結びついている。まさに、以上のような問題から、「自由民主党日本国憲法改正草案」は、形だけ日本国憲法を継承しながら、内実としては、その条文に、明治憲法の考え方を多分に内包した規定として存在しているということが分かるだろう。