2017年12月21日木曜日

「抵抗権に関するノート」(2014年欄の記事)の再アップについてのご報告

「「抵抗権」に関するノート」を再アップしました(場所は2014年の欄をご覧ください)

2017年10月11日に、ブログ管理人・渋谷より、イデオロギーものの発信の仕方を、変えるので、イデオロギーものは閉鎖する旨の、ご報告をさせていただきました。現在も検討中です。
 しかし、その記事の中で、いくつか時事物と関係があるものが、あり、それについては、再アップして行くことと、致します。
 今日アップしたのは、2014年7月10日にアップした、「「抵抗権」に関するノート 渋谷要」です。
 

2017年9月6日水曜日

「人間による人間の破壊」としての「放射能汚染」との対決を!


原子力国家による放出責任の隠蔽と民衆に対する被ばく虐殺(棄民政策)を弾劾し、

「人間による人間の破壊」としての「放射能汚染」との対決を!

渋谷要(放射「脳」左翼)



 ●2011年福島原発爆発に起因する放射能の大量放出によって、関東平野において30歳代・40歳代でのガン・白血病での死亡が多発している(注・国家権力や電力資本、放射能安全派や受忍被ばく派は、これを否定している )。東京に暮らし「自分はフクシマ原発事故による放射能放出によってガンとなった」と訴え続けながら、死亡した友人がいる。私はその友人の主張を支持する。


(この死亡した友人の主張については具体的経緯があり、彼は、福島現地から送られてくる東電への賠償申請書類のコピー処理を、この仕事の下請け業者の仕事場で行っていた。その労働により、その書類に付着した福島現地からの放射性物質に汚染された粉塵を、マスクも支給されず、数年間、吸い続けたことによって被ばくしたというのが、上記に示した死んだ彼の主張だ。 彼の死を悼む人たちが、東電に公開質問状も出している。ここでは、文末に資料として紹介する)。



まさに<人間>が放射能によって傷つけられている。それは東電などが喧伝してきた「無主物」なるものがそうしているのではなく、フクシマ事故による放射性物質を放出した日帝国家権力と電力資本に対する責任追及が、ただちに問題になる。まさに<被ばく=人間の破壊>(人間による人間の破壊)という一番重要なことを自覚するべきだ。まさに国家権力と東電、受忍被ばく派の輩どもが2011311以降流布してきた、「風評被害」や「ホットスポット(以外は安全と思わせるもの)」、「医学的リスクはない」など、だから、汚染(が深まっていること)を口にするなという、汚染タブー(禁忌禁制)のディスクール(言説秩序)との闘いを、明確に運動として物質化してゆくべきだ。そして汚染タブーを、「左翼運動」の側からいう、一部左翼内の受忍被ばく派とも、断固として対決するのでなければならない。



●この禁忌禁制は、「戦争責任」と同じ構図だ。戦争経験がタブーとなる。汚染がタブーとなる。そして、タブーを破ったものは、タブーに安住する人々の共同体から排除される。異端、危険分子、秩序破壊者とされる。だが、放射性物質の汚染によって、被ばくした人々は、死んでいる。



●生身の人間が放射線に直接傷つけられている。それは「理想の人間が破壊されている」「理想の人間社会を実現せよ」ということではなく、事故がなければやれるはずだったであろう「個人の人生(のあり方)」が破壊されたということ、このことを重視することが必要だ。こんなことは絶対に許せないし、許すべきではない。そしてそういう人生の規模は、関東平野全域から、さらにはるかに広がっている。放射能汚染に県境も国境もない。

 まさに人々を生きなくさせているのは、原発を国策とし、反対運動に対しては、機動隊の暴力と地元での反対派に対する陰湿な村八分で建設を強行した国家と電力資本だ。

この歴史的現実から、革命的感性をとぎすませて、出発しよう!

 

●多くの被ばく死の責任者、虐殺者=日帝国家と電力資本を弾劾せよ! 

まさにこれは、放出責任に対する階級闘争の問題である。(了)

―――
以下に、<資料>として、上記文中に示した、公開質問状と、それに対する東電からの回答を掲載します。


【大拡散、シェアお願いします】
松平耕一さんの件、東電から『放射能影響は誰にも一切無い』と回答が来ました!許してはならない!
松平耕一さんを追悼し、東電に抗議する集会第3回へ参加を...
9月8日(金・月命日)19時半〜東電本店前
質問内容と、前回報告ですhttps://t.co/HvdlP8jGj6 https://t.co/sfhEQkGaFX

僕は行けないので、今回は在東京の友人有志が中心です。関西はこちらへぜひ。
【拡散、参加を】避難者と住民は東電の再稼働と『悪質避難者』呼ばわりを許さない!連動する暴力にNO!緊急抗議
9月10日(日)12〜13時梅田HEP前
主催 3.11関東からの避難者たち
https://t.co/R5inBrsNPZ
https://t.co/NCNlAWWZct
以下、東電の回答です。
ーーーーーーーーーーーー
松平耕一さんの友人・知人有志 園 良太 さま
東京電力ホールディングス株式会社

 当社福島第一原子力発電所における事故、および放射性物質の漏えいにより、立地地域の皆さま、さらには広く社会の皆さまに大変なご迷惑とご心配をおかけしておりますことを、お詫び申し上げます。
 2017年8月18日にいただきました質問について、以下の通りご回答させていただきます。

1:私たちは福島原発事故由来の空気や食品からの内部被曝が、松平さんの末期大腸がんを発病させたと考える。責任は東電にあると考える。それを東電はどう考えるか答えよ。
(回答)
 国連科学委員会(UNSCEAR)から2014年4月2日にリリースされた報告書「2011年東日本大震災後の原子力事故による放射線被ばくのレベルとその影響」では、福島原発事故の結果として生じた放射線被ばくにより、今後がんや遺伝性疾患の発生率に識別できるような変化はなく、出生時異常の増加もないと予測しています。
 さらに、その後に入手した知見を含めた最新のレビュー報告書(2016年白書)においても、健康影響に関する項目の報告内容は現在も有効とされております。

2:賠償書類の処理労働の実態を全公開せよ。当時の作業室内の放射線量を明らかにせよ。職員への危険周知や対策をなぜ行わなかったか。なぜ業務内容の過剰な口止めをしたかを明らかにせよ。その責任をどう考えるか、現在この労働がどう行われているかを回答せよ。
(回答)
社内管理に関する内容については、回答を差し控えさせていただきますが、当社といたしましては、労働基準法や関係法令等に基づき、適切に対応させていただいております。

3:福島の小児甲状腺癌を始め、健康被害は増幅している。要求した全ての被害者に治療費を払え。国は放射能安全キャンペーンを張っている。これを東電がやめさせよ。また福島原発の代表取材をやめさせ、屋根の吹き飛んだ惨状を自由に報道させよ。責任を認めよ。
(回答)
 当社といたしましては、福島県ご当局と協議のうえ、平成24年1月、「福島県民健康管理基金」に対して、250億円を拠出させていただいており、健康被害対策に充てていただけるものと伺っております。
 また、当社事故と相当因果関係が認められる健康被害があった場合には、誠実かつ適切に対応してまいります。
 なお、国の活動について、当社はコメントする立場にありません。
 取材については、核物質防護に関する法令に基づき、発電所構内での撮影は一部制限があることから、基本的に代表取材にてお願いさせていただいております。
 なお、当社はホームページで福島第一原子力発電所1号機〜4号機の映像をリアルタイムで配信しています。
◯福一ライブカメラ(1号機側)
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/camera/index2-j.html
◯福一ライブカメラ(4号機側)
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/camera/index-j.html

4:被曝を避ける最大の方法は避難である。東電は全ての避難者に内部留保を用いて引越し代を払い、避難先での仕事と住宅を用意せよ。
(回答)
 当社は、「東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害の範囲の判定等に関する中間指針」等を踏まえ、本件事故との相当因果関係が認められる損害については適切に対応させていただいております。避難指示等にともない負担された避難・帰宅費用は、必要かつ合理的な範囲でお支払をしております。

5:トリチウムを含んだ汚染水を無制限に太平洋に放出することをやめよ。また、原発から放射能の放出を防ぐために、チェルノブイリ同様の石棺化を行え。なぜこれまでそれをしなかったか、いつまでに行うか、答えよ。
(回答)
 トリチウム水の取扱いについては、2016年11月より開始された、多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」において、風評被害などの社会的な観点等も含めて、総合的な検討が行われております。当社としては、小委員会の議論を踏まえ、今後も国や関係者の皆さまと相談しながら、最終的には当社が責任をもって対応してまいります。
 廃炉に関しては、「東京電力(株)福島第一原子力発電所1〜4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」に示されている通り、当社としては燃料デブリを取り出すという方針に変更はなく、2021年から取り出すことを目標としております。
以上

扱い:東京電力ホールディングス(株)
立地地域部 原子力センター

 

2017年7月10日月曜日

「共謀罪」=「改正・組織犯罪処罰法」の問題点――国家権力による恣意的運用それ自体を目的とする治安法 / 渋谷要

★2017、7、11施行弾劾!


「共謀罪」=「改正・組織犯罪処罰法」の問題点――国家権力の恣意的運用それ自体を目的とする治安法

渋谷要



第一節 「テロリズム集団その他」の定義を巡って



 2017615日、政府支配層・国家権力は、「テロ等準備罪」として、「共謀罪(対象犯罪277)」(組織犯罪処罰法・改正案)の国会成立を強行した。TOC条約(国際組織犯罪防止条約、パレルモ条約)の締結に必要な法律整備だという「正当性」の主張に基づくものである。だがTOC条約は、暴力団、マフィアなどがマネーロンダリングや人身売買などの犯罪をすることを処罰するもので、テロ対策の条約ではない。だから共謀罪とTOC条約の整合性には、多くの立場からの疑問がなげかけられている。

「共謀罪」の性格それ自体を私の立場から、最初に規定しておくならば、自民党改憲案の「緊急事態」条項(本論第一節参照)に先行的に準拠した人権抑圧、警察国家、戦争国家の治安弾圧立法にほかならないということだ。そいういうことが、単にアジテーションではないことは、この立法を読めばはっきりわかることだ。

同法は、「国立国会図書館」のホームページの中の「議案情報」で、検索すれば読める。件名「組織的な犯罪の処罰および犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」、種別「法律案(内閣提出)」、提出回次(国会のこと)「193回」、提出番号「64」である。 



●「テロリズム集団その他」とは 



 同法は「組織犯罪処罰法」の改正法規であり、「組織犯罪処罰法」とは別に「共謀罪」なる名前の法律があるわけではない。ここで「共謀罪第何条」とは、「組織犯罪処罰法第何条の改正事項」。「新設事項」であることを示すものである。

同法の「第六条の二」(新設)は、次のように書いている。「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(この「その他」で、公安の恣意的な運用が際限なく広がる危険がある――引用者)(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。……)」とされているものである。

 その者たちが、「死刑又は無期若しくは長期10年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められているもの」(別表4になる)の「準備行為」をしたとき「5年以下の懲役又は禁錮」になる(もう一つ同様の規定があるがここでは省略する)というのが、この第6条2だ。

 この「準備行為」は「当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画したものは、その計画をした者のいずれかにより、その計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為」とされるものである。

 こうして上記、刑事罰の犯罪法規を公安権力が、今までよりもより、恣意的に運用できるように、しようとするものに他ならない。

 だからこの別表三に何が書かれているか、どういう法律に違犯したもののことかを見ることにしよう。



●「潜在的違法事案の摘発」でつかわれてきた犯罪



 この別表3には、90個の犯罪があげられている。その一つに、刑法77条一項の「内乱」や、刑法107条の「騒乱」などが、あげられている。この準備行為の範囲は、恣意的に解釈した場合、ものすごく広くなり、およそ「帝国主義の侵略反革命を蜂起・内戦へ」などというスローガンを言っているなどの組織の経済活動総体が、少なくとも監視の対象となる可能性があるだろう。

 だが、ここでは、もう少し、現実に照らしてみてゆこう。

それが、1980年代中頃より、警視庁公安など日帝公安が「潜在的違法事犯の摘発」などと称し、微罪逮捕弾圧を繰り返してきた、以下の法律群である。

 これは例えば活動家の自分の住所と引っ越しなどで自分の自動車の住所が古い住所だったりした場合、それを「公正証書原本不実記載」「免状不実記載」などとして検挙するというものとして展開されてきたものだ。「虚偽の住民登録」(電磁的公正証書原本不実記載・同供用)などとして、でっち上げ、フレームアップの「微罪」弾圧がおこなわれてきた事例は、いくつもある。

以上のような事例に、関わるように、この表の「二ヌ」では次のような規定がある。

「刑法第155条第一項(有印公文書偽造)若しくは第二項(有印公文書変造)の罪、同法第156条(有印虚偽公文書作成等)の罪……同法第157条第一項(公正証書原本不実記載等)……同法第161条の第一項から第二項まで(電磁的記録不正作出及び供用)の罪」などがあげられている。

 これらは、公安警察の「微罪」でっち上げ弾圧であるにもかかわらず、過激派が意図的にやっているなどとして展開してきたものであり、これが、共謀罪では、「テロリズム集団その他」の行う「罪」とし、これを行う者が「テロリズム集団その他」とでっち上げられているのである。

だが、この別表三は、それにはとどまらない。

極め付けがまだあるのである。



●航空危険罪、火炎瓶法を規定



以下の項目は、三里塚闘争にかかわる新左翼は「テロリズム集団その他」だと露骨に一言っているようなものである。

この表の「五十八」として「火炎びんの使用等の処罰に関する法律(昭和四十七年法律第十七号)第二条第一項(火炎びんの使用)の罪」。「六十」として「航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律(昭和四十九年法律第八十七号)第一条(航空危険)、第二条第一項(航行中の航空機を墜落させる行為等)」などが、あげあれている。

これらは三里塚闘争において、1980年代後半、三里塚現地にある新左翼の団結小屋の撤去のため、この団結小屋が「暴力主義的破壊活動者」の結集場所となり、三里塚空港に離発着する航空機に危険な影響を及ぼしているとし、この小屋を、運輸大臣命令で撤去できるとした「成田治安法」を歴史的に根拠とするものに他ならない。この「成田治安法」での撤去を受けた団結小屋のセクトもまた、「テロリズム集団その他」と呼ばれ、新たに同法に基づいて監視などされる可能性がある。

こうして、この法は、一定の集団を想定しているということが言えるだろう。

そのことをふまえつつ、こうした監視・弾圧を広範な民衆、市民に広げ、市民社会全体を監視する体制が、この共謀罪の体制だといえるだろう。

まさにそこに法案起草者たちの真の意思・意図がある。緊急事態条項を貫徹するための治安体制の先取り的な形成なのである。



※緊急事態条項……「自民党改憲草案」では次のように、書かれている。

「草案」の「第九章 緊急事態(緊急事態の宣言)第九十八条」は次のようである。

「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。

3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。

4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする」。

このような緊急事態の定義は、「国家緊急権」と法概念化されるものであり、国家の緊急事態における国家の「自然権」とされているものである。そしてこの規定は、実は、人民が自然権として持っている「革命権・抵抗権」と、セットの関係にあると近代民主主義の自然法概念ではされているものだ。だが「草案」は、こうした「国家緊急権」は認め、人民の「抵抗権・革命権」は、認めないというシフトをとっている。

また、「内乱等による社会秩序の混乱」なども、緊急事態と規定されているように、国家体制打倒の革命に対する弾圧の基本法として、この「草案」が存在していることは明白である。

「(緊急事態の宣言の効果)第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。

3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、<何人も>、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他<公の機関の指示に従わなければならない>。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。

4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる」。

この法規の冒頭で定義している「政府は法律と同じ効力を有する政令を制定できる」とあるのは、政令は国会の審議を通さないものであって、かつ法律と同じ効力というのは、明治憲法の天皇の緊急勅令とおなじものだ。さらに、「何人も、…国その他公の機関の指示にしたがわなければならない」という国民徴用・有事動員の規定が書かれている。共謀罪はこうした体制を円滑に運営するために、常日頃から市民社会を監視し、緊急事態体制の構築を阻害するような行動(「おそれ」を含む)を弾圧することが、目指されている。もちろん、緊急事態以外の常時・平時にも、使われてゆく弾圧立法だ。(拙著では、「国家基本法と実体主義的社会観」、『エコロジスト・ルージュ宣言』、社会評論社、92頁以降、参照)



第二節 「危殆(おそれ)」の罰則規定



●表現の自由に対する監視



すでにみたように、共謀罪は、犯罪を実行する前に、警察が「準備」だと認識(でっち上げも想定される)した段階で、検挙することができる。こうしたことは、公安が目を付けた捜査対象を日常的に監視しなければ無理である。だから、表現の自由、内心の自由を際限なく抑圧する。

例えば、安保法制反対の集会に行った市民グループAが参加する地域共闘に新左翼セクト(「テロリズム集団その他」の規定として、前回見た同法の「別表第三」の犯罪を犯したとされているグループ)の組織した市民運動体Bが参加していた。公安は、それを見て市民グループAは、市民運動体Bとどういう関係か捜査する。そして、市民グループAも、同法「別表第三」に関連したグループと連絡のある団体として、今はそうでなくても、将来「テロリズム集団その他」になる可能性があり、捜査・監視の対象とされてゆくことになる。こうした監視対象の際限のない規定は、その公安部署に、これまで以上に資金が支給されることにもなり、だから、できるだけ手広く監視対象を広げるということになっていく可能性がある。

その場合、それは治安法の常とう言説としてある「おそれがある」という、危殆犯の規定とつながってゆく。犯罪を実行する「おそれ」としての「準備行為」、また、「準備行為」をする「恐れがある」共謀関係者を監視せよ(捜査権の行使として正当化される)というわけだ。そうでなければ、「準備行為」を把握できず、また、でっち上げで「準備行為」なるもののストーリーを作り上げることもできないだろう。こうして、社会運動を抑圧し、表現の自由を著しく侵害する監視秩序が出来上がってゆく。

まさにこうした「準備行為」は、罪状であって、「共謀罪」の構成要件(法律に規定された個別の犯罪類型)の規定ではない。だから、「準備行為」がない場合でも、警察権力は疑いに対してなどで捜査権を行使できるわけである。



●危殆犯としての「準備行為」



共謀罪の「準備行為」は、「計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為」とある。これに対し共謀罪に反対する人々の中には、「戦後の近代民主主義国家の刑法においては、実行した行為を裁く大原則があるのに、共謀罪は、行為以前の内心まで裁く悪法だ」という言説がある。それは、一般論としては、正しいかもしれない。だが、歴史経験上は、正しくない。それこそ、戦後民主主義幻想だ。

また日本の場合、現行刑法は明治40年公布され、その大日本帝国時代の法規が戦後出直し的に新設されるのではなく、「改正」されてきたという歴史を前提としなければならない。「正しくない」と書いたのは、以下のような理由からだ。

戦後日本では、破壊活動防止法という特別刑法(1952年公布、公安調査庁設置)が設置されてきた(前回紹介した「成田治安法」なども、この系統の法規になるだろう)。破防法においては、刑法で規定する内乱、騒乱、放火、爆破、殺人などの活動の範囲について、かかる活動のための「予備」、「陰謀」、「教唆」とその「扇動」までが、かかる活動の範囲に入れられている。例えば同法の規定では「文書」「図」「言動」も、この「扇動」に入るとされる。これは思想それ自体、例えば「帝国主義打倒!」という思想それ自体を裁くものである。

現に、1969年4・28沖縄闘争(破防法401号、3号(騒擾・持凶器多衆公妨罪の扇動)、赤軍派による大菩薩峠での首相官邸襲撃訓練(同法39条、401号、3号(殺人、持凶器多衆公妨罪の扇動)、などとして、「扇動罪」での弾圧が破防法の特徴となっている。

破防法が衆議院で審議されていたとき、当時の法務総裁(法務大臣)が答弁で「扇動等の行為は、現下の事態にかんがみますときわめて危険な行動であるにもかかわらず、現行刑法の規定をもってしては、決して十分ではないからであります」と述べている。破防法が思想そのものを裁く治安維持法の思想と通底する法規であることははっきりするだろう。

戦後においても、かかる近代刑法の大原則を逸脱する法規は存在するのである。また、現行刑法(明治期に公布)においても、その一〇六条「騒擾罪」(19681021国際反戦デ―の新宿闘争(「新宿騒乱」と言われる)に適用)も「危殆犯」であり、「公共の静謐」が現実に侵害されていないときでも、その危険があると判断すれば適用できるとされている。

【※(注)この法規は1907年(明治40年)に刑法が公布された折、明治期の旧刑法(1882年、明治15年成立)「凶徒聚衆(しゅうしゅう)罪」を継承してできたものである(この場合、この法規の成立、解釈の変遷については、「足尾鉱毒凶徒聚衆事件」の大審院判決(1902年、明治35年)以降の変遷問題に触れる必要があるが字数の関係で省略する)。さらに、1995年「騒乱罪」となった。

また戒厳令が発動された1905年「日比谷焼き討ち事件」を権力は「凶徒聚衆事件」として構成している。この規定は、戒厳令中、「合囲地境」における「軍衙」における裁判の対象となる法規の一つとして「凶徒聚衆罪」が定められていたことに基づく】。

危殆犯――扇動・予備罪――「準備行為」罪これらは、すべて同一の概念と見なければならない。



●治安維持法「目的遂行」罪との重なりをもった共謀罪「6・2・2」



そうした権力の恣意的弾圧が際限なくできるシステムをつくる点で、これから見る共謀罪「第6条2の2」の規定は、重要である。

そこには次のように書かれている(文中の〈……〉は引用者・渋谷の強調です)。「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団に不正権益を〈得させ〉、又はテロリズム集団その他の組織的犯罪犯罪集団の不正利益を〈維持し〉、若しくは〈拡大する〉目的でおこなわれるものの遂行を二人以上で計画した者も」、「準備行為」をおこなったときは、「同項と同様とする」(つまり、6条2の1と同様とする)というものだ。

ここでは、「テロリズム集団その他」に同調するシンパサイザー等々の人々が対象となっていると考えられる。例えば、公安政治警察からみて、シンパサイザーが「テロリズム集団その他」にカンパするのも、「不正(なぜなら組織的犯罪集団の権益それ自体が不正にあたるから)権益」を「得させる」行為とされるだろう。また、「テロリズム集団その他」のメンバーが参加した街頭署名の時、通りかかってカンパした人も、これに含まれる恐れがある。こうして、この規定は、際限なく恣意的な運用が可能となる規定だ。

そしてこの規定は、「國体の変革」「私有財産制度の否定」を目的とした結社、個人に対する罰則をさだめた「治安維持法」(1925年)に1928年「改正」で最高刑を「死刑」とすると同時に付け加わった「目的遂行罪」と重なり合う。

それは「結社の目的遂行のためにする行為をなしたる者」として、その人が本当に、ある結社と関係しているかどうかに関係なく、特高警察の側で、その人が、結社の「目的遂行」のために行動していると判断(でっち上げ)すれば、同法を適用できるとするものであり、結社以外の広範な人々への弾圧を可能としたものである。

治安維持法は、法益を「國体」(天皇制)護持の規定とするものだったが、「國体」という概念をはじめて法制的概念として登場させたものであり、天皇制国家を守るため、市民社会の一切の「不穏分子」を弾圧するため、市民社会総体を監視するものにほかならなかった。

こうした、公安当局のストーリーによる、でっち上げ、フレームアップ型の弾圧と、市民社会総体を監視することを目指す指向性を、共謀罪6条2の1とともに、6条2の2は、持っているといえるだろう。



第三節 「不正権益」「犯罪権益」の没収について



●共謀罪における「不正権益」「犯罪収益」の没収



これまで二節にわたり、共謀罪のポイントについて、この組織犯罪処罰法の「改正」のポイントを見てきた。

この組織犯罪処罰法と、共謀罪なる「改正案」との関係だが、この法律は、もともと、暴力団対策・オウムなどのカルト的暴力集団の経済的資源を壊滅するべく、組み立てられた法律である。だから刑法でも、経済的犯罪やサリン・化学兵器などに関する処罰規定は入っていても、いくつかの「暴力行為」を処罰する規定はあっても、内乱罪や騒乱罪、火炎瓶法など、左翼過激派など、政治的過激派対策に使われるような法規は、もともと入っていなかった。ほとんどが、経済犯罪にかかわるもので、「覚せい剤」「売春」「不正競争」「金融商品取引法」「児童福祉法」「大麻取締法」などなど、あまり左翼とは関係ないものが大半を占めている。

それに対し、今回、共謀罪「改正案」では、この政治的過激派対策の内容がこれに代入された形となっている。



●経済的処罰法の問題――「犯罪収益」規定の恣意性



例えば、この組織犯罪処罰法の立法趣旨に当たる、第一条は次のように明記されている。

「第一条 この法律は、組織的な犯罪が平穏かつ健全な社会生活を著しく害し、及び犯罪による収益がこの種の犯罪を助長するとともに、これを用いた事業活動への干渉が健全な経済活動に重大な悪影響を与えることにかんがみ、組織的に行われた殺人等の行為に対する処罰を強化し、犯罪による収益の隠匿及び収受並びにこれを用いた法人等の事業経営の支配を目的とする行為を処罰するとともに、犯罪による収益に係る没収及び追徴の特例等について定めることを目的とする」。

そして、第二条では「犯罪収益」に関する規定が列挙されている。

「第二条3この法律において『犯罪収益に由来する財産』とは、犯罪収益の果実として得た財産、犯罪収益の対価として得た財産、これらの財産の対価として得た財産その他犯罪収益の保有又は処分に基づき得た財産をいう」、「第二条4この法律において『犯罪収益等』とは、犯罪収益、犯罪収益に由来する財産又はこれらの財産とこれらの財産以外とが混和した財産をいう」としている。

「犯罪収益以外」に、これらの財産と「混和した財産」まで、「犯罪収益等」として同等にみなされるのだから、この法の適用で「犯罪集団」とされた集団の一切の財産は、「没収」「追徴」の対象となるだろう。もともと、この法の本筋はこうした経済的処罰法にほかならない。だから、政治的なものではないといっているのではない。逆だ。

これが、今回「テロリズム集団その他」に対して、次のように、作用してゆくことになる。



●反帝闘争の組織の壊滅を狙う――「没収」の規定



「共謀罪」の法規は、組織犯罪処罰法の「第二条第二項」(犯罪収益の規定)に、次の一号を加えるとして、改正案である組織犯罪処罰法の「第6条2」(新設)で規定した「第6条の2(テロリズムその他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画)の罪の犯罪行為である計画(日本国外でした行為であって、当該行為が日本国内において行われたとしたならば当該罪に当たり、かつ、当該行為地の法令により罪に当たるものを含む。)をした者が、計画をした犯罪の実行のための資金として使用する目的で取得した財産」としている。これも、いくらでも、解釈可能である。

この第1章につづく第2章から、「没収」の規定が始まる。

「団体に属する犯罪行為組成物件等の没収」(第8条)、「犯罪収益等の没収等」(第13条)から、延々と規定が続いている。

こうして、「テロリズム集団その他」なるものの資金源を根こそぎ、没収しようとしている。

これは、成田治安法が、航空危険罪などの名目で、三里塚現地の団結小屋を撤去していったように、それをもっと、規模を無限にして、弾圧対象の団体の財産をねこそぎ没収する可能性を示唆するものにほかならない。

組織犯罪処罰法には、さらに「不動産の没収保全」(第27条)、「船舶等の没収保全」(第28条)、「動産の没収保全」(第29条)、「債権の没収保全」(第30条)、「その他の財産権の没収保全」(第31条)など細目にわたって規定されている。また、追徴の規定が別にある。追徴とは刑法上、本来没収できるものを没収することができないときに、その物の価額の納付を強制することである。

アメリカの「愛国者法」(20012015年)にも、テロリズム活動、支援などを対象とした資産凍結などの規定があった。



第四節 「転向」システムとしての共謀罪――手続きそのものがファシズム法



●「悪法も法」?――「治安維持法」擁護



6月2日(2017年)、 この共謀罪が審議されている衆議院法務委員会で共産党の議員の質問に法務大臣は、治安維持法はすべて適法的に運営されていた、何の問題もない旨の発言をしている。権力を法(社会契約)で拘束する・制限するという民主主義による「法の支配」という意味での法実証主義ではなく、「悪法も法」という意味での形式論理的な法実証主義であり(自民党の改憲草案では国家権威主義的(国家道徳主義的)な意味での法実証主義が顕著であるが――拙著では、「国家基本法と実体主義的社会観」、『エコロジスト・ルージュ宣言』、社会評論社、75頁以降、参照)、その法の目的に基づいて適法に運営されていたということだ。人権破壊の拷問をふくむ取り調べという名前の転向強要、スパイ強要といった、ファシズム弾圧法であったがゆえに、戦後直後、廃止されたことについては、まったく、その事実経過を忘失するような発言にほかならない。

この治安維持法は、何度か「改正」がおこなわれており、1934年(第65議会)に「予防拘禁」の規定が、1941年(第76議会)では「予防拘禁所」が設置された。34年の予防拘禁の規定は、非転向のままで釈放される者の「再犯」予防であった。それに加え、41年の規定では、「思想犯保護観察法」の保護観察では十分に再犯の危険を防止するのが困難であるとみられたときには、予防拘禁所に入れられるとした。つまり「すでに釈放されてしまっているものでも、『転向』の仕方が不十分であるとみた場合には――現実の犯罪行為がないのに――もう一度身体の拘束を課することを可能ならしめるものである」(奥平康弘『治安維持法小史』、筑摩書房、217頁)というように展開した。

予防拘禁の期間は一応、2年とされたが、非転向の場合などは、裁判所の決定をもってこれを更新できるとし、無期にわたる拘禁ができるようになった。こうした人権の圧殺の事実を、法務大臣は適法だったから良しといっているのだ。まさにファシスト法擁護の発言だ。

アメリカの「愛国者法」(20012015)もまた、テロ関係者の疑いがある外国人を、司法手続きなしで7日間拘束できるとし、さらに実際は、その期間以上に長期拘留・予防拘禁した事例がある。また、テロ関連との理由から、個人のプライバシーに関する電話やメールなどの盗聴が裁判所の決定なしで行えるようになった。

共謀罪もまた「準備行為」の把握は、こうした捜査によってしかわからず、また、デッチ上げのためのストーリーを作ることも不可能だ。

さらに、この組織犯罪処罰法においても予防拘禁のような弾圧手法の検討もめざされてゆく可能性がある。例えば沖縄での山城博治さんへの5か月にもおよぶ、不当拘留はその先取りだ。正当な抗議行動に対し、威力業務妨害、公務執行妨害、傷害の罪がつけられ、保釈に関しても、「事件関係者との面会を禁じる条件」が付けられている。これは保護観察と同じというべきだろう。

※この再犯防止の拘留延長は例えば、「拘留延長で社会復帰支援、検察が施行 高齢者らの再犯予防」(2014121日、日本経済新聞)などとして、居住・就労支援のためだとして、本人や弁護人の同意(容疑者が送検容疑を認め、拘留10日間では支援ができないときを条件としている)が必要という条件で、すでに制度として始まっている。



●転向・スパイ強要――仲間の売渡しを恫喝



また、共謀罪には「組織犯罪処罰法第6条の二」(新設)において「……その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、または免除する」と規定している。

まさに、文面それ自体を素直に読めば、転向強要・仲間に対する裏切り売渡しであり、また、権力によるでっち上げ弾圧の場合は、権力のスパイが、でっち上げのストーリーにあわせて、「準備行為」と判断できる行為を、でっち上げたい人にやらせるなどの、いろいろな事例が推測として考えられるだろう。

監視(―盗聴など)、自白強要、密告・通報(虚偽のものを含む)、でっち上げ弾圧の法規、それが共謀罪だ。



●共謀罪の発動のストーリー――これとどう闘うか



共謀罪の反対運動において、野党の幹部が宣伝カーの前で、発言している動画をYoutubeなどで、よく見る。それはいい。だが、その中で、「(市民や労働組合、政党の運動ではなく)取り締まるのは、暴力団、右翼、革マル、中核に(限定せよ)」などと発言する野党の発言者の発言を聞いて、唖然とした。

ファシズムの立法は、だれに適用されても、民主主義に反し違法であり、違憲なのだ。これが、法のルールに関する民主主義の基本的な考えかたである。国会答弁で、野党は、「市民に対する不当・不法な監視」を問題にする。それはいい。だが、問題は、これまでみてきたように、法の執行そのものが憲法の民主主義的諸権利に対し、違法な手段を行使しているということであり、その段階で、まさに、弾圧の実行「準備段階」で、違憲であり、民主主義的諸権利に対する侵害を犯すもの以外ではない。だから、反対しなければならないのが、この共謀罪であり、まさにかかるファシズム立法にほかならない。

だから、誰に対しても、この法の運用は違憲・不当なのだ。
もっとも、「だから、右翼とも共闘しよう」などという主張には反対する(それは階級闘争として闘う態度ではない)が、国家権力の横暴には、反対の声をあげてゆくべきだ。

政治的運用としては左翼運動、反体制運動への弾圧法規であり、それを目的としている。人民抑圧の治安維持法型法制として、機能させるべく、設計されたものにほかならない。いずれにせよ、「誰に対しても行使するな!」という声をこそあげてゆくべきなのである。(了)


2017年7月9日日曜日

天皇制問題としての森友問題 /渋谷要




天皇制問題としての森友問題
渋谷要


【リード】森友問題は、①国有地売却問題(財務省理理財局長、財務省近畿財務局と大阪府が連携し、国有内格安払い下げに関する疑惑があるなどの問題)、②小学校設立認可についての「何らかの政治的関与」が疑われる問題(大阪府私学審議会における私学認可新基準と、異例の速さで認可したことに関する疑惑が浮上している問題)というものだが、もう一つ教育内容の問題がある。本論では教育内容をめぐる問題を見てゆく。



●「瑞穂の國」と教育勅語



籠池泰典氏らの森友学園は「瑞穂の國記念小學院」(「安倍晋三記念小学校」にかわり)を設立しようとしていた。この「瑞穂の國」とは、どこのことか。ここから話をはじめたいと思う。

同学園の塚本幼稚園では園児が、「教育勅語」を暗唱させられていたが、それと、深く関係している。この学園の理事長だった籠池泰典氏自身が、どういう意図で、この名前を付けたかはともかく、天皇主義・愛国教育というところでは、それは次のような想定を故なしとしないだろう。

この「瑞穂の國」とは『日本書紀』にのべられている「天壌無窮の神勅」の中に存在するものだ。そしてこれが森友学園の愛国教育の理念、教育勅語斉唱と深い、直結した関係を描くものにほかならない。 

この神勅は、次のように述べられている。この神勅は、天照大神(アマテラスオオミカミ)が皇孫であるニニギノミコトに対して述べた詔である。一九三七年、文部省が編纂した「國體の本義」から引用しよう(カタカナ部分は平仮名にした――引用者)。

「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆えまさむこと、當に天壤(あめつち)と窮りなかるべし」というものだ。

 ここに出てきた「瑞穂の國」は、天皇が永遠に支配する国だ。『國體の本義』は述べている。「天壌無窮とは、天地と共に窮りないことである」。しかしそれは、単に時間を意味するものではない。「過去も未来も今において一になり、わが国が永遠の生命を有し、無窮に発展することである。……我が歴史の根底にはいつも永遠の今が流れている」。

そして、次のように展開する。

「『教育に関する勅語に』『天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』と仰せられてあるが、これは臣民各々が、皇祖皇宗の御遺訓を招述したまう天皇に奉仕し、大御心を奉戴し、よくその道を行ずるところに實現される。……まことに天壌無窮の寶祚は、我が國體の根本であって、これを肇国の初に當って、永久に確定し給うたのが天壌無窮の神勅である」ということだ。つまり、「教育勅語」は「天壌無窮の神勅」を実践し、天皇の國=豊葦原の瑞穂の國を、臣民として実践するものにほかならない。



●「天壌無窮の皇運」――天皇のために死ね



まさに教育勅語の「核」となる部分は、「國體の本義」が引用・宣揚する「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という個所にほかならない。「公益を廣め世務を開き常に国憲を重じ国法に遵い一旦緩急あれば義勇公に奉し以って天壌無窮の皇運を扶翼すべし是の如きは獨り朕が忠良の臣民たるのみならず又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん」(教育勅語)。つまり、天皇の國のために死ぬ覚悟をせよといっているのである。

「教育勅語」は、明治天皇の名で出された勅語であって明治二三年(一八九〇年)一〇月三〇日に、御名御璽として公布されたものだ。これは天皇の「勅令」(議会で裁可された法律と同等)ではないが「教育勅語」には、法律的効力があった。まさに、これは勅令と同じく、帝国議会の協賛を経ず、<天皇の大権>により発せられたという位置づけをもつものだ。

 大日本帝国の明治憲法下では、天皇大権は絶対であり、法学者も、「天皇大権主義」を憲法解釈の基本とするのが、大きな勢力を占めていた。

 そして大日本帝国に日本をもどそうとする人々にとって、この、一九四八年に立法府において排除(衆議院)、失効(参議院)された、この「明治天皇の勅語(の精神)」を復活させる願望は、戦後、生き続けてきた。



●「愛国心」の意味



「愛国心」ということを、「教育勅語」の精神で考えることを主張する人々の中に、安倍首相のブレーンである八木秀次氏(麗澤大学教授・法学者)がいる。二〇〇六年「新しい教科書をつくる会」から独立してつくられた一般社団法人「日本教育再生機構」の理事長などとして活動している。八木氏はこう述べている。

 「『国を愛する心』は自分がその国に生まれたことを宿命として受け止め、国と運命を共にする覚悟、場合によっては国のために『死ぬ』ことすら厭わぬ『愛国心』」だと表明している(「保守派の油断がもたらす危機――教育基本法改正に仕込まれた革命思想」、『正論傑作選 憲法の論点』所収、『正論』編集部編、発行・産経新聞ニュースサービス、発売・扶桑社、二〇〇四年、二七七頁)。まさに、「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」ということだ。

 これは二〇〇六年に改正施行されることになる「教育基本法」を批判してのものだ。改正「教育基本法」が「国と郷土を愛する心」などという文言を入れているが、その国とは、「『新しい「公共」』の別名に他ならず、人々の社会契約によって『つくられる』国家のことである」、だがそれは「日本の歴史を継承する歴史的な存在としての日本人ということではない」(前掲二七七頁)との理由からだ。

 

●教育勅語と戦後教育基本法は矛盾しない――「道徳教育」の欠損という主張



こうした八木氏の主張の論点は、「教育基本法――その知られざる原点」(『誰が教育を滅ぼしたか』、PHP、二〇〇一年)に展開されている。それは一言でいうならば、戦後の教育基本法は、教育勅語(の精神をもった道徳教育)を排除するものではないという主張である。

 戦後一九四八年、衆議院と参議院で教育勅語に対する排除、失効の決議が行われたが、その一年三カ月前に、制定・施行されたのが「教育基本法」だった。その「教育基本法の起草に携わった日本側関係者は何れも教育勅語の道徳的権威を主張し、教育勅語との両立を前提に教育基本法の制定を構想していた」(一〇〇頁)というのが主張としてまずある。つまり、八木氏の言葉で戦後教育基本法の「立法者意思」は「教育勅語擁護」だったということだ。文部大臣など一人ひとりがどう考えていたかが詳論されているが、ここで扱う余裕はない。

八木氏は次のように展開してゆく。両院における教育勅語の廃止決議は、GHQの発意・主導でなされた。だが、教育勅語自体、明治期における「教育荒廃」を背景としてうまれたものであった。その教育勅語を廃止し、こうして「戦後教育は…教育勅語を失った形で出発した」。「私は教育勅語そのものに拘っているわけではない。教育勅語の復活を主張したいのでもない。私がここで言いたいのは、今日の教育の『危機』を目の当たりにした時、そもそも教育勅語が担うべきことを想定されていたために教育基本法には積極的には規定されなかった道徳教育の理念をもう一度、『基本』に立ち戻って補充する必要があるのではないかということである」(前掲一一三頁)というわけだ。

こう見てくると、現政権が今年(二〇一七年)三月三一日にした「教育勅語」に関する閣議決定での論法、「学校において教育に関する勅語をわが国の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切」としつつ「教育基本法などに反しない形で教材として用いる」ことはできるということになるだろう。

安倍首相らは、森友学園は切ったとしても、それで愛国教育を否定するとはならない。まさに弥縫策としての閣議決定だ。まさにこの閣議決定は、一九四八年に行われた、教育勅語に対する立法府の「排除・失効」決定を破壊することを意味する。

※この「閣議決定」は、民進党・初鹿明衆議院議員が提出した質問趣意書(教育勅語を学校教育で使用することを禁止することを求める旨のもの)に対してのものであった。



●稲田朋美氏の教育勅語擁護



こうした教育勅語擁護の姿勢は、安倍内閣では顕著である。例えば、稲田朋美防衛相(二〇一七年六月現在)などは、二〇一七年三月八日の参議院予算委員会で、社民党の福島瑞穂副党首が、稲田朋美氏が、〇六年に月刊誌の対談で「教育勅語の精神は取り戻すべきだ」と述べたことに対し、「教育勅語が戦争への道につながったとの認識はあるか」と質問したのに対し「そういう一面的な考えはしていない」と反論した。また、「親孝行や友達を大切に」とかが「核の部分」であり、「道義国家をめざすこと」が中心だとの内容を答弁した。

安倍内閣の閣僚のうち神道政治連盟に所属している閣僚が大半をしめているといわれるのも、うなずけるというものだ。

たとえば稲田朋美氏などの場合、以下のような関係が展開している。稲田氏は生長の家学生会全国総連合や、反憲法学生委員会全国連合を生みだす生長の家の創始者・谷口雅春の『生命の実相』から影響を受けているようだ。二〇一二年四月(衆議院議員二期目)に、靖国神社でおこなわれた「第六回東京靖国一日見真会」で、「ゲスト講演」した稲田氏は、祖母から受け継いだ古く、何十年も読み込まれた『生命の実相』(の中の一冊)を参加者に見せて、講演したことがあったという。



●安倍と松井大阪府知事を結び付けた八木氏



実は、この八木氏の「日本教育再生機構」の「日本教育再生機構大阪」が、二〇一二年二月二六日に大阪でおこなった「教育再生民間タウンミーティングin大阪 教育基本条例の問題提起とは」というシンポジウムで、安倍晋三氏(当時・元首相)と松井大阪府知事が出会い、八木氏がとりもって、教育理念などの問題で、意気投合したのが、森友学園「忖度」問題のそもそもの始まりだという分析がある。

大阪教育基本条例とは何か

 二〇一二年三月に施行された「大阪府教育行政基本条例」は、その第四章冒頭で、教育振興基本計画の策定において、「知事は委員会(大阪府教育委員会のこと―引用者)と協議して基本計画の案を作成するものとする」とある。これが首長の教育委員会への介入であるとして、大阪のさまざまな教員組合などがこの条例に反対している。また、第九条四項においては「委員会」は生徒らへの「指導」が不適格な「教員」に対し「免職その他の必要な措置を厳正に講じなければならない」としている。これが、不当解雇攻撃を正当化するものであることは、火を見るより明らかだ。こうして、「教育の正常化(右傾化)」、教育労働運動の解体を促し、日の丸教育をつくっていこうとする意図がはっきりと表明されている。

まさに、「日本教育再生機構大阪」が開いた、二〇一二年二月二六日のシンポジウムは、こうした条例の成立とリンクしている。 



●全部つながっている



そもそも安倍首相は日本会議の会員(同会議の「国会議員懇談会」)であり、森友学園の当時・理事長だった籠池泰典氏は、日本会議大阪支部「運営委員」にもなった。また籠池氏の娘の「瑞穂の國記念小学院準備室長」籠池町浪氏は、例えば二〇一七年三月一九日開催の「シンポジウムin芦屋 これからの歴史教育を話し合おう」に講師として参加が予定されていた(見合わせたという)が、そのシンポは「日本の歴史文化研究会」と「日本教育再生機構兵庫」の共催だった。その「日本教育再生機構」の理事長である八木氏も日本会議系右翼学者にほかならない。

さらに前記、「小學院」の「名誉校長」に安倍昭恵氏が就任した時、二〇一五年九月の同学園の「塚本幼稚園」での講演会では、「瑞穂の國記念小學院を語る」との演題で講演した安倍昭恵氏は「せっかくここで芯ができたものが、(公立)学校に入ったとたんに揺らいでしまう」とまで言い放ったのである。

また、この日本会議の事務方は、菅野完『日本会議の研究』(扶桑社新書、二〇一六年)が詳論しているように(特に二五〇頁以降)、かつての右翼学生運動「反憲学連」(反憲法学生委員会全国連合)のOBたちが担っている側面をつよくもつものである。まさに安倍首相側、大阪維新の会、籠池氏ら森友学園、日本教育再生機構、日本会議は、すべて、天皇主義・愛国教育で一体なのである。



●「トカゲの尻尾切」は成功するか



それが今回の森友問題で、「籠池なんて知らない」となり、籠池氏が国会の証人喚問(二〇一七年三月二三日)のとき、「トカゲの尻尾切にならないように」との籠池氏の発言となっていった。このトカゲの名前こそ「日本会議」だということだ。

日本会議は大阪支部が、二月一七日(二〇一七年)、籠池氏が「大阪支部長」だと報道した、週刊文春と週刊新潮に、「支部長ではない」旨の訂正記事を要求した抗議文を送っている。さらに、日本会議事務総局は、三月一三 日、「六年前の平成二三年一月に本会を退会されている」との文書を同組織の国会議員懇談会の各議員に配布などしている。関係性を否定したいとの考えからだろう。

大阪維新の会の松井大阪府知事は、籠池氏が国会の証人喚問で「松井知事に梯子をはずされた」と述べたことに対し「当たるところは僕しかないのか、痛々しくかわいそう」などと皮肉るなど、無関係を装っている。

また、稲田朋美防衛相(二〇一七年六月現在)も「一〇年ほど会っていない」「関係は、私にはない。断っている」と国会で答弁しているが、稲田氏は籠池氏が会員として参加してきた「関西防衛を考える会」の「特別顧問」をしてきた。一方籠池氏は例えば二〇一一年からは大阪護国神社で同会などが開く花見の実行委員長をするなどしてきた人だ。だが関西防衛を考える会は、「塚本幼稚園」などへの寄付などは一切していないと切り捨てに必死だ(『AERA dot』三月一七日、一六:三一「愛国爆弾が国会で炸裂へ」参照)。

また安倍首相は籠池氏との関係について二月一七日の国会では、「妻から森友学園の先生の教育は素晴らしいと聞いている。いわば私の考え方に非常に共鳴している」といっていた。だが二月二七日には「教育の詳細は承知していない。安倍首相がんばれと園児に言ってもらいたいということは全くさらさらない」となり、二八日には「(籠池理事長と)個人的関係は全くない」と国会での答弁を籠池氏との関係否定に変えていった。籠池氏とつながっていた人々がトカゲの尻尾切におわれ、この問題を早く終わらせたいとやっきになっている。この人たちにとって、ほとぼりが冷めるまでは、森友学園を媒介に作られたいろいろな関係性を後景化させたいところだろう。

一九八〇年代のリクルート事件では、天皇主義者・中曽根康弘前首相(当時)が、自民党を離党に追い込まれ内閣は総辞職、その後の第一五回参議院通常選挙では自民党は建党史上、初めての参議院過半数割れをおこして惨敗するなど自民党にとっての政治危機を招いた。この間の森友問題では、安倍首相は「私や妻が関わっていたということになれば、…間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきりと申し上げておきたい」(二〇一七年二月一七日、衆議院予算委員会)と言い切っている。だからこそ籠池氏を「トカゲの尻尾切」にして、逃げ切ろうとしているのだ。(2017627



(初出:『人民新聞』No.16162017525日号第四面、「籠池氏との関係を懸命に否定する日本会議 天皇主義愛国教育で一体――安倍首相・維新の会・森友学園・日本会議」に大幅、加筆)

2017年5月17日水曜日

「帝国主義論の方法」について――宇野経済学とレーニン『帝国主義論』の異同に関するノート   /渋谷要




●「帝国主義論の方法」について-―—宇野経済学とレーニン『帝国主義論』の異同に関するノート

渋谷要



「帝国主義」という概念を経済学として考えるとき、「帝国主義的独占」ということの内容が、問題とならねばならないだろう。それは、いかに・どのような構造かということだ。これが、帝国主義段階の「段階規定」の核心をなす問いである。

そこで問題とされるべきなのは、これから見るようにレーニンの「帝国主義の段階規定」では、まだ、資本主義原理論との間の、「区別」が<なされているようで、なされているわけではない>という問題があるのだ。

これを指摘したのが、宇野弘蔵(1897~1977)だった。

端的には、つぎのようなことだ。帝国主義的「独占資本」の規定をめぐっては、レーニン「帝国主義論」における「独占」概念の分析の方法をめぐり、マルクス経済学者・宇野弘蔵が「「帝国主義論」の方法について」(「「資本論」と社会主義」岩波書店、所収、初版1958年)で、そのレーニンの帝国主義的独占の概念規定が方法論的に限界があるというよりも、外れていると、指摘した問題である。

それは、レーニンが「独占」を、資本主義の一般的な「資本の過剰・集積」の延長上に「自由競争から独占資本へ」と解いたのに対し、宇野が、帝国主義段階における資本蓄積の特殊段階論的位相がそれでは明らかにできないとして、ドイツ鉄工業と金融資本の直接的一体化による株式会社制度の普及・証券投資の増殖に注目し、イギリスのような「資本の輸出」に金融資本化の根拠を求めることとは区別される、ドイツ(やアメリカ)のような、国内の直接産業企業と大銀行の金融資本的一体化による「独占」体の形成こそが、帝国主義的独占の特殊性の出発点だとした問題、まさに「金融資本が国内の生産過程に直接的に基づいて形成せられた点に」(宇野・前掲)その帝国主義的独占の規定をもとめ、それが、「資本の輸出」の、帝国主義段階における前提として、その上で解かれるべきとした問題としてあるということにほかならない。

だが結論はあせらず、宇野の「帝国主義論の方法について」(1955年11月『思想』岩波書店、1958年、『「資本論」と社会主義』、岩波書店、所収)を読むことから始めよう。

「レニンの『帝国主義論』は、君もご承知のように、その第一章で『独占』を説くのでありますが、それはマルクスが『資本主義の理論的および歴史的分析によって、自由競争が生産の集積をうみだし、そしてこの集積はその発展の一段階では独占をもたらすことを論証した』(レニン『帝国主義論』邦訳国民文庫版二六頁。以下頁数指示の引用はすべてこの邦訳本による)ということを基礎にしています。この点、僕が最初から所謂重工業のような特定産業における資本集積の増大と固定資本の巨大化とによって、独占を説いているのとは、非常に異なっています。たしかに『資本論』における資本の集中、集積の理論は、レニンの考えるような独占への傾向を説くものといってよいふしがあります。しかし、その点は、実は僕としてはとりえないのです。資本の集中、集積の増進は、一定の段階では独占になるといえば、誰も疑問とするところは内容に考えられますが、よく考えてみると、そういう考えの裏には常に一定の市場を想定し、特定の産業を予想するということがあるのではないでしょうか」と宇野は言う。

 宇野が指摘するポイントを、結論から言うと「帝国主義の根底をなす金融資本による『独占』は、決して原理論的に規定されるような『独占』一般としてでなく、特定の歴史的意味を持ったものでなければなりません」ということである。

まずもって宇野がそこで、レーニンの『帝国主義論』の論述方法を直接問題視して指摘したことは、「『資本論』がその原理論の展開に際してあげる具体的事実は、その内に原理を具体的に示す例証としてである」ことに対し「帝国主義論のような段階論になると、具体的事実はもはや単なる例証であってはならないのです。それはタイプの問題になるのです」ということだ。だが「レニンのは『帝国主義論』では、事実がどうも『資本論』と同じように、何か理論の例証として引かれているかのように考えられるふしがある」というのである。

だから、これから後述するように、イギリス、フランスと、ドイツ、アメリカでは、「金融資本」といってもタイプが違うのに、ごちゃまぜに論じており、それによって、後述するように「ドイツが独占的な金融資本の典型的発展を見た国」とはされず、むしろレーニンは、ドイツを「特別扱い」するな、イギリスも、「いくらかおくれて」「別の形態で」「独占をもたらしつつある」としているというわけである。だが、宇野は「ドイツとイギリスの相違は、もっと重視されなければならない」と強調する。ここでは「独占」「金融資本」の在り様がタイプとして違うことが問題とされるべきで、「独占」「金融資本」に、単になっているか、いないかということではない。

また、後述するように、「帝国主義段階に特有な」「資本の輸出」も、「帝国主義的独占」と、それをつくる「資本の過剰」の「特殊の形態を明らかにした上で説かれるべきではなかったか」と、展開する。

まずこのタイプの問題だが、宇野は次のように、ドイツとイギリスのタイプの違いを指摘する。

「僕自身は、一方にドイツをとり、他方にイギリスをとる方法をとっていますが、そしてアメリカはなお第一次世界大戦までは典型的なものとしてでなく、単に補足的に採り上げられるにすぎないものとして扱ったのですが、それはもちろんドイツ、イギリスの両者に共通な金融資本化の傾向は認めながら、その相違を明らかにすることによって、始めて金融資本の意味も明確にされ、金融資本的『独占』も解明されると考えたからです。独占にしても僕は、それを単なる「独占」としてでなく、『組織的独占』とか『独占体』とかという言葉で表したわけです。もちろん僕もイギリスにおける独占企業の出現を否定するわけではありません。しかしそれはドイツのように大銀行との聯関をもった「独占体」と一様に扱うことはできないと考え、むしろ後者にこそ金融資本の典型が、しかもその積極的な面が認められると思ったのです。イギリスの場合は、これに対して「資本の輸出」にその金融資本化の根拠が求められる。したがってまた同じ金融資本にしても、ドイツの場合のように直接産業企業と大銀行との金融資本的一体化による『独占』は認められないといってよいのです」。「ドイツの場合にはその金融資本が国内の生産過程に直接的に基づいて形成せられた点に、その基本的規定をあたえられるものとした」のだが、それと、イギリスとの相違は、「僕の考えでは、イギリスの資本主義がその蓄積の一部を早くから海外投資に向けてきたということと産業企業の株式会社化が徹底しなかったということとの、相関聯する二つの事実によるものと解しています」ということになる。

宇野はレーニンの「独占」概念が、商品生産と私的所有制の一般的環境→生産の集積→独占→銀行と産業の融合・癒着という形成過程を描いているが、「銀行と産業の融合・癒着」について「株式会社制度の産業企業における普及によってはじめて実現されるのであって、レニンも実際上は株式会社制度の発展によって説きながらその点を明確にしてはいないのです」とする。

宇野の論点は、ここから、レーニンの「独占」概念を導いた論述・分析方法の問題などを細かく論及することになるが、本論としては、まず、帝国主義に特有な「資本の輸出」との関係で、この部分を取り上げることにする。

「ドイツ、アメリカが株式会社形式を極度に利用して資本家的独占組織を発展せしめるのに対して、イギリス、フランスが多かれ少なかれ金利生活者的傾向を示していることを示すと思うのですが、『資本の輸出』という場合にも、この区別が考慮されてよかったのではないでしょうか」。そこから宇野の分析は、レーニンの「資本の輸出」「資本の過剰」の概念問題に入るのだが、ここで、レーニンの「帝国主義」の概念規定について、おさえておこう。



●レーニンにおける「帝国主義」の概念規定



レーニン「帝国主義論」の基本視座から引用していく。

a.次の五つの基本的標識を含むような帝国主義の定義を与えねばならない。すなわち、(1)生産と資本の集中が高度の発展段階に達して、経済生活で決定的な役割を演じている独占体をつくりだすめでになったこと。(2)銀行資本が産業資本と融合し、この「金融資本」を基礎として金融寡頭制がつくりだされたこと。(3)商品輸出とは区別される資本輸出が、とくに重要な意味をもつようになること。(4)資本家の国際的独占体が形成されて、世界を分割していること。(5)巨大な資本主義列強による地球の領土的分割が終わっていること。

 帝国主義とは、独占体と金融資本との支配が成立して、資本の輸出が顕著な重要性をもつようになり、国際トラストによる世界の分割が始まり、巨大な資本主義諸国による地球の全領域の分割が終わった、そういう発展段階の資本主義である」(選集2、大月書店、758頁)。



b. 「1生産の集中と独占体」

「マルクスは資本主義の理論的および歴史的な分析によって、自由競争は生産の集中を生みだし、この集中は一定の発展段階で独占に導くということを証明した点…生産の集中による独占の発生は総じて資本主義の現在の発展段階の一般的・根本的な法則なのである」(700701)。「(北アメリカ合衆国では)国の全企業の総生産の約半分が企業総数の100分の一ににぎられている。そしてこれら3000の巨大企業は、258の工業部門にわたっている」。



.「2銀行とその新しい役割」、「3金融資本と金融寡頭制」

「生産の集中、そこから生まれてくる独占体、銀行と産業との融合あるいは癒着、――これが金融資本の発生史であり、金融資本の概念の内容である」(選集②723)。「少数者の手に集中され、事実上の独占的地位を占めている金融資本は、会社の創立や、有価証券の発行や、国債等々から巨額の、しかもますます増大する利潤を獲得し、こうして金融寡頭制の支配を強化し、社会全体にたいして独占者へのみつぎ物を課している」(728)。

「金融資本の主要な業務の一つである有価証券発行の異常に高い収益性は、金融寡頭制の発展と強化のうえできわめて重要な役割を演じている。『国内には外債発行のさいの仲介に匹敵する利益をもたらす事業は一つもない』と、ドイツの雑誌『バンク』は書いている」(730)。

金融寡頭制がもっとも進んでいる国を知るには「証券発行統計、すなわちあらゆる種類の有価証券の発行高の統計によって、判断することができる。「国際統計研究所報」のなかで、A、ネイマルクは、全世界の有価証券発行に関するきわめて詳細な、完璧な、また比較可能な資料を発表している。…この資料によれば、およそ一〇〇〇億から一五〇〇億フランの有価証券を所有している四つのもっとも富裕な資本主義国が、くっきりときわだっていることが、一目瞭然である。これらの四つの国のうち二つは最も古いそしてあとでみるように、植民地をもっとも多くもっている資本主義国、イギリスとフランスであり、他の二つは、発展の速度と生産における資本主義的独占体の普及の制度との点で先進的な資本主義国アメリカ合衆国とドイツである。これら四つの国は合計して490億フラン、すなわち全世界の金融資本の80%近くをもっている。それ以外のほとんど全部は、なんらかの形で、これらの国々 -国際的銀行家、世界金融資本の四本の「柱」――に対する債務者と貢納者の役割を演じている」(七三四~七三五)。



.「4資本の輸出」

「イギリスのこの独占(世界交易の―引用者)は、19世紀の最後の四半世紀にくつがえされた。なぜなら、一連の他の国々が、『保護』関税にまもられて、自立した資本主義国家に発展したからである。20世紀に入るころには、われわれは他の種類の独占が形成されたのを見る。第一は資本主義の発展したすべての国々で資本家の独占団体が形成されたことであり、第二は、資本の蓄積が巨大な規模に達した少数のもっとも富んだ国々の独占的地位が形成されたことである。先進諸国には膨大な『資本の過剰』が生じた。…資本主義が依然として資本主義であるかぎり、過剰の資本はその国の大衆の生活水準を引き上げることにはもちいられずに――なぜなら、そうすれば資本家の利潤は低下することになるから――外国へ、後進諸国へ資本を輸出することによって利潤を高めることにもちいられる。これらの

後進国では利潤は高いのが普通である。なぜなら、資本は少なく、地価は比較的低く、賃金は低く、原料は安いからである。資本輸出の可能性は、一連の後進国がすでに世界資本主義の循環のなかにひきいれられ、鉄道幹線が開通するか敷設されはじめ、工業発展の基礎条件が保障されている等々のことから生じる。また、資本輸出の必然性は、少数の国々では資本主義が『爛熟し』、資本には「有利に」投下される場所がない(農業の未発達と大衆の貧困という条件のもとでは)ということから生じる」(レーニン②735~736)。

(これらが、→「5 資本家団体の間での世界の分割」「6 列強のあいだでの世界の分割」への起点にほかならない)。



e.「5 資本家団体のあいだでの世界の分割」

「資本主義のもとでは、国内市場は不可避的に国外市場と結びついている。資本主義は、はやくから世界市場をつくりだしている。そこで、資本輸出が増加し、巨大独占団体のあらゆる対外的および対植民地的結びつきと「勢力範囲」とが拡大するにつれて、事態は「おのずから」これら独占団体の間の世界的な協定に、すなわち国際カルテルの結成に近づいていった。これは資本と生産の集中の新しい段階であ」る(740)。

「金融資本の時代には、私的独占と国家的独占がたがいにからみあっていること、また、前者も後者もともに、実際には巨大独占者たちのあいだで世界を分割するための帝国主義的闘争の個々の環に過ぎない」(745)。「国際カルテルは、いまや資本主義的独占体がどの程度に成長したか、また資本家団体のあいだの闘争がなんのためにおこなわれているかを、示すものである」(746)。「資本家は世界を「資本に応じ」「力におうじて」分割する」。「資本家団体のあいだには、世界の経済的分割を基礎として一定の関係が形成され、…これにともなって…国家のあいだには、世界の領土的分割、植民地のための闘争、「経済的領土のための闘争」を基礎として、一定の関係が形成される」(745)。



f.「6 列強のあいだでの世界の分割」

「この時期の特徴は地球の最後的分割である。…再分割が不可能だという意味ではなく――それどころか、再分割は可能であり、不可避である――、資本主義諸国の植民政策が、地球上の占有されていない土地の略奪を終えたという意味である」(747~748)。

「われわれはいま世界的植民政策という独自の時代にあるわけであって、この政策は、「資本主義措ける最新の段階」と、金融資本と、固く結びついている」(748)。「資本輸出の利益も、同様に、植民地獲得を促す。…金融資本を基礎として発達する経済外的な上部構造、すなわち金融資本の政策やイデオロギーは、植民地獲得の欲求を強める」(754~755)。



g.「7 資本主義の特殊の段階としての帝国主義」

「事の本質はカウツキーが帝国主義の政策をその経済から切り離し、併合を金融資本の『好んでもちいる』政策であると説明し、この政策に、彼によれば同じ金融資本を基礎として可能であるという他のブルジョア的政策を対置している点にある。…資本主義の最新の段階のもっとも根本的な矛盾の深刻さを暴露するかわりに、それらの矛盾をあいまいにし、やわらげることになり、マルクス主義のかわりにブルジョア改良主義が生じることになる」(761)。

h.「8 寄生性と資本主義の腐朽」

「金利生活者国家は、腐朽しつつある資本主義の国家であり、そしてこの事情は、一般にはその国のあらゆる社会政治的条件に、とくに労働運動内の…潮流に反映せずにおかない」(769)。「労働運動の内部でも、いま大多数の国で一時勝利を占めた日和見主義者が、まさにこの方向にむかって系統的にたゆみなく『働いでいる』ことだけを、つけくわえておくべきであろう。帝国主義は、世界の分割と、中国に限らない他国の搾取を意味し、ひとにぎりのもっとも富裕な国々が独占的高利潤を手にいれることを意味するので、それは、プロレタリアートの上層部を買収する経済的可能性をつくりだし、そのことによって日和見主義をはぐくみ、形づくり、強固にする」(771)。「日和見主義は、いまでは、十九世紀の後半にイギリスで勝利を得たように、数十年の長期にわたってある一国の労働運動内で完全な勝利者となるなることはできない。しかしそれはいくたの国で最後的に成熟し、腐朽してしまって、社会排外主義の形で、ブルジョア政治と完全に融合しているのである」(774)。

「『二十世紀はじめのイギリス帝国主義』を研究した一ブルジョア研究家は、イギリスの労働者階級について述べるさい、労働者の『上層』と『本来のプロレタリア的下層』とを系統的に区別することをよぎなくされている。…いま記述している一群の現象と関連のある、帝国主義の特質の一つとして、帝国主義諸国からの移出民の減少と、賃金の安い、おくれた国からくるこれらの国への移入民(労働者の流入と一般の移住)の増大とがある」(772)。  

「帝国主義は、労働者のあいだでも特権的な部類を分離させ、これをプロレタリアートの広範な大衆から引き離す傾向をもっている」(773)。

以上がレーニン「帝国主義論」の要点だ。



●レーニンによる「金融資本の支配」説明の限界



ここで、もう一度、帝国主義段階を画期する、「株式資本」=「金融資本」の存在の措定の仕方を確認しよう。

「かれは、帝国主義段階における有価証券の巨額な増大を示し、これをもって金融資本の支配の指標とする。したがって世界的規模での金融資本の支配は、いまや「富裕な本主義国」の有価証券所有と、「それに対するその他のほとんどすべての世界」の「債務者と貢納者の役割」(全集㉒276頁)への転落をもって特徴づけられることになる。銀行と産業と

の癒着にもとづく組織的独占体の形成という意味での『金融資本の支配』は、ここではその内容を抜きさられ、たんなる有価証券所有の優劣、つまりレントナー化へと形式的に一般化されることになっている。そしてまた、このように『富裕な資本主義国』の国際的レントナー化をもって、『金融資本の依存と連絡との国際網の創出』(同)と規定することによって、ここから『資本の輸出』の問題、もみちびきだされているのである」(降旗節雄『帝国主義論の系譜と論理構造』二一五頁)。



ヒルファーディングの説明



 こうした宇野学派のレーニンに対する違和は、ヒルファーディングの次のような、段階規定での立論を媒介としている。降旗節雄『宇野経済学の論理体系』(社会評論社)では、つぎのようである。

「ここでヒルファーディングは次のように言う。

『資本主義の発展は、それぞれの国で土着的におこなわれるのではなく、むしろ資本といっしょに資本主義的な生産および搾取関係が輸入されるのであり、しかも最先進国で到達された段階においていつも輸入されたのである。それは、ちょうど今日あらたにうまれる産業が、かならずしも手工業から出発し、手工業的技術をへて近代的大経営に発展するのではなく、最初方高度資本主義企業として創立されるのと同様に、資本主義もまた今日では、そのときどきの完成された段階において、あらたな国に輸入されるのであり、したがって、それは例えばオランダやイギリスの資本主義的発展が必要としたよりもはるかに大きな重圧をもって、はるかに短い期間において、その革命的作用を展開する』。(ヒルファーディング(岡崎次郎訳)『金融資本論』下、岩波文庫版、八五頁)

 ここで示されている資本主義の発展についての理解は、マルクスの資本主義認識にはまったくなかったものである。マルクスの場合、後進国はつねに先進国の後をおうにすぎなかったのに対して、ヒルファーディングにあっては関係は逆転する。

『はじめはドイツ資本主義発展のたちおくれにもとづいた一事情が、結局はイギリス産業に対するドイツ産業の組織上の優越の一原因ともなったわけである。イギリスの産業は有機的に小さな始まりから、しだいに発展して後に大きくなった協業とマニュファクチゥアが生まれ、工場はまず主として紡績業という比較的小資本しかいらない産業で発展した。それは組織の点では主として個人経営にとどまった。株式会社ではなくて個人資本家が支配権をにぎり、資本主義的には個別産業資本家の手にとどまった。……そこ(ドイツ)では、もとより資本主義の発展はイギリスのそれを後から一々追ってゆくことはできなかった。むしろ先進国のすでに到達した段階を、技術的にも、経済的にも、できるだけ自国の到達点にしようとの努力がなされざるをえなかった。とはいえ、最高度に発展した諸産業で生産をイギリスのすでに到達した規模でおこなうには、企業が個人企業であるかぎり、個々人の手における資本の蓄積が必要だったが、そのような蓄積はドイツにはなかった。そこで、ドイツでは株式会社は、ドイツの形態にもイギリスの形態にも共通な機能のほかに、所要の資本を調達する機関となるという新たな機能をもった。……産業で株式形態を有利にした同じ原因が、銀行をもまた株式銀行として発生させた。だから、ドイツの諸銀行は、はじめからドイツの産業株式会社に所要の資本を融通するという任務、したがって流通信用だけでなく資本信用をも扱うという任務をもっていた。だからはじめから産業に対する銀行の関係は、ドイツでは、そして――部分的に、ちがった形態で――アメリカでも、イギリスとはまるでちがわざるをえなかった。この相違は、なかんずくドイツの後進的な、おくれて形成された資本主義的発展に由来するが、逆に、産業資本と銀行資本とのこうした内面的むすびつきは、ドイツおとびアメリカにおけるヨリ高い資本主義的組織形態のへの発展において重要な一契機となった』(前掲、五一~五三頁)。

 このヒルファーディングの文章に示されているのは、資本主義的発展における先進国と後進国の逆転の論理である。一九世紀中葉最大限の個人企業的発展をとげたイギリスと、資本蓄積のきわめて遅れたアメリカ、ドイツという二つの類型の資本主義国家において、「最高度に発達した諸産業」つまり固定資本の巨大化した重工業部門を基幹産業として定着せしまざるをえないという状況が発生した。この解決は、いかにスムーズに株式会社形式を産業企業に普及させるかにかかっていた。イギリスにおける個人企業の全面的発展は、株式会社形式の採用に阻止的に働き、アメリカ、ドイツでは、その資本蓄積の後進性がかえって促進的に作用した。こうして生産力の発展における逆転が生じたというのである。宇野は、このヒルファーディングの把握を、かれの段階論的認識の前提として採用した」(降旗前掲一二七~一二八頁)。

 

●宇野・帝国主義論の核心



 以上のような宇野の「帝国主義」分析の核心を降旗は次のように説明する。

「宇野教授の帝国主義段階把握の核心は、次の文章である。

『自由主義時代の基礎をなした産業資本は、原則的には、原理的に説かれる資本の蓄積のように、個々の個人資本家の蓄積による綿工業の発展にみられたのに対して、帝国主義時代は、株式会社による最初から資本家社会的に集中せられた資本をもって行われる比較的大規模なる固定施設をもった鉄工業などの重工業がドイツのような後進国では却っていわゆる金融資本なるあらたな資本のタイプを形成する基礎となるのであった。それはもはや産業資本のように個々の資本家としての競争を貫徹せしめることよりも、むしろいわゆる独占的利益を求める特殊の組織の形成を容易にするものであった』(「経済政策論・改訂版」、弘文堂、一五三頁)。

 つまり教授にあっては、『世界の工場』として一九世紀中葉までの資本主義の発展を規定したイギリス資本主義と対抗しつつ、かつその影響のもとに資本主義化を実現せざるをえなかった後発資本主義国ドイツにおける資本蓄積の特有のあり方が、帝国主義段階の資本の存在様式の基本的タイプとされているのであって、帝国主義段階の支配的資本としての金融資本は、最初から一定の時と所とに限定された具体的歴史性において把握されているのである。このように把握された金融資本の特質を、いま、前節の最後で要約した、レーニン帝国主義論のもつ問題点との対比において示せば次のようになろう」(降旗前掲二九二頁)。

「レーニンは、帝国主義段階の資本主義の「最もいちじるしい特質の一つ」として「生産の集積」をあげ、しかもこれを資本主義の基本的特質である自由競争の必然的結果として把握していた。産業資本における『生産と資本の集積』の一定の発展が、資本主義的独占の成立根拠をなすというわけである。これに対して宇野教授は、帝国主義段階に支配的な金融資本の成立の根拠として、『資本集積の増大と重工業における固定資本の巨大化』をあげる。つまりこの場合の『資本の集積』は、『すでに産業資本による資本主義の一定の発展を基礎とするものではあるが、単にその拡大とはいえないものを含む』(『政策論・改訂版』一五七~八)のであって、一九世紀後半における重工業の特殊な技術的発展に支えられて異常な固定資本の巨大化をみちびき、かつそれに規定された資本の集積なのである。しかもこの場合、一九世紀中葉までの資本主義の発展における基幹産業が綿工業だったのに対して、一九世紀末葉からは鉄工業がその地位を取って代わったのであって、このような基幹産業の交替自体は、たんなる競争による大規模生産の創出と小規模生産の駆逐とから必然的に生ずるものではない。……(それらは――引用者・渋谷)たんなる資本集積の増大という一般的論理からはみちびきえない、産業資本としての綿工業を基幹産業とする資本主義の特定の発展段階が、いわば技術的に生み出した技術的現実なのである。そして資本主義的生産は、それが支配的生産様式たるかぎり、このような特殊な歴史的現実をも、それ自身の運動によって処理しなければならないのであるが、そのためには、もはや産業資本は適合的な資本形態たりえないことになる。資本の所有と経営とを分離しつつ、一応その所有から離れて支配を異常に集中しうる株式会社形態が、まさにこのような歴史的現実に適合的な資本形態として登場せざるをえないのである」(降旗前掲二九三頁)。

「株式会社形態においては、資本は、現実資本と株式としての資本とにその存在を二重化される。そしてこのことは、現実資本から分離して株式がいわゆる擬制資本として売買されることによって、資本は現実資本としては依然としてG―W…PW´―G´として存在しつつ、資本市場を通して流動化されるという特殊な運動を可能にするとともに、直接株式売買をとおしてあらゆる社会的資金が生産過程に動員されることをも可能にする。株式会社は『社会的に蓄積せられた資金から、事業の経営に必要な任意の額の資本を調達するという資本主義社会に特有な資本家社会的なる機構を一般的に確立する』(『政策論・改訂版』一六八~九頁)資本形式をなすのである。個人資本の集積によってでなく、既存の資本の社会的集積をとおして、一挙に巨大な資本蓄積を実現しうる株式会社は、かくて巨大固定施設をもつ重工業を、しかも後進資本主義国において、資本主義的に確立するためのもっとも適合的な資本形態となった」(降旗前掲二九三~二九四)。

「以上のような性格をもって、重工業を巨大企業として実現する株式会社は、銀行に対しても特有の関連を要請することになる。つまり、いわゆる商業銀行としての流通信用的関係をこえて、直接資本信用を供与するとともに、株式会社形式は銀行側でもこの資金を新株式の発行によって回収することを可能にするのであり、さらに銀行自身も発行業務をとおして操業利得を獲得しうることになる。巨大産業企業と銀行とは、このような株式会社形式をばいかいとして癒着し、相互に益々巨大化しつつ、銀行を中心とする特有の組織的独占体を形成することになる。以上のような重工業における固定設備の巨大化、株式会社によるその巨大企業としての実現―株式会社形態を媒介とする産業と銀行の癒着―組織的独占体の成立という一連の過程は、19世紀末葉のドイツにおいて最も典型的に実現された。これは結局、『不断の過剰人口を基礎とする労働力の商品化』を社会的基礎とする金融資本的遅奇跡様式として、重商主義段階における商人資本、自由主義段階における産業資本に対して、帝国主義段階の支配的資本形態たる位置をしめることになる。しかし、重商主義段階、自由主義段階と違って、この帝国主義段階の特質は、それまでのイギリス資本主義を典型とする世界史的過程に対して、後進国ドイツがその後進性をいわば優越条件に転化せしめつつ積極的参加を実現した点にあるのであって、その支配的資本としての金融資本も、この『ドイツの進出的な役割に対してイギリスが防衛的立場に立つ』(宇野前掲『経済政策論』、一九一頁)という帝国主義国同士の対立関係によってきていされているのである。したがって、イギリス羊毛工業やイギリス綿工業において典型的に示された商人資本や産業資本と異なって、金融資本は『積極的にはドイツ重工業の発展に規定されつつ、イギリスにおいて特殊の、直接、生産過程に基礎をもつとはいえない形態で発現』(同)するという特有な関連において、いわば相互補足的な二類型の様相をもって実現されることになるのである」(降旗前掲二九三~二九五頁)。 

「帝国主義国による資本進出―植民地領有関係の展開は、歴然と存在する二つの類型にわけれることになる。第一は、イギリスのように、すでに自由主義段階から『世界の工場』、『世界の銀行』としての世界市場におけるその優越的地位を前提として蓄積された資本が、マーチャント・バンカーなどの投資銀行業者の媒介によって海外に向かっていたものであって、帝国主義段階ではいわばその延長線上に発展を見たのである。第二は、ドイツに代表されるような後発資本主義国のそれであって、そこでは国内における基幹産業の独占的組織による支配完了とともに、過剰資本の処理が過剰商品輸出と有機的連関を保ちつつ、大銀行を中心として先進国の支配地域への割り込みとして強行される場合である。…帝国主義段階の資本の輸出―世界の分割とは自由主義段階から展開されてきた先進資本主義国の資本輸出と植民地分割に対して、後発資本主義国における…過剰資本の海外投資が、植民地再分割を要求するという点に特色がある」(降旗前掲二九八~二九九頁)。つまり「帝国主義的対立は、むしろ海外投資にむかうイギリスとドイツに代表される帝国主義国の過剰資本の形成機構自体の差異を基礎として明らかにされねばならない。…たんに各帝国主義国における過剰資本の増大という量的変化の結果ではなかった。…そしてこのような意味での植民地ないし勢力圏の再分割の要求と、それに対する防衛との対抗関係は、結局『戦争によってでも解決せられるほかに途のない対立』(宇野前掲『経済政策論』二五七頁―引用者・渋谷)を必然化することになる。……帝国主義戦争も結局、この特殊な蓄積様式と対応する経済政策の総括的結果として解明されたことになるのである」(降旗前掲三〇〇頁)。
――(ここまで)