2018年6月16日土曜日

マルクス生誕200年――エコロジカルなマルクスのラジカリズムについて    渋谷要


新聞「テオリア」(69号、2018・6・10 5面~4面に掲載。「研究所テオリア」の新聞) 


マルクス生誕200年――エコロジカルなマルクスのラジカリズムについて

渋谷要(社会思想史研究)

●はじめに

私は「テオリア」の購読者であるが、それ以外の関りをもっているわけではない。だが私は、白川真澄さんが「とりあえず、反資本主義の重要性という点で左翼の再生をめざす。しかし、再生されるべき左翼は、グリーン(「緑」)によって自己脱皮した左翼でなければ魅力も意味もない」と、『左翼は再生できるか』(研究所テオリア、2016年)というご自身の刊行物で述べておられる方向性に賛成しており、その点からも、「マルクス生誕200年」というこの原稿依頼をお引き受けした次第である。

ここでは、その「緑」(エコロジズム)の線で、生誕200年と応接してゆくこととする。

 

●搾取の解明を基礎とした資本主義批判

カール・マルクスは1818年にドイツ・プロイセン王国に生まれ、1883年イギリスのロンドンで他界した。この期間は、まさにヨーロッパ階級闘争が、1848年における、フランスとドイツなどでの革命、1871年パリ・コミューン、1881年ナロードニキによるロシア皇帝(アレクサンドル二世)打倒の闘いを頂点に、高揚を極めた。この時代にあって、第一インターナショナルなどの労働者大衆の革命運動の組織化と並行し、勃興する資本主義に対する根底からの批判を探求したのがマルクスであった。

資本主義以前の社会は、経済外的強制としての収奪によって支配階級が人民を抑圧する社会だったことに対し、マルクスは、資本主義社会の支配階級=ブルジョアジーが、労働者階級が生産した剰余価値を単に収奪ではなく、搾取という形で取得する特殊な様式を解明した。それが、例えば「資本論」第三巻の「三位一体的定式」として明らかにされているものである。

資本主義社会では商品(w)は、「労働生産過程」において「不変資本(生産手段)c+可変資本(労働力)v+剰余価値m(このv+mは生きた労働vが生産した価値)」として「商品価値」を構成する。

この場合、剰余価値の産出は、自然に過剰なものが生み出されるのではなくマルクスの『経済学批判要綱』(グルントリッセ)に基づけば、「資本の労働に対する処分権」として組織されるものにほかならない。ここに「労働力の商品化」とは、「賃金奴隷制」だとマルクスが喝破した根拠がある。

だが、この商品の価値構成は、「生産価格」=費用価格k(c+v)+利潤(市場競争の結果としての平均利潤p)に転形する。これにより、労働力vは剰余価値(利潤部分)を生産しない単なる費用価格の一部と観念され、剰余価値の搾取は隠蔽される。

そして、ここから資本家と労働者の搾取に基づく階級対立は「資本―利子、土地―地代、労働―労賃+企業者利得」=商品所有者間の平等な分配システム(三位一体的定式)へと擬制化する。労働者の労賃は「労働報酬としての労賃」とされ、労働力商品の所有者が、労働市場で資本家にこれを売ったものの対価(だから費用価格の一部と観念される)として通常考えられるようになる。自由な商品交換の相互の主体として労働者と資本家は自由平等な市民社会を構成することになる。これをマルクスは「自由幻想」と呼んだ。  

 今日においても、「自由・平等」な社会という幻想性の下、富裕層・ブルジョアジーの労働者階級に対する搾取、収奪は、新自由主義の下で激化しており、非正規雇用などの貧富格差を前提とした資本の専制が広がっている。批判の武器としての<マルクス>を復活させる必要があるだろう。



●マルクスによる廃棄物問題の分析

同時にマルクスの資本主義批判は、彼の自然と、その一部たる人間に対する根源的な認識としての自然主義=人間主義にうらうちされたものであった。マルクスは、「経済学・哲学草稿」では、「自然は人間の非有機的身体である」とのべているが、それは換言すれば、人間は自然生態系のなかで、自ら、一つの生態系を創造しつつ存在しているということである。このことを、マルクスは次のようにも展開している。

 例えば、「資本論」(第三巻第五章第四節「生産の排泄物の節約」)に例を取るなら、そこでは、外部不経済といわれる産業廃棄物、公害問題と、その解決策に関する問題があつかわれている。

 「資本主義的生産様式の発達につれて生産と消費との排泄物の利用範囲が拡張される。われわれが生産の排泄物というのは、工業や農業で出る廃物のことであり、消費の排泄物というのは、一部は人間の自然的物質代謝から出てくる排泄物のことであり、一部は消費対象が消費されたあとに残っているその形態のことである。生産の排泄物は……再び原料として鉄の生産にはいってゆく鉄屑などである。消費の排泄物は……農業にとって最も重要である」。そしてマルクスは次のように批評する。

 だが、「その使用に関しては、資本主義経済では莫大な浪費が行われる。たとえば、ロンドンでは、4、500、000人の糞尿を処理するのに資本主義経済は、巨額の費用をかけてテムズ河を汚すためにそれを使うよりもましなことはできないのである」と。

 そこからマルクスは、排泄物の「再利用」を次のように展開する。

「再利用の条件は、だいたい次のようなものである」として、大規模な作業で使用できるように、排泄物が大量であること、また、「そのままの形では従来は利用できなかった材料を機械の改良によって新たな生産に役立つような姿に変えること」また、「化学の進歩によって」廃物の有用な性質を発見することが必要だと論じている。

 マルクスはそこで「たとえば、以前はほとんど役に立たなかったコールタールをアニリン染料すなわちアカネ染料(アリザリン)に」する技術が開発されていることなどに着目している。

マルクスがここで出しているアリザリンの事例であるが、19世紀、これが発明されるまでは衣服を染色する染料は、自然物から抽出されていた。だから染料はかなり高価なものだった。これに対し、石炭から石炭ガスを生産するときの廃棄物であるコールタールを原料として染料を造ったのがウイリアム・パーキンだった。これにより染料を安価かつ大量に生産することができるようになり、大きな需要を創出した。様々の技術開発が媒介し19世紀末から第一次大戦(1914年~)にかけて、欧州は「ベルエポック」という経済的繁栄の時期を画したが、それは貧富格差を拡大する。さらに第一次大戦は長期化し膨大な戦費が短期間で消費される国家総力戦となった。結果、富裕層の資産も縮小し、労働者階級には戦争動員などでの死がまっていた。そうした体制的危機の中で、ロシア革命―ドイツ革命が勃発することとなった。



●エントロピーの考え方を内包した緑への討究

だがさらにマルクスは、次のようにも述べている。

「このような生産の排泄物の再利用によるその節約とは区別しなければならないのは、廃物を出すことの節約、すなわち生産の排泄物を最小限度に減らすことであり、また、生産にはいってくるすべての原料や補助材料を最大限度まで直接に利用することである」と問題を喚起する。

マルクスは、そこで、「廃物の節約」の問題は、生産過程で生まれる廃物が一番重要な問題であり、機械・道具・原料の良否がその節約の限界を左右する、また、それは、農業においても同じだと展開している。こうしたマルクスの論点は、「エントロピー(廃熱・廃物)の増大」という問題にほかならない。熱力学第二法則(熱を仕事に変えるには、高熱源から低温部への熱の移動が必要だ。そしてどんなに理想的な熱機関でも、熱のすべてを仕事に変えることはできず、必ず無駄になる熱(廃熱)が出る)にもとづくエントロピ―問題として、それはある。21世紀現代における環境負荷、環境破壊の問題、とりわけ生態系を破壊するだけの放射性廃棄物と、フクシマ、チェルノブイリなどの大規模原発事故(現在進行形)の問題に直結する問題である。資本主義工業化社会からのパラダイム・チェンジをマルクスが自己の問題圏に収めていたことがわかるだろう。この観点はかつて、いいだももが表明していたものでもある。



●共同体論と労農連携の視点

マルクスは、こうした資本主義近代にかわり、プロレタリアートの自己解放が実現して行く世界を、例えば「プロレタリアートの革命的独裁」と主張した。だが、その革命の形は、「ドイツ・イデオロギー」「フランスの内乱」「ゴータ綱領批判」などで内容的には多義にわたる。それらは一義一価的に定まった方針として示されたものではないし、またそれでいいと私としては考える。ここでは「共産党宣言・ロシア語第二版序文」でのマルクスの思考をとりあげてみょう。

マルクスはそこで、「もし、ロシア革命が西欧のプロレタリア革命に対する合図となって、両者が互いに補いあうなら、現在のロシアの土地共有制は共産主義的発展の出発点となることができる」(この主張はマルクス死後、エンゲルスによっては否定された)と記している。

実はこれにはさまざまな読み方がある。ここでは所有論から考えることにしよう。その場合この文章のポイントは、土地共有制(ミール農耕共同体などのこと)それ自体には実はない。「両者が互いに補いあう」というところこそ、ポイントだと考える。所有論として言うなら、プロレタリア革命によって、形成されるコミューンに基づく共同体が「生産手段の共同体所有と個的占有」(これは全面的国有化か、社会主義市場経済にもとづく生産共同体社会かは、今は問わないものとする)としてあり、また、ミール共同体も、「土地の共同体所有と個的占有(この場合は、これはロシアでの「土地は誰のものでもない」という価値観にもとづくものだが、土地割替制度とそのもとでの「耕作者」の占有権)」として、所有形態的には、同一ベクトルの位相にあるということだ。だからプロレタリア革命の一つの拠点との位置づけが与えられた場合は、共産主義的共同体の一つの萌芽形態になる可能性があるということだ。

イギリスに典型化される西欧のような工業化による資本の本源的蓄積として、全面的な農耕共同体の解体=プロレタリアートという、こう言ってよければ「土地なき農民」のイギリス的な産出ではなく、ロシアは西欧諸国の農業・自然資源の供給国であり、資本の本源的蓄積が西欧のようには進まない農業国だったために、土地共同体は解体を逃れ、また、ナロードニキの反地主闘争の組織化によって、ロシア革命まで保持されていた。このような特殊性をもった問題であるが、農民闘争が、都市プロレタリアの革命運動と連携することで、一つの歴史を描き出すような闘いを実現し、またそこで、民衆の闘う共同性を作り出してゆくことは、戦後日本においても、三里塚闘争が示してきたことだろう。マルクスの労農連携の構想は、人民のラジカルな共同性を実践的に試行してゆくうえで、今後も大きな示唆を社会変革を願う人々に与え続けてゆくに違いない。(マルクスからの引用文は、『マルクス・エンゲルス全集』より)

【著者は、元・季刊「クライシス」編集委員(第三期編集委員会1984年~終刊1990年)】

2018年4月3日火曜日

投機資本主義とヘッジファンド――金融の自由化と富裕層支配


2018/6/02 19:00更新 

【ノート】投機資本主義とヘッジ・ファンド――金融の自由化と富裕層支配

渋谷要



■「帝国主義」<段階>第三期=「投機資本主義」<様態>の位置づけ



以下は著者(渋谷)の見解でしかないが、それが本論の位置づけとなるものである。

資本主義には、重商主義、自由主義、帝国主義という三つの段階があった。現代は、「帝国主義」という資本主義の「段階」を前提とし、その古典的形態を払拭・更新した「様態」をもつものへと転位した形態を示すものとしてある。

 新たなその「様態」を、「投機資本主義」と規定する。が、それは、「帝国主義段階」に代わる新たな<段階ではなく>、あくまでも、「帝国主義段階」<における>「新たな様態」にほかならない。「投機資本主義様態」であり、その根拠は、これから論ずるように、「金融資本」の「様態変化」にもとづくものである。この点、誤解のないように、お願いする。

 「帝国主義」には、これまで、現在に至る、三つの「様態」がある。古典的帝国主義は、レーニンが規定した「植民地主義」様態の帝国主義である。この様態はイギリス帝国主義によってつくられ、これと独占資本主義のタイプを異ならせたドイツ帝国主義との間で、対立が激化した。だが、総じて、帝国主義宗主国と植民地従属国とは、一対一の関係であり、宗主国による政治的軍事的な直接支配が経済的支配の前提としてあった。

これに対し、第二次大戦後世界では、「新植民地主義」が、主流を形成してきた。そこでは、政治的には自立した開発途上国の国民国家が主要先進資本主義国に経済的に支配・従属されることが基本的動向となった。この関係は一対一ではなく、いろいろな主要先進国が、いろいろな従属諸国の第三世界に、経済進出を行うというものとして展開している。この様態をつくったのが、アメリカ帝国主義である。

そして、現代は同じ「金融独占資本主義(金融寡頭制)」としての「帝国主義」といっても、前二者とは<様態>を異ならせた、「投機資本主義」の<様態>として展開している。これは、多国籍企業を主力としたブルジョアジー集団によって推進される新植民地主義を、あくまで<土台としつつ>、だが、これら多国籍企業に加えて主力となったヘッジファンドなどの投機資本主義集団が、新自由主義の一特徴としての「金融の自由化」によって再編された世界に展開することを基軸的な「様態」とするものに他ならない。まさに現代は「帝国主義」段階の第三期=「投機資本主義」<様態>の時代である。ここでは、「金融の自由化」により、銀行業務自体が、変化するものとなっている。また、ビットコインなどの「仮想通貨」といわれるものも登場し、「金融―自由」といったニュアンスを扇動している。

 この点、わたしの認識にしたがえば、現代を、「帝国主義」段階ではもはやない、「現状分析」の時代とする経済学方法論の見解からは離れた、見解であることは、確認をしておきたいと考えるものである。本論では、この「投機資本主義」のアウトラインを概観する。
そこで、もう一つ、誤解を避けるための、本論の位置づけ・前提を書くことが必要だろう。それは、帝国主義間対立にかかわる問題だ。
 本論著者は、二〇〇六年に刊行した『国家とマルチチュード』(社会評論社、文京区本郷)で、ネグりの「帝国」概念を批判し、端的に一か所だけ引用すれば「だが『<帝国>』の超国家(国民国家主権衰退論)という概念は結局・どうしても採用できないっという結論に達した」(二九頁)と表明し、その根拠を論じた「第三部第一章」を参照せよと指示した。もとより、変動相場制それ自体が、国民国家が経済的国家機能を展開しているということの最大の証左にほかならない。
 本論の位置づけとしては、次のように、その前提を書いておくことにする。


●「帝国主義間対立」はなくなったのか?――それは歴然として存在する


 本論著者の理解では、現代の先進資本主義国家も「政治的国家」としては「帝国主義国家権力」「帝国主義国民国家」と規定すべきものであると考える。
 本論次節での引用か所で降旗氏が、すでにそういう段階ではないと論じている「帝国主義的支配」の段階とは、あくまでも、<経済・社会体制>とこれを基軸的に総括するところの経済的国家機能をめぐることであって、経済・社会的諸関係を<政治体制>として総括する<政治的国家>、<帝国主義国家権力>をめぐるものとは、すくなくとも、直接的には<区別>して、論じられる問題領域に属するものだと考える。また、経済社会構成体としてのブルジョア社会の政治的総括体としての、帝国主義国家が消えてしまったということでもない。
 この間の、アメリカ合衆国・トランプ政権と中国の貿易摩擦・貿易戦争(トランプ政権が2018年3月、鉄鋼・アルミの輸入品に対する追加関税措置を発表したことに端を発する)。それと関節した自由貿易擁護のEU諸国の対米批判などは、資本主義国民国家間の経済対立と定義できるものである。それは、資本主義経済社会構成体=グローバリゼーションと、その機軸をなす<資本間競争>が、資本主義国民国家によって総括されているということに他ならない。
 つまりは、新自由主義グローバリゼーションと、帝国主義国家とは、その活動関係としては、x軸とÝ軸のように交差する座標を描きながら、相互規定的に展開しているとしなければならない。
 本論においては、その座標の一つの軸である、グローバリゼーションの特徴点と、その推進者=突撃隊であるヘッジファンドを扱うものとする。
 

■投機資本主義の位置づけ



投機資本主義とは、一言で言って何かを見ることから始めよう。

その位置づけを、例えば「金融の自由化」の脈絡から宇野経済学派の経済学者・降旗節雄(一九三〇~二〇〇九年)は、二一世紀資本主義の基本的特徴として、次のようにのべている。(降旗氏自身は、「投機資本主義」という言葉は使っていない。ここでは、「金融の自由化」というものに焦点を当てた論述となっている)。

「その点がどうも左翼には理解されていないと思いますが、現代の支配は帝国主義的支配ではないのです。帝国主義的支配というのは、レーニンが語ったように国内の鉄とか鉄道という重工業を基礎にして、生産力的な優位性を保つ。そしてその国がこの優越した過剰な生産力を基礎にして途上国に資本を輸出して収奪する。これをそれぞれの列強がやり出し、これがぶつかるというのが帝国主義的な支配構造です。現代はもはやそんな段階ではない。 

 実体は自動車とか電機という耐久消費財量産型の産業ですが、先進国はそういう産業さえも国内にもたなくなって、国際的に展開して資源と労働力の安いところで工場をつくり、世界中に売り出すという構造になっています。そして主要産業は情報とか金融という実体のない経済によって支配される。この構造が現代社会の基本構造になってきたのです」(降旗節雄著作集第五巻『現代資本主義の展開』所収「第7章 グローバリゼーションとは何か――資本主義におけるその歴史的位相」(初出『技術と人間』二〇〇二年一・二月合併号)、社会評論社、二〇〇五年、二五七~二五八頁)。

 降旗氏はここで「もはやそんな段階ではない」といっているが、それは、経済構造の新たな今日的特徴を、はっきりさせるためにする論法と、理解した方がいいだろう。そうしたものとして、降旗氏の言説は、理解されるべきだと、本論論者としては考えるものである。

■金融の自由化とは実践的にどういうことか

この「情報」「金融」を特徴点とする投資資本主義を概観するといった場合、ポイントは、金融自由化の最先端を行くヘッジファンドの規定が重要だ。

「ヘッジファンドというのは株式会社ではありません。プライベートな仕組みで、九九人以下の顧客ですから、小さい。ただしアメリカの場合は、そこに参加するには資格があって、自分の余剰の金融資産、つまり自分の土地とか家屋という資産を数えないで、自由にできるお金が五億ドルあるというのがさいていげんの資格だということです。ヘッジファンドによっていろいろあるようですが、少なくとも一億ドル以上というのは、日本円でいったら100億円です。そのぐらいお金を持っている人からお金を集めて、世界的に運用する」(降旗前掲、二五二頁)。

だが、次のような専門家筋の見解もある。

「そもそも一般的に合意されたヘッジファンドの定義は存在しない。証券監督者国際機構(IOSCO)は、二〇〇九年六月、「ヘッジファンドの監督」に関する最終報告の中で、そうした「統一的な、合意された定義はない」ことから、「以下の特性のいくつかが組み合わさったものの全ての投資スキーム」をヘッジファンドとして考察するという見解を述べている。

 「集団投資スキームに関する規制に通常は含まれている、借入やレバレッジ規制が適用されず、多くの(すべてではないが)ヘッジファンドが高水準のレバレッジを活用している。
(1)返還の運用報酬に加えて相当額の成功報酬(しばしば収益の一定割合)が運用者に支払われる

(2)投資家は、通常定期的に、例えば四半期ごと、半年ごと、一年ごとのようにしか解約できないこと

(3)しばしば運用者の自己資金の相当額が、投資されること

(4)しばしば投機目的でデリバティブが使用され、また、空売りが可能なこと

(5)より多様なリスクまたは複雑な金融商品が用いられること」

(出所 IOSCO 〔2009-1〕)」(高橋誠・浅岡泰史『ヘッジファンド投資ガイドブック』、東洋経済新報社、2010年、一五頁)。



■投機資本主義の手法



だから、ここでポイントとなっているものは、ヘッジファンドをはじめとした投機の手法それ自体である。以下のようなことを多額の資金を使って行う、少数の私募・有志集団がヘッジファンドだということだ。

その手法は先の文章で、すべてカタカナ用語で書かれている用語にある。これらの内容を、本論に必要と考えられる範囲で確認する。



◆レバレッジ……レバレッジ取引のレバレッジとは、「てこ」のことであり、ポイントは、「証拠金」(担保金)である。例えば、10万円の証拠金で、取引所によって倍率の限度は違うが、例えば5倍のレバレッジ取引の場合は、50万円でのとりひきができる。例えば、先物買いなどは、これで大きなリターンが期待できる。



◆デリバティブ……金融派生商品。株、債券といった金融商品ではなく、その取引に派生して生まれる権利や契約を売買する金融商品。例えば、本論との関係で言うなら、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)がそれで、取引先の倒産に備える保険としての位置づけを持つものである(この解説文の最後の項目「リスクまたは複雑な金融商品」の項目を参照のこと)。



◆空売り……信用取引口座を開設することが前提だが、株の取引の場合、例えばA社の株での場合、自分(Bとする)はA社の株は保有せず、また持っていても使用せず、他のA社株の所有者(C、実際は法人)から借り入れ、例えばA社株が10万円のときに売る、そしてA社株が8万円になったときに、買い戻す。するとB手元に、2万円の差額収益が発生する。こうして買い戻したA社株を、借りたA社株所有者(C)に返す。このときBは、その借りた所有者(C)に「手数料」を支払う必要がある。A社株所有者(C)はそれで、収益を得る。

つまり将来値下がりしそうな株を探すことがポイントとなる。だが、投機的な目的では、値下がりするためにA社株のリスクを演出・組織化することが必要だ。

これを、A社のレベルではなく、一国の国債・通貨総体に対して展開したものが、ヘッジファンドによる1990年代以降の、アジア、欧州などでの国家通貨危機の要因の一つとなっているものだ(後述する)。

(参照:「WEB金融新聞」)

 

◆リスクまたは複雑な金融商品――この例としては、さまざまな場合が考えられるが、本論ではCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)をとりあげる。

 A社が、取引のあるB社の倒産に備えて、C銀行とCDSの契約をする。例えばA社が、B社に対し2000万円の売掛債権を保有しているとすると、A社はC銀行と想定元本2000万円のCDS契約をする。B社が倒産した場合、A社はC銀行から、元本相当額の2000万円相当の保証金をうけとることができる。この場合、B社が倒産するまで、A社はC銀行に一定額の「保証料」(元本に対して年率3%なら、60万円)を支払う。B社が倒産しないうちは、C銀行は、「保証料」を得ることになる。

 ここからがポイントだが、こうしたCDSは、しかし、A社がB社に対し実際上、売掛債券を保有していない場合も契約できる。そのときも、B社が倒産すれば、A社は保証金を受け取ることができる。銀行、証券会社、ヘッジファンドが、このような取引の主体だが、これらは、CDSの買い手にも売り手にもなっている。だから投機目的でやり取りされている。

また、「保証料」の「保証料率」は、例えば、B社の状態によって、絶えず変化する。倒産リスクが高まれば「保証料」は高くなり、倒産リスクが低くなれば「保証料」は安くなる。それは、企業のみならず、国家の国債などに対しても適用される。だから、債券などの信用格付けとしての位置づけもあたえられる商品となっている。

(参照:日本経済新聞「nikkei4946com」「全図解ニュース解説」)

投機資本主義のポイントをおさえたところで、まず、投機資本主義の成り立ちから入ってゆこう。



■金本位制の最後的崩壊



一九三〇年代の世界恐慌からブロック化にむかい、保護主義を顕在化させた各国帝国主義は、第二次世界戦争を勃発させた。これは金本位制(金を本位貨幣として通貨の単位価値と一定受領の金とが金兌換をつうじて等位関係で結び付けられている制度)を廃止し、金準備とは関係なく、通貨を発行して公共事業で景気を浮揚し、さらに軍備拡張の軍事的財政政策へとむかっていったことを意味していた。

 これに対し、第二次世界戦争後、アメリカ合衆国を中心とした金本位制が確立した。これがIMF体制だ。アメリカ合衆国に世界の金の七〇%が集まっていたことを背景に、アメリカ合衆国の一定量の金の価値と、各国資本主義国の通貨を結びつける体制がつくられた。それが、「金一オンス三五ドル」――日本円との関係では「ドル=三六〇円」という固定相場制にほかならなかった。

固定相場制は為替相場の変動が起こらないから、貿易も一定の安定性の下に行うことができた。変動相場制において生じるような為替の変動を利用した投機も抑制されていた。国境を越えた貨幣の移動も規制され、通貨供給量は制限されていた。

他方、アメリカのドル散布は西側諸国の復興やベトナム戦争、後進国への経済援助――ソ連圏を包囲する目的を持つ政治的援助の意味を併せ持つなどとして展開されていった。それはアメリカが生産力を誇示し、一人勝ちをしている以上、国際収支の黒字傾向により合衆国にドルはまた帰ってくる。

だが、一九六〇年代後半以降の西独、日本などの経済的台頭、ベトナム戦争の泥沼化による経済的弱体化が生じてくることとなる(これは、一九七五年合衆国のベトナム戦争敗戦に結果する)。

こうしたことを背景に一九七〇年を前後してドル下落の不安感からドルと金の換金が多発化した。また、そうした一人勝ち構造の消滅によって、合衆国から出ていったドルが、合衆国に帰ってこなくなった。そして、帰ってこなくなったドルは、ユーロダラーという形で、世界市場にとどまり、米金融局の管理の外で、展開することになっていった。

かかる要因からユーロダラーで過剰に集積されたドルを、換金するための、金準備が底をつき、 ついに、一九七一年、金と米ドルの兌換を停止するという事態に落ちいったのである(ニクソン・ショック)。こうして金本位制は終焉し、変動為替相場制に移行した。

これは、貨幣の発行量が、金との交換に規定されなくなることを意味している。一九七〇年代初頭、先進国はそこから、スタグフレーションという不況とインフレの同時進行という事態を迎えるが、それは、市場に貨幣が過剰に供給されているが、生産的な事業で投資の機会が鈍化し利潤率の低下を解消することができないという事態に起因するものであった。このことは、オイルショックにおける産油国の外貨準備の増大と、先進資本主義国における金融緩和政策による貨幣供給量の増大などをつうじて、貨幣供給が生産的投資に向かわず、非生産的な投機経済化に向かう方向を作り出したことを意味していた。それは次のようなことだ。



■非生産的投機へ向かった世界経済



「一九七〇年代以降、先進諸国では高度成長が終わり、高い利潤率を求める者にとって投資機会がなくなっていた。そういう時代にあってなおも短期的な観点に立って利潤追求を行おうとした時、存在した手段が投機であった。経済政策はこのような投機の機会を増やすように進められた。もしくは、このような投機を助長するような経済政策が次々と打ち出されたのである。

たとえば、証券業務と銀行業務の垣根が取り払われ、銀行は投機的行動ができるようになった。また外国為替取引における規制の撤廃も八〇年代に進んだ。たとえばそれまでは外国為替取引(自国の通貨を外貨に換えること、あるいはその逆)は財・サービスといった実際の貿易取引がある場合に限られていたが(実需原則)、このような原則が撤廃され、貿易の規模をはるかに超えて無制限に通貨を交換することができるようになったため、刻々と変化する為替レートの変動を利用して利ざやを稼ぐこと、すなわち通貨そのものを短期の投機目的の商品とすることが可能になった。このようにして、国際的な投機的活動を容易にする仕組みが作られた。

以上のような経緯をへて、八〇年代、金融は自由化・国際化されていき、それとともに投機的活動をする余地は大幅に広がっていった。すなわち、新自由主義は金融資本主義と化していったのである」(北見秀司「アタック・フランスのEU批判と代替案が示す『もう一つの世界』の可能性」、三宅芳夫・菊池恵介編「[共同研究]近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?」所収、作品社、二〇一四年、一九三頁。以下「アタック」と略す)。

こうした<投機―金融資本主義>の展開は、資本主義に次のような変化をもたらしたことを意味する。

「金融資産や資本が国境を越え自由に移動できるようになったことも、経済格差を助長した。これにより、労賃の安い地域への資本移転が可能になったからである。これが、世界中の労働者を競争に駆り立て、労賃と労働環境を悪化させた。そのため多国籍企業は記録的な利潤をあげながらも、被雇用者の少なからぬ部分が貧しくなる、という事態がおこった」(同上、一九二頁)。

このことは、資本と国家の関係にも変化を与えた。

「資本の自由な移動は、国家間に法人税切り下げ競争を引き起こした。この競争を享受する多国籍企業は、収益をあげながらも法人税の低い国あるいは無税の国や地域(租税回避地:タックス・ヘイブン)で租税コストを最小化することが可能になった。これが、税を用いた、国家による所得再分配や社会保障の充実、これによる格差の是正を困難にさせた」。

そうした中で、投機資本主義の展開がすすんだ。

「資本移動の自由化は株主の力を強めるのに貢献した。株式投資はいまや世界中の有利なところでできるため、投資家とりわけ国際的に活動する機関投資家がグローバルなレベルで企業を競争させたからである。投資家は、高い配当を求め、そのため異常なまでの高い収益率を求め、短期的観点から見て採算性がないと見なされたものは廃棄するよう指導した。企業やさらにさらには政府さえも、たえずこのような「市場の判断」に晒されつつ活動しなければならず、これが長期的観点から見た場合重要であるような生産への投資を縮小させ、さらには失業率を高める結果となった」(同上、一九二頁)ということだ。

こうして、脱福祉・小さな政府、規制緩和、民営化――戦闘的労働運動解体、高所得者・法人税減税、高金利政策、移動の自由―グローバリゼーションを特徴とするものにほかならない。

例えば、この場合、高金利政策は、新自由主義が台頭し始める一九八〇年代初頭において、第三世界で債務危機をつくりだしている。アメリカでは、物価の安定という目的から、政策金利がとられ、一九七九年には約一一%だった金利が一九八一年には二〇%に引き上げられた。これにより、メキシコなど先進資本主義国から経済援助をうけていた債務国や第三世界諸国では、利息が急増し、債務の返済が不可能となる事態に陥った。IMF(国際通貨基金)はこれら負債国に援助する条件として、構造調整政策=新自由主義政策を強制し、公務員削減・民営化、旧予定し、社会福祉費の削減、価格統制撤廃、為替管理の撤廃などの措置が講じられることとなった。この結果、貧富格差が爆発的に進行した。

まさに新自由主義の市場原理主義は、投機資本主義としてカジノ化・ギャンブル化し、アジアなどの経済新興国や欧州などにヘッジファンドをこういってよければ「突撃隊」とする、ユーロ債務危機・アジア通貨危機などといわれる経済危機を作り出していった。



■金融自由化の諸相



以上のような世界資本主義の様態変化を、もう少し特徴的な事例でみていこう。ここではまず、金融自由化の総括的な指標をみることにしよう。そののち、個々のケースについて、タイ通貨危機とギリシャ債務危機をとりあげる。その中でヘッジファンドの動向を概観する。

デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』(作品社、2007年、原著2005年。監訳・渡辺治、翻訳・森田成也・木下ちがや・大屋定晴・中村好孝)では次のようである。

ハーヴェイのこの文献の「第六章 審判を受ける新自由主義」のところだ。

「一九八〇年以降に始まった金融化の強力な波は、その投機的・略奪的スタイルの点できわだっていた。国際市場における金融取引の一日の総出来高は、一九八三年には二三億ドルであったが、二〇〇一年にはすでに一三〇〇億ドルにのぼっていた。二〇〇一年の年間総取引高は約四〇兆ドルになるが、国際貿易と生産的投資フローを支えるのに必要な総額、推定八〇〇〇億ドルと比べるならその巨大さがわかるだろう。規制緩和によって金融システムは、投機、略奪、詐欺、窃盗を通じた再分配活動の中心となった。組織的な株価操作、ネズミ講型投資詐欺(注が付されている。節の文章の終わりに注の文があるが、ここでは、引用文中の()にて記述することにする――引用者。注・高利殖の投資対象を考え出し、投資家をネズミ講式に勧誘し、先に投資した者が後から投資した者の資金を財源にして高利回りの配当を受けとる方式。ピラミッドの底辺に近づくほどリスクが大きくなり、最終的に破綻する。この方式を編み出した詐欺師チャールズ・ポンジーの名にちなんで、「ポンジー・スキーム」と呼ばれる)、インフレによる大規模な資産破壊、合併・買収(MA)を通じた資産の強奪、先進資本主義諸国でさえ全国民が債務奴隷に追い込まれるほどの額の債務を支払わせること、そして言うまでもなく、会社ぐるみの詐欺行為や信用と株価操作による資産の略奪(年金基金の横領と、株価暴落や企業倒産によるその多くの破壊)。これらすべてが、資本主義的金融システムの中心的な特徴となった。金融システム内部で価値をすくい取る方法は無数に存在する。金融ブローカー(証券会社など)は一回の取引ごとに手数料をとるので、顧客の取引口座上で頻繁に売買取引をさせることによって――その取引が顧客の口座の資金を実際に増やしているかどうかにかかわらず――ブローカーは収入を最大限に増やすことができる(「過当取引」として知られている操作)。株式取引の出来高の高さは、市場への信頼性というよりも過当取引を反映しているだけかもしれない。株価が重視されるようになったのは、経営者への自社株購入権(ストックオプション)という報酬制度を通じて、資本の所有者と経営者の利害が結びついたからである。これは今日では周知のように、多数の人々を犠牲にして、少数の人々に巨大な富をもたらすような市場操作を招いた。エンロンの劇的な崩壊は、多くの人々から生計と年金の権利を奪い取る全般的なプロセスを象徴している」。

※エンロンの悲劇……総合エネルギー会社エンロンが起こした不正会計事件。エンロンはデリバティブなどの金融技術、ITを駆使したビジネスモデルを確立した。だが二〇〇一年、自社株を吊り上げるためにした、巨額の粉飾決算が発覚、株価が暴落。破産宣告し倒産。それに引き続いて、これに加担した米大手会計事務所アンダーセンが消滅するなど、多数の会社で不正会計などが発覚。これに対して二〇〇二年、SOX法(企業改革法)が施行された(――引用者・渋谷)

「それだけでなく、ヘッジファンドをはじめとする巨大金融資本の諸機関によって行われた投機的な売り崩しにも注目する必要がある(節末注を挿入します――引用者。売り崩し――株価や通貨を人為的に暴落させるためにヘッジファンドや投資家がいっせいに特定の通貨や株を売りに出し、十分下がったところで買い戻して、短期間に巨万の富を得る方法。ジョージ・ソロスが一九九二年に英ポンドに対してしかけて大もうけし、一九九七~九八年のアジア通貨危機でもこの方法が用いられた)。なぜなら、たとえ彼らが『リスクの拡散』という積極的利益をもたらしているとみなされていたとしても、これは実際にはグローバルな舞台での『略奪による蓄積』の最先端をなしているからである」(二二四~二二五頁)。



■金融の自由化と生産のグローバル化



こうした投機資本主義の形成過程を実体経済との関係で、とらえるなら、次のようになるだろう。それは、多国籍企業の世界的な展開を媒介としたものだ。

「世界市場を一国内市場と同様に見なして、世界的な生産立地の最適な組み合わせを考える巨大企業が大量に出現すると、したがってまた各国間の貿易構造に大きな影響をもたらす。……多国籍企業の親会社と子会社あるいは子会社相互間の財の移動――「企業内貿易」――が世界貿易全体の中で占める割合は、極めて高い」(柳田侃・野村昭夫編著『国際経済論――世界システムと国民経済』、ミネルヴァ書房、一九八七年、八六頁)。

「ユーロ・ダラー市場の成長は、……米多国籍企業の発展と密接に結びついており、そうした結びつきを促したのが米銀の国際化であった。つまり、米銀の海外(とりわけ欧州)への進出は、米多国籍企業への巨額のファイナンスを最大の理由としたのである。……さらに七〇年代以降になると、米銀以外の他国の銀行の国際化すなわちユーロ・バンク化が進行するなかで、かれらはオイル・ショック以降の国際収支の赤字ファイナンスをおこなう一方、多国籍企業の膨大な資金需要を満たす役割を一層促進したのである。

……多国籍企業はそもそも、対外直接投資の資金としては親会社によって調達する部分を極力抑え、できる限り進出先ないし国際金融・資本市場で調達する傾向が強い、……銀行の国際化、国際金融・資本市場、ならびに多国籍企業の三者は、いわば三位一体的な発展を遂げていると考えることができるのである。ここにわれわれは、多国籍企業への世界的な規模での資本集中という、資本集積のきわめて今日的な姿を見いだすことができよう」(前掲一三九頁)。

「多国籍企業は他方で、国際金融市場を巨額の資金をプールする場として利用している。その国際金湯資本は、いわゆるオフショア・センターとしてのタックス・ヘブン(税避難地)と呼ばれるものである。それは、法人税・資産税を免除・軽減する目的を持った市場であり、そこでは実際の取引がおこなわれているわけではなく、名目的に多国籍企業の本社が法的所在地として置かれている(前掲一三九頁)。

このタックス・ヘブンは「バミューダ・バハマ・蘭領アンティル・パナマなど」であり「ここでは、企業活動に対して課税はないか、あってもわずかである。したがって多国籍企業の企業収益をタックス・ヘブンに移し、租税の回避をはかる。

そのやり方は、こうである。例えば、東南アジアの現地子会社でカラー・テレビの部品組立をおこない、製品をEC(当時の呼び名、まだEUではない――引用者)内の現地子会社を通じてヨーロッパに販売している米系多国籍企業を取りあげてみよう。この企業は子会社1への租税を回避するために子会社S3を(タックス・ヘブンに――引用者)新たに設け、S1の組立加工によるカラー・テレビを、S3を経由して子会社S2に輸出するという方途をとる。その場合、例えばS1は五〇ドルで親会社Pから輸入した部品を組み立て、製品を五〇ドルでS3に輸出する。S2による輸入価格が一〇〇ドルだとすれば、本来S1が獲得すべき利益五〇ドルは価格操作によってS3に移転され、S1への課税は回避されるという次第である。無駄な、しかし多国籍企業にとっては重要な企業内取引が、新たに付加されることになるのである」(前掲一九〇頁)。

つまりS1(東南アジア)からS2(EC)に輸出すれば、S1は課税されるが、S3(タックス・ヘブン)からS2に(EC)に輸出したことにすればS1への課税は回避されるということだ。実体経済と投機資本主義の相互関係は、こうして形成されていった。

「経済の実体を見ますと、主として先進工業国同士が水平分業を拡大してきましたが、これも帝国主義段階にはなかったことです。例えば日本の自動車会社がアメリカで自動車を造ります。トヨタ、日産、ホンダ。マツダ、富士、いすゞなどはアメリカに工場をつくり、日産、三菱、すずき、トヨタはさらにGMなどと合弁会社をつくっています。アメリカのフォードやGMもヨーロッパに工場をつくっています。電機、ハイテクも皆そうです。先進国同士で高度な製品の水平分業を拡大しています」(降旗、前掲、二〇二頁)。

さらに、こうした実体経済は、生産力の中身の問題として、ⅯE化と金融の世界化というものに展開して行く。

「金融商品もさまざまなものが出てきました。譲渡性貯金(NCD)、市場金利連動型貯金(NⅯC)、相場連動型貯金、オプション付貯金、オフショア・ファンドなどさまざまですが、これは……金融の世界化とコンピューター化の結果です。貯金をしておくとその額に応じて一番利子率の高いところに自動的に振り替えてくれるというサービスもありますが、これはコンピューターがなかったら膨大な費用がかかってできない。コンピューターの出現によってはじめて可能となった貯金や融資の形態上の変化です」(降旗、前掲二〇六頁)ということになってきたのである。

情報・金融・の世界化とⅯE化を軸とした世界経済の展開。まさにこれらが実体経済と投機資本主義の相関関係ということになるだろう。

以上のように展開してきた世界経済だが、20世紀の後半から、かかる金融の自由化は、新たな様相の金融危機・国家財政危機をつくりだしてゆく。



■金融危機の展開図



ここで、20世紀最後期の金融危機の展開図を概観しよう。同じハーヴェイの著作から引用する。

「金融危機は、ある地域を震源地にするとともに、次から次へと伝染していくものでもあった。一九八〇年代の債務危機は、メキシコに限られたものではなく、世界的な広がりを持っていた。……それから一九九〇年代には、相互に関連した一連の金融危機が二度にわたって起こり、不均等な新自由主義化という否定的傷跡を残した」(同上一三四頁)。メキシコ危機は、ブラジル、アルゼンチンなどに波及していく。また「さらに広範囲にわたった金融危機の第二の波はタイを震源地とするものであった。それは一九九七年、投機的不動産市場の崩壊につづくタイ・バーツの暴落をきっかけとして起こった。この危機は、まずはインドネシア、マレーシア、フィリピンに、次に、香港、台湾、シンガポール、韓国に伝染した。その後、エストニアとロシアが強烈な危機に見舞われ、まもなくブラジルが崩壊し、アルゼンチンに長期的影響をもたらした。オーストラリア、ニュージーランド、トルコさえも影響を受けた。……開発主義国家によって推進された『東アジア蓄積体制』全体が、一九九七~九八年に過酷な試練を受けた。これによる社会的影響は壊滅的なものであった。



『この危機が進行するにつれて、失業率は急上昇し、国内総生産(GDP)は急落、銀行は閉鎖された。失業率は韓国で四倍、タイで三倍、インドネシアで一〇倍になった。インドネシアでは、一九九七年の就労男性の約一五%が一九九八年八月までに職を失っており、経済的荒廃は中心地ジャワ島の都市部でとくにひどかった。韓国では都市貧民層がほぼ三倍に増え、全人口の約四分の一が貧困状態に陥った。インドネシアでは貧困層が倍増した。……一九九八年のGDPは、インドネシアで一三・一%、韓国で六・七%、タイで一〇・八%減少した。この危機の三年後のGDPでも、危機以前に比べて、インドネシアで七・五%、タイでは二・三%低かった』」(同上一三六~一三七頁)。

※『』内の引用文は、引用者(渋谷)の方で、『』を付したものである。また、文章の終わりには「注」が付されており、邦訳で、「スティグリッツ『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』一四六~一四七頁」と指示されている。

(なお、08年恐慌=リーマン・ショックに関しては、拙著では、『世界資本主義と共同体』第四章「〇八年恐慌と共同体主義の復権」、二〇一四年、社会評論社、文京区本郷、を参照のこと)。



 

■タイ通貨危機



アジア通貨危機は、1997年、タイ、インドネシア、韓国などの経済新興国で連鎖的に発生した。そして、ロシアやブラジルなどに飛び火して行く。日本でも融資の焦げ付きなどから金融危機が発生した。

タイ・バーツ危機の遠因はプラザ合意にはじまる。これは1985年、合衆国の貿易赤字を解消するため、ドル安に先進国各国が協調して誘導したものだ。ドル安は、例えば合衆国の輸出品を買いやすくし、貿易赤字を縮小する。

1990年代、米ドルとの固定相場制であるドルペッグ制(ドルに対して固定して連動する為替のメカニズム)を、タイをはじめとしたアジアの経済新興諸国は、とっていた。ドルとバーツは等価だ。バーツはドル安の恩恵をうけることになる。

これは又、企業などにとっては為替変動のリスクを回避できることを意味する。しかも、タイは、高金利に自国通貨を設定することで、例えばバーツで貯金した方が、ドルでするより、お金を増やすことができた。また、タイの国内で活動する企業にとっては、タイの高金利と、ドルの低金利との差を利用して、ドルでお金を借り、それをバーツに換えて運用し、バーツをドルに換えて返せば、バーツで借りてバーツで返すより、安く返済できる。

タイなどのアジアの新興諸国は、外国通貨の流入に対する規制を、工業化などの観点から緩和しており、以上のような条件において、先進諸国は、タイに資金を流入させ、タイはその資金で不動産などの設備投資を拡大していくことができた。

だが、タイなど新興国は、経常収支で常に赤字だった。これは他国との貿易競争で常に損失を出していることを意味する。つまり、通貨は国外に流出している傾向にある。だから、通貨を増発的に発行しなければならない。それは、通貨の価値を下げることを意味する。
 だが、工業生産などは成長し、輸出産業の成長そのものは実現していた。経済の景気それ自体は良好なので、1990年代中期までは、それほど問題にはなっていなかった。

だが、1995年、合衆国が、「ドル高」政策に転換。これを受け、新興国の安い製品輸出は、ドルペッグ制のため、ドル高に影響され、高い輸出品へと転じてしまった。これはタイの経済における輸出・価格競争力が低下したことを意味する。(つまり例えばの話、日本円でいうと、これまでは、一ドルを一〇〇円で買えたのに、一三〇円だせないと買えなくなったということだ)。

輸出が縮小すると、経常収支の赤字幅も膨らんでくる。その他の要因、例えば住宅バブルがはじけ、不良債権が増加したことなどが影響し、経済成長は鈍化。バーツの貨幣価値は、下がってゆく以外ない。ドルペッグ制を維持できるのは、明確にあやしくなってきた。

だが、ドル高は進行し、ドルペッグ制であったため、バーツの価値はそれ自体として、下がらなかった。これは、バーツの価値が不相応に高く評価されていることを意味した。

ここで、これはいつかは、バーツの価値は下がるし、下がるように操作・誘導できると考えたのがヘッジファンドだ。

ヘッジファンドはバーツを巨額に<空売り>(このやり方の基本は本論の前の方で書いたとおりだ)しにかかった。海外にバーツが大量に出始める。これをタイ政府は、買い支えしようとした。これを見て、タイにおける金融の自由化で、大量にタイに流入してきていた外国資本・投資家は、ドルペッグ制が崩壊した場合、前述したように、高金利が今まで有利に作用してきたことの正反対として、高金利が借金の返済額を、おしあげるなどの、巨額な損益が発生することなどから、タイから資金を引きあげはじめた。

そうした攻防の結果、タイは、政府の買い支えもむなしく、ヘッジファンドに敗北し、バーツの価値が下落。ヘッジファンドは巨額の富を手にした。

タイは変動相場制に移行。IMFの構造調整プログラムで、緊縮財政をしいられることとなった。まさに「略奪による蓄積」(ハーヴェイ)だ。



■ギリシア債務危機の位相



 欧州においては、金融危機での金融・財政の改善が自国の力だけではできないとされる諸国を総称して、PIGSという言葉ができている。これは、ポルトガル・アイルランド・ギリシア・スペインの頭文字を意味するものだ。二一世紀に入り、ギリシア、アイルランド、スペインに債務危機が襲った。アイルランド、スペインは住宅バブルが原因だった。ここでは、ギリシアについて見ていこう。

ギリシアの財政赤字の原因は、公務員の多さにあるとする分析がある。全労働人口の4人に一人が公務員であり、それが生産性を阻害しているというわけである。だが、例えば、アタック・フランスが主張するものはそれとは異なっている。

ギリシアの債務累積は、ギリシアが軍事政権であった1960年代から始まっている。民政に移行してからも債務は増え続けた。その原因は軍事政権期からの武器の輸入にほかならない。ドイツやフランス、イギリス、ロシアといった国々の軍事兵器産業の得意先だ。「このような状況の下、軍事費は膨れ上がり、GDPの四%を占めるにいたったが(ちなみにフランスは二・四%)、EUは、ギリシアを財政支援する際、緊縮財政を要求したにもかかわらず、なぜか軍事費削減は要求しなかった」(「アタック」、一九八頁)とされる。
 さらに、インフォーマルセクター(非行政指導セクター。国家の統計記録がない産業で、非店舗の行商など)が、GDPの三五%を占め、税収の二〇%が失われていること。また、ドイツ、フランスなどの銀行が、欧州中央銀行から低利で資金を調達し、それより高利でギリシアの政府や民間部門に貸し続け、利益を得ていた。民間部門の債務はこの銀行ローンによって増え続けていた。

二〇〇九年、政権交代を機に、それまでの政府発表で、財政赤字がGDP比五%に対して、一三・六%(二〇一〇年四月発表の数字)であることがわかり、財政危機が表面化する。

それを発端として、ヘッジファンド、大手投資銀行による、ギリシア国債に対する投機がはじまった。つまり、「ギリシア債の価格を急落させ、CDSに対する投機と国債の『空売り』によって利益を上げようとした」(「アタック」、一九八頁)のである。

CDSは、本論冒頭で解説したような仕組みであり、この場合は、ギリシア債が投機対象となる。ギリシア国家が国債の債務の返済ができなくなった時、このCDSの発行元である銀行や保険会社が代わって、債権者に損害額を支払うが、CDSの買い手は売り手に保証料を支払わねばならない。ポイントは債務者の返済能力がなくなってゆくほど、保証料は高くなってゆく仕組みにある(また、実際に国債を保有していなくても、CDSは売買できる)。さらに、ヘッジファンドなどの機関投資家たちがギリシア国債の『空売り』を展開した。

この場合の「空売り」の契約は、ギリシャ債が、現在あるユーロ価値に対し、例えば、一〇%下がった数か月先に予測される価値で売る内容で契約する(契約時は、まだ購入しない)。実際は、数か月先、一五%下がっていれば、その一五%下がった価値で買ったギリシャ債を、契約通り一〇%下がった価値で売る。五%の儲けがでるという手法だ。

「そのため機関投資家は、ギリシア国家財政の危機を鳴り物入りで騒ぎ立てた。……続いて、このようなCDSの急騰を見て、格付け会社は、ギリシア政府の返済能力が低いと判断し。国債の格を下げた。その結果、国債の金利が急騰し、ギリシア政府の借金は膨らみ、危機がさらに深刻化した」。二〇一〇年五月、EUによるギリシア救済措置が講じられたが、それは、ギリシアの国家破産で、債務一部帳消しなどの事態を避け、投資家たちの利益を守るためだったと、アタック・フランスは分析する。

その結果、ギリシアは緊縮財政を強いられ、「定年退職年齢が六七歳に引き上げられ、年金は七%、公務員の給与は一五%削減され、消費税は二%引き上げられた」(「アタック」、二〇〇頁)ということになった。

 

■富裕層の世界権力とヘッジファンド



以上見てきたようにヘッジファンドは、世界中を、こういってよければ<遊牧>し、各国の財政矛盾に付け込んで、大きな権益をあげている。

例えば、反貧困NGO・オックスファムが二〇一四年に出した数字では、世界の個人資産の上位一%が所有する富は、世界の四八%、一人当たりで平均二七〇万ドル(約三億二〇〇〇万円)だが、それは、厳密な数字がどうの、というよりも、その規模にまずは注目すべきだ。そして、その資金運用では、レッバレッジを効かせたもっと、大規模な額の運用が可能となるだろう。

「ヘッジ・ファンドなどが動員する投機マネーは、一国の経済を呑み込むことができるばかりか、世界経済を震撼させるだけの規模があるのである。……ここで『レバレッジを利かせる』という手法が重要になる。レバレッジとは英語で『梃子』という意味だが、金融の世界ではこれを、実際の手持ちの資金よりも大量の資金を動かして投資する行為をさして読んでいる。ヘッジ・ファンドは、調達してきた大量の資金を元手に借り入れをしてレバレッジを利かせる・そうして非常に危険であるが極めて高いリターン・レートの投資、というよりは投機を行っている。そのレートは実物資産に対する投資のレートをはるかに上回る。そのため本来ならば実物資産に向かうはずの投資に金が回らなくなる」(志賀櫻『タックス・ヘイブン――逃げてゆく税金』、岩波新書、二〇一三年、一五二~一五三頁)。

こうして得た収益は、ヘッジファンドが、一般の人々に資金を公募する株式会社などとは異なり、少数の私的に集まった人々の資金で運用されるため、公的規制が適用されない。さらに、租税回避地が、これらの収益をまもることとなる。

「ヘッジ・ファンドは、タックス・ヘイブンないしオフショア金融センター(オフショア・マーケット……国内市場と切り離した形で、被居住者の資金調達、運用を、金融、税制、為替管理などの機制が少ない自由な取引として認める市場と一般に規定されているもの――引用者)で設立されていることが多い。これは、タックス・ヘイブンの重要三要素である、税制、秘密保全、規制監督法制などを考えての選択である。たとえば、ソロスのクォンタム・ファンドはキュラソー(タックス・ヘイブンでカリブ海にある、オランダ王国の構成国――引用者)で設立された」(同上、一五六頁)ということである。



■結語

本論では、ヘッジファンドに代表される金融の自由化の様態を概観してきた。まさにこのヘッジファンドが富裕層支配の突撃隊である。

この投機に対する規制の方法については、投機行為に対するトービン税などでの課税の主張、「民主主義的グローバリゼーション」でのヘッジファンドの廃止やデリバティブの廃止などの主張、ピケティによる「税制社会国家」の主張、反グローバリゼーションの地域共同体の復権・創造という考え方などが、いろいろな人々によって展開されてきた。とりわけ、二〇一二年におけるフランスでの金融取引税の成立で、それらの主張が、いかほどかの現実味を帯びてきたものでもある。この仏金融取引税だが、対象は上場株式や一部のデリバティブに対するもので、買い手に〇・二%の税率での課税が実施されている。

日本では海外合弁企業における法人所得の海外流出に対する移転価格税制などは、日本でも実施されているが、投機や資産に対する税制対策は、これからである。

同時に今後、先に挙げたさまざまな主張には、さらに具体的な政策提言や法制定プロセス、または、転じて、投機資本主義打倒の革命プロセスとして現実化して行く道のりをあきらかにすることが求められているといえるだろう。

2018年1月28日日曜日

自民党「改憲草案」の九条改定条項を読む――改憲論議との関係で

今月(2018年1月)招集・開会した通常国会において、安倍首相は、「憲法改正」の具体的な審議設定を提起している。去る2017年には、「自衛隊の憲法九条への明記」を提起した安倍首相だが、21世紀に入ってから自民党が発表した「改憲草案」では、もっと、過激な内容の九条改憲案がしめされており、それとの関係で、どのような改憲案が実際は、示されてくるか極めて不透明な側面があることは、否めないだろう。
 そこで、自民党改憲草案を「国家権威主義的法実証主義」として批判した、拙著『エコロジスト・ルージュ宣言』(2015年、社会評論社、文京区本郷)の「第二章 国家基本法と実体主義的社会観」――この拙論は、その字数の多くを、「人権」に焦点をあてたものだが――から、「九条改憲」に関する部分を、掲載するものです。

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渋谷要『エコロジスト・ルージュ宣言』(2015年、社会評論社、文京区本郷)「第二章 国家基本法と実体主義的社会観――自民党「憲法改正草案」の社会実在論と戦後民主主義憲法の社会唯名論」第11節~第15節。


●戦争国家の国家基本法を明記



「草案」は、「平和主義」などと言いながら、戦争国家の国家基本法を明記している。 

a「(平和主義)第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては<用いない>。

前項の規定は、<自衛権の発動を妨げるものではない>」。

⇒第一項の「永久にこれを放棄する」が「用いない」となっている。用いる場合もあるということを意味するものということができる。

第二項は、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これをみとめない」が全面削除されている。この自衛権に、集団的自衛権も入るというのが、この草案を出した自民党の意図だろう。「平和国家」から戦争国家に変質してゆく、少なくとも法文上、確定的な規定だ。なぜならそれは、以下の国防軍の規定と連結しているからだ。

「(国防軍)第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、<国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調>して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。

国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない」。

⇒「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」は国連による派遣軍のほか、多国籍軍などの集団的自衛権の行使を可能とし、かつ、「国防軍の機密に関する罪」については、秘密法が先取りしていると言えるだろう。

b「(内閣の構成及び国会に対する責任)第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長である内閣総理大臣及びその他の国務大臣で構成する。

内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない」。

⇒文民統制の項目、「国務大臣は文民でなければならない」が削除された。削除する必要があるということだ。

「(内閣総理大臣の職務)第七十二条 内閣総理大臣は、行政各部を指揮監督し、その総合調整を行う。

内閣総理大臣は、内閣を代表して、議案を国会に提出し、並びに一般国務及び外交関係について国会に報告する。

内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する」。

⇒首相の国防軍統括、端的に九条の改悪(廃止といってよい)に基づく戦争国家の規定である。

 日本弁護士連合会の「日本国憲法の基本的人権尊重の基本原理を否定し、『公益及び公の秩序』条項により基本的人権を制約することに反対する意見書(二〇一四年二月二〇日)」では、つぎのようである。

「国防軍(軍隊)は憲法により公の存在になるとともに、第九条の二第三項により国防軍は公の秩序を維持する活動(治安活動)を行うことができると定めていることから、国民の基本的人権は、公の存在となった国防軍(軍隊)との間で厳しい緊張関係を強いられることになり、軍事的公共性の下位に位置づけられる危険が著しく高まる」とされている。



●「国家緊急権」の明記と反革命基本法





「草案」の「第九章 緊急事態(緊急事態の宣言)第九十八条」は次のようである。

「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。

内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。

第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする」。

⇒帝国憲法の「緊急勅令」の復活だ。

このような緊急事態の定義は、「国家緊急権」と法概念化されるものであり、国家の緊急事態における国家の「自然権」とされているものである。そしてこの規定は、実は、人民が自然権として持っている「革命権・抵抗権」(補論①参照)と、セットの関係にあると近代民主主義の自然法概念ではされているものだ。だが「草案」は、こうした「国家緊急権」は認め、人民の「抵抗権・革命権」は、認めないというシフトをとっている(次節参照)。

また、「内乱等による社会秩序の混乱」なども、緊急事態と規定されているように、国家体制打倒の革命に対する反革命基本法として、この「草案」が存在していることは明白である。



●緊急事態=緊急勅令の復活



つづいて、この緊急権規定を見ていこう。

「(緊急事態の宣言の効果)第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。

緊急事態の宣言が発せられた場合には、<何人も>、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他<公の機関の指示に従わなければならない>。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。

緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる」。

⇒この緊急勅令の復活はまず、「政府は法律と同じ効力を有する政令を制定できる」とある。

政令は国会の審議を通さないものであって、法律と同じ効力というのは、明治憲法の天皇の緊急勅令とおなじものだ。さらに、「何人も、…国その他公の機関の指示にしたがわなければならない」という国民徴用・有事動員の規定が書かれている。

 伊藤博文『憲法義解』では、次のようである。

第八条天皇の緊急勅令に関する規定では、「天皇は公共の安全を保持し又は災厄を避るため緊急の必要に由り帝国議会閉会の場合において法律に代わるべき勅令を発す。この勅令は、次の会期に於いて帝国議会に提出すべし、もし議会において承諾せざるときは政府は将来に向けてその効力を失ふことを公布すべし」(前掲三〇頁)という規定である。

天皇は「法律に代る」勅令を発することができ、それは、法律と同じ資格のものであると規定されている。第九条には天皇による「行政命令」が規定されているが、それは、法律を変更することができず、法律としての勅令を規定した第八条の緊急勅令とは、区別されたものである。まさに緊急勅令が、法=王命思想を前提とする専制権力の積極的立法行為として存在するということが、言われているのである。

それはこの緊急勅令をもって、法律を変更・廃止することもできるものであった。このような緊急勅令によって、憲法一四条戒厳宣告権による戒厳令の発動が、一九〇五年の日比谷焼打ち事件、二三年の関東大震災、三六年の二・二六事件のときに発動された。さらに、かかる緊急勅令として二三年には、治安維持法の前身とされる「治安維持のためにする罰則に関する件」が発令され、二八年には治安維持法の改定が、おこなわれている。この改定によって、治安維持法の厳罰化がおこなわれ、最高刑が死刑となった他、目的遂行罪(「結社のためにする行為」として、ある人が、結社のためにすることを意識しない場合でも、特高警察から見れば、ある人の行為が、結社のためにする行為だとなれば、罰に処することができる)が設定されたのである。

 この帝国憲法の緊急勅令と治安維持法の関係は、また、「草案」の緊急事態の規定と国家権威主義的法実証主義、とりわけ、二一条(表現の自由)二項の規定(公益及び公の秩序を害する結社は「認められない」の規定)とフレンドな関係性をもっているだろう。



●戦後民主主義憲法では緊急権規定は一切禁止



これに対し、戦後憲法の人権規定からは次のようにいう事ができる。

宮沢俊義の『憲法Ⅱ――基本的人権』(有斐閣、初版一九五九年)を参照したい。

「日本国憲法の人権宣言の保障する基本的人権がかように前憲法的性格を有するとされることから、それらは、憲法制定権をも拘束するという結論がうまれる。……憲法以前の権利であれば、憲法改正によって、これを変えることはできないという考え方である。もっとも、このことは、基本的人権についてのみいわれることであって、人権宣言に規定してあるそのほかの事項は、すべて憲法の改正によって変えられることは、当然である」(二〇六頁)。

また、明治憲法では、①軍人については、人権ではなく軍規―軍の法令が優先するという規定(三二条)、②「戦時」「国家事変」に際しての「天皇大権」(非常大権)による人権の制限(三一条)、③戒厳による人権の制限(一四条)、④天皇の緊急命令(勅令)での人権の制限(八条)が認められていた。だが「日本国憲法の人権宣言は、この種の例外をいっさいみとめない」(二〇八頁)ということだ。そうした「平和国家」の自然法思想が否定されているということだ。



●最高法規の削除=革命権・抵抗権の否定



「(削除)現憲法第十章 戦後民主主義憲法九七条最高法規

戦後民主主義憲法第九十七条

 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」。

⇒この規定は、「抵抗権は他の人権の帰結である」(フランス人権宣言)という革命権・抵抗権を内包している。その最高法規の否定は、革命権・抵抗権の否定であって、このことと、天賦人権論の否定は結びついている。まさに、以上のような問題から、「自由民主党日本国憲法改正草案」は、形だけ日本国憲法を継承しながら、内実としては、その条文に、明治憲法の考え方を多分に内包した規定として存在しているということが分かるだろう。