2015年3月15日日曜日

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』第7章(社会評論社、2007年刊)(下)

今回が、第7章の 最終回です。一言、注意書きをしますと、ここに論じている「量子力学」は、あくまでも、廣松渉の理解に基づくものであって、それ以外の説や領域に関わるものではありません。




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 ●─ 量子力学─ハイゼンベルクの「不確定性関係」



 一九二〇年代、ニールス・ボーア、ウェルネル・ハイゼンベルクらによって確立した量子力学は、アインシュタインによっては支持されなかった。「神はサイコロをふらない」というアインシュタインの量子力学に投げかけられたことばが残っているように、電子の運動と位置の測定を確率によっておこなうものとした量子論に異和をもったのである。アインシュタインは確率論に対してはいわゆる決定論の方を支持したのだということだろう。

 アインシュタインは或る一定の定数をつかえば電子の位置は予測できると考えたが、アインシュタインに対してボーアらはそういう定数は空想上の概念でしかないと考えたのである。

 ここで古典力学と量子力学との考え方の違いを、簡単におさえておこう。

 古典力学では ①物質は、初期状態を明らかにすればその運動(軌道)を決定できる。②物質の状態は、客観的事実であり、観測によって違いが生じるべきではないということだ。これに対して量子力学は、①物質は、空間的な広がりをもって確率的に存在する。②物質の状態は、観測されることによって変化するということである。

 かかる量子力学の考え方について、その代表的なポイントをなすハイゼンベルクの「不確定性関係」から考えてみよう。

 一九二七年、ハイゼンベルクは「不確定性関係」を定立する。電子の状態の測定で観測したい事は、電子の「位置」と「運動量」の両方である。ニュートン力学では、この二つは同時に測定される論理立てである。ところがトレードオフのように両立しないといったのがハイゼンベルクだったのだ。

 電子の「位置」を測るため光をあてる。すると電子は光にはじき飛ばされる。観測する前とは運動量はすっかり違ってしまう。では電子の運動量を正確に求めようとして光のエネルギーを抑制する。これは光の波長を細かなものから長い波にかえることだ。すると長い波では電子がどこにあるのか、「位置」が解らなくなってしまう。こうして「位置」と「運動量」の両方を同時に知ることは量子力学ではできないということになったのである。観測することが、観測対象である物質の状態を変えてしまうのだ。

 つまり観測とは観測者の観測行為による物理的変化作用をつうじた観測対象総体の物理的状態の観測であり、観測者は同時に被観測的存在であり観測者から外化したところに観測対象は自立的にあるわけではない、測定を考慮した観測の確率的分析が必要になるということなのである。

 廣松渉『事的世界観への前哨』ではつぎのように言われている。

 「古典的発想では、観測的認識とは、対象そのもののあるがままをとらえることだと了解されていた。換言すればそこでは、観測者側(単なる意識だけでなく一定の観測手段をも含む)の・攪乱的影響・は原理上消去できるということ、・攪乱的誤差・を加減的に除去、補正できることが想定されていた。

 しかし例えば或る微粒子を電子顕微鏡で観察する場合、現前するのは電子と微粒子とが・衝突・している瞬間的な一状態なのであって、微粒子そのものが自存する際の状態なるものは原理上観察されない。

 現前するのは常に・知る側・(能知)と・知られる側・(所知)との一体的な状態である。観測とはこのような『能知的所知』=『所知的能知』の現前であって、ここに現前するところのものは、単なる対象的所知でも単なる認識的能知でもない」(一八三頁)。

 まさに「ボーアが『われわれは単なる観客ではなく常に同時に共演者でもある』とい」った「所以である」(前掲一八三頁)。

 まさに「古典力学の世界では人間の意志や主観には無関係に粒子の位置と運動量は精密に決まっている。それが『客観的な存在』というものではなかったか! 位置と運動量についての観測者の認識に不確定性が入るとすれば、それは人間の観測操作のまずさから来る誤差であって原理的なものではない。しかし量子論のいう不確定性はこのような誤差ではなく原理的なものである。とすれば私たち人間は観測器械の性能をどんなに向上させても量子力学的粒子の位置と運動量の双方を精密に知ることは原理的にできないことになる。そのような粒子を果たして『客観的な存在』とみなしてよいものだろうか? こうして量子力学をめぐる認識論的な疑問と論争が始まったのである」(並木美喜夫『量子力学入門』岩波新書。五四頁)。

 まさに人間の認識主観の側の、共同主観性となった一定の対象への関わりを考慮にいれた、主客未分の相での観測ということがいわれている。ここにおいて、物質の状態は客観的事実であり、観測によって違いが生じるべきでないという古典力学の考え方が否定されるにいたったということだ。

 この場合、この量子の位置づけが必要だ。

 素粒子の状態とは、アトムとしての状態ではなく、場の状態とされる。廣松は例えば、朝永振一郎の『量子力学的世界像』(みすず書房)を援用し次のようにのべている。

 「素粒子は・粒子・と呼ばれてはいるが……『場の状態』なのであり、・素粒子の運動・と呼ばれているのは、─実体的運動体の移動運動なのではなく─『場の状態の継起的布置変化』にほかならないのである。素粒子という・物質の構成単位・は、こうして、実態においては、『場の状態』なのであるから、およそ独立自存体ではなく、依他起生(他に依って生ずる)非実体であることが判る」(『哲学入門一歩前』講談社現代新書。四三頁)。

 「ついでながら、素粒子をクォークの複合体と見なすとしても、そのクォークは決して古典的発想でのアトムではなく、やはり『場の量子化』と相即するものであり、「場の状態」であることにかわりがない」(同)。

 こうして量子とは、場・諸関係において相互に継起的な運動をする状態だということが、量子力学で解明されたということなのである。

 まさに明らかなように、古典力学においてはアトムのように実体をもった原子が力学の法則(慣性の法則、力の法則、作用・反作用の法則)にもとづき、機械論的な因果律によって、絶対的な軌跡をたどるごとき、運動をすることがいわれていた、そういう実体主義的な原子論が否定されているのである。

 以上のように量子論においては電子・素粒子など量子は粒でもあり波でもあり、その現象が確率的であるという性質が解明されている。その量子の状態は例えばシュレーディンガー方程式などによって電子がどれくらいの確率でいつどこにいるか、量子が展開する可能な運動経路(一つに確定できない)を確率的に求めることができる。もはや原子をつくっている電子の軌道が、中心から一義的に確定された半径の軌道をとるとかの説明でいわれる古典的な考え方は二〇世紀の量子物理学の展開過程の中で失効したということなのである。

 つまり、この確率ということだが、「量子力学においては、電子や光子の状態というものが一つのベクトル空間中のベクトルで表わされるものと考える。……場の考えと、状態ベクトルの考えとを、うまく合わせて素粒子の理論を作り上げる」(朝永振一郎『量子力学的世界像』みすず書房。一八〇~一八三頁)のである。





 ●─ 一義一価的決定論を否定した確率論的決定の考え方



 こうした状態ベクトルによる確率的決定ということを〈考え方として〉確認しておくために、S・ワインバーグに登場願おう。電弱統一理論というものでノーベル物理学賞を受賞したS・ワインバーグは、「究極の物理法則を求めて」(ちくま学芸文庫『素粒子と物理法則』R・P・ファイマンとの共著)で次のように説明している。

 「この講演を準備するにあたって、量子力学の初歩を学んだ学部学生のレベルに合わせるようにと注文されました。けれども聴衆の皆さんの中にはこの注文通りでない人もいるかもしれません。そこで皆さんに量子力学2分間コースを準備してきました。持ち時間は2分間ですから非常に単純な力学系を考えざるをえません。一枚のコインを考えます。運動とか位置といった性質にはすべて目をつぶり、表か裏かだけを問題にしましょう。さて古典的にはコインの状態は表か裏かだけです。コインが一方の状態から他方の状態に変わるとき、古典論はどちらか一方の状態が出ると言います。量子力学では、コインの状態は単に表か裏かということでは記述できないのです。いわゆる・状態ベクトル・という一つのベクトルを指定して初めて正しく記述できるのです。このベクトルは2次元空間のベクトルで、縦・横の軸はそれぞれコインの取りうる二つの状態、表と裏です(図1参照)。矢印が裏軸(縦軸)方向を向いている場合は、コインは確かに裏が出ていると言ってよいでしょう。もし、表軸である水平方向を向いていれば確かに表が出ていると言ってよい。古典力学にはこの二つの可能性しかありません。ところが、量子力学では矢印(状態ベクトル)は中間の勝手な向きをとることができます。もし状態ベクトルが中間のある方向を向いていたとすると、コインは表が出ているのか裏が出ているのかどちらともはっきり言うことができません。しかし実際にコインを見るときは、表か裏か二つに一つの可能性しかありません。すなわち、測定の結果は二つの可能性、表か裏のうちの一つです。コインが表か裏かという測定をするとコインはある確率で表か裏かどちらかにジャンプするのです。その確率は初めに矢印が両軸となす角に依存します。

 状態ベクトルは二つの成分、表の成分Hと裏の成分Tによって記述することができます(図1)。HとTを確率振幅と呼びます。測定の結果表が出る確率は2Hであり、裏が出る確率はもう一方の確率振幅Tを使って2Tで表わされます。ところで皆さんは大昔のピタゴラスの定理(直角三角形の斜辺の上に立つ正方形の面積は他の二辺の上に立つ正方形の面積の和に等しい─引用者)を知っているでしょう。これを使えば二つの振幅の2乗の和は状態ベクトルの長さの2乗に等しいことがわかります。あらゆる可能性を尽くしていれば、その確率を全部加えると1になります。つまり振幅の2乗の和は1でなければなりません。したがってこのベクトルの長さの2乗は1です。言い換えれば状態ベクトルは長さが1でなければならない。こういうわけで量子力学においては、一つの系は長さ1の状態ベクトルで記述され、ある測定を行ったときいろいろ異なる結果が得られる確率は、その状態ベクトルの成分の2乗で与えられます。このときの系のは状態ベクトルが時間とともにどう回転するかというルールを与えることによって記述されるのです。瞬間的な短い時間内にベクトルがある角度回転するというルールが、系をに記述する処方箋です。ところでこれは完全に決定論的な処方箋になっています。状態ベクトルの時間発展は決定論であって、コインのどちらが出るかという測定をしたときに初めて非決定論が介入するのです。これが量子力学のすべてです」(八〇頁~八三頁)。

 こうして法則性が確率論的に与えられていることがわかるだろう。





 ●─ ミーチンによるレーニン哲学の神学化



 以上でわかっただろう。つまりレーニンが「唯物論」だとしていたものは、主客二元論(論理形式の観念論との同一性)、一義一価的な法則観─法則の物象化、機械論的因果律としての法則観や絶対時間・絶対空間といった形而上学的概念の受容など、まったくの「物質」の形而上学にすぎなかったということだ。一九世紀のパラダイムなのである。

 だからこそ、こうしてレーニン自らが〈真理は一定の時代において相対的に存在する〉というボグダーノフの真理論の正しさを逆に証明することになったのだ。

 だが、ここでぜひとも確認しておかなければならないことがある。このような過程はレーニンにとっては「仕方がなかったこと」だといえるのである。当時では古典物理学的自然観が科学思想上の共同主観性となっていたのだ。したがってすくなくともレーニンがそのような論陣をはっても不思議ではないといえる。

 問題はこのレーニンの絶対的真理の言説をば金科玉条とし、セントラルドグマ(一方通行的教義)とした、スターリン、ミーチン、クーシネンらスターリニスト官僚にこそあるのだ。

 レーニンの絶対的真理論は、スターリニストたちによって絶対的真理は一つしかなく、だから唯一の前衛の真理だという考えのもとに展開していくのである。相対的真理しかみとめない立場では、複数の真理が競争し、連合する。例えば、「前衛」党は複数存在することが可能になる。だが、「絶対的真理」の立場はそういう競争と連合は一つの真理への同心円的な吸収・解体、弁証法的総合への止揚の対象としてあるだけだと考えることだ。

 ある「絶対的真理」なるものにとっては、他の真理は、自分たちの絶対的真理が主張する未来を実現することとの関係では、その阻害物になるとも考えることになる。「あいつは未来の行く手を阻害している」と。こうして粛清が始まるのである。実際、ロシア・スターリン主義の歴史はそういう歴史だったのだ。

 一九〇九年に刊行されたレーニン『唯物論と経験批判論』の二五周年は、レーニンの没後一〇年目にあたり、ソ連では「共産主義アカデミー哲学研究所」の主催になる記念集会が開催された。佐々木力『マルクス主義科学論』(みすず書房)は、次のように分析している。

 「ミーチンは講演『反映論の緊要問題とレーニンの「唯物論と経験批判論」』において……『哲学のレーニン的段階』の意義をおおいに強調した。ミーチンによれば、『レーニンのあらゆる他の労作と同じく「唯物論と経験批判論」は創造的マルクス主義の模範である』。その著作は、階級闘争の一環である『哲学戦線』において、種々の観念論、なかんずく新カント派の哲学とマッハ主義、と闘うために書かれた。それはとりわけ二十世紀初頭に成立をみた新しい物理学理論にマルクスとエンゲルスの観点からアプローチしており、その意味で『二〇世紀の自然科学の唯一の真実の哲学』となりえている」とのべたと。

 一九世紀の古典力学的自然観の時代の子でしかない『唯物論と経験批判論』が「新しい自然科学の」それも「唯一の真実の哲学」とされているのである。そしてミーチンは相対論や量子論の「それら物理学の新理論の建設者たちの哲学は自然発生的には……おおむね観念論」だといい、「反映論」のみが、真理なのだ、資本主義の危機的状況に対応できるものなのだと表明したという。

 「ミーチンは……アインシュタインの相対性理論は、たしかにニュートン的時間空間表象の崩壊に導いたが、そうだからといって、人間から『独立な客観的内容があるという事実、すなわち、すべて存在するものは時間と空間の中に存在するという事実』を変更するものではない! これがレーニンの反映論の立場からする相対性理論の時間空間論の解釈だというのである。さらに、ミーチンの論難は、量子力学に関連してハイゼンベルクによって提出された不確定性関係にまで及ぶ。不確定性関係には、たしかに合理的根拠がないわけではない─このことをミーチンもはっきり認める。しかし彼は、ハイゼンベルクの認識論的観点、すなわち、原子物理学は原子の本質や構造を扱うのではなく、われわれがそれを観測する時に知覚する現象を記述するとする観点、を観念論であるとして糾弾する。不確定性関係の根底にある、観測対象に対する観測手段の攪乱的影響を現在は計量しえないのは事実であるにしても、将来は『この影響をますます精密に計量しうる方法を発見しないであろうことを意味しない』。ミーチンが、彼の畏敬してやまない『唯物論と経験批判論』のレーニンと同じく、素朴実在論の立場、『裏返しにされたプラトン主義』、に立っていることに疑問の余地はない。そしてこの立場こそが彼の、相対性理論の時間空間概念や不確定性関係についての誤解に導いているのである」(二七七~二七八頁)。

 まさにミーチンは相対性理論、量子力学をほとんど否定的にしか解釈していないことになる。相対性理論にとっては時間空間の「中にすべての物質が存在する」という表現自体が古典物理学的な表現なのである。絶対時間・絶対空間と同様、時間・空間を実体視してしまっているのだから。

 相対性理論の場合、観測者の位置(慣性系)の相違にもとづく観測結果の相違という観点が、古典物理学での観測結果はひとつという絶対的に客観的な普遍的観測結果という考え方を否定することにポイントがあるということがまったく理解できていないのだ。われわれがこれまで見てきたように、時間・空間は物質的諸関係の函数的依属関係というあり方が現象させているということにおいて、はじめて現実的な概念となるものであった。そして不確定性関係を発見した量子力学は、確率的説明を共同主観性とするものであった。

 これが結局は〈客観的真理の実在〉(法則実在論)という立場から、観念論として否定されているということである。

 かかるスターリニストの言説は結局、レーニンがマッハを観念論と攻撃したことを教義化し、これを強迫的な禁制にも似た共同観念=〈マッハ的なものはすべて否定せよ〉といわんばかりの教説にまで高め、セントラルドグマとしたことにもとづくものだという以外ないものである。





 ●─ スターリニスト哲学の陥穽



 一九六二年に刊行されたクーシネン監修の『マルクス・レーニン主義の基礎』(合同出版)でも同様の展開が記述されている。結局、二〇世紀をつうじて、次第に明らかになっていった相対性理論と量子力学の学問的地位化に対してソ連のスターリン主義官僚たちは、対応におわれ、自分たちの素朴実在論の決定的限界を白日のもとにさらけださざるをえなくなったということなのだ。

 スターリン主義自ら絶対的真理などはなく、相対的真理だけがあるということを証明したのである。

 クーシネンたちは『マルクス・レーニン主義の基礎』(第一分冊)でつぎのように論じた。

 「微視的世界の分野における諸発見と、量子力学の創始は、それ自体として科学と弁証法的世界観の最大の成果であった。物質的物体とその粒子の性質や関係は、かつての物理学が考えたように、同質、一様ではなく、物質の多様性は汲みつくされえない、ということがあきらかになった」。だが、ここからだ。「しかしながら、物理学の諸発見から他の、観念論的な結論もひきだされた」といい、「『非決定論』の流派が頭をもちあげたが、その代表者たちは、客観的、必然的連関の原理そのものを否認している。……機械的決定論のなりたたないことが科学によってあきらかにされたことを口実にしながら、決定論一般がすべてなりたたない、という結論をくだしている。……量子力学の場合も、われわれがかかわるのは、現実のすべての現象に内在している客観的、必然的連関と諸現象の被制約性であることを」(一一〇~一一一頁)無視しているというわけである。

 このような量子力学に対する理解は、その確率的真理の否定であるといっていいものだ。かかる見解は結局、クーシネンたちが「すべての現象の因果的被制約性が必然的性格をもつと承認することは、とりもなおさず、必然性の存在を承認することである……自然と社会における必然性は、もろもろの法則のうちに、もっとも完全にあばきだされている。諸現象の発生・発展における必然性の承認は、これらの現象が、人々の意志や願望から独立して存在する、一定の合法則性にしたがっている、ということの承認をともなう」。そして「法則とはなにか? 法則とは、諸現象のあいだの、または同一の現象のさまざまの側面のあいだの、深い、本質的な、固定した、反復される連関または依存関係である」(一〇四頁)とのべたのである。

 「固定した、反復される連関」!! これまで見てきたように、これでは量子力学は理解できないのである。まさに量子力学の多元的決定論、確率論を「非決定論」として批判するという決定的な誤りを生起せしめるしかなかったのだ。そもそも量子力学がどういうものかを理解できていないということだ。

 かかるスターリニストの見解こそ古典力学的な一義的決定論でしかない。スターリニスト哲学なるものは結局はこうした機械論的決定論だということが暴露されているのである。結局は一義的決定論以外はすべて「非決定論」になってしまうのである。廣松はこの一義的決定論を批判し、「多価函数的連続関係における決定」、つまり「同一の原因から二つ以上の結果がそれぞれ一定の確率で生じうる」という考えを『マルクス主義の地平』(講談社学術文庫)、『存在と意味』(岩波書店)などで表明している。そういう確率的決定ということこそが、二〇世紀をつうじて確立されてきたことなのである。

 そしてこの多元的決定論のポイントは、法則〈なるもの〉が人間の主観の側からはまったく独立に客観的に存在しているのではなく、認識する側の共同主観性を媒介とした対象への関わりとして、法則(─法則性)なるものの機制が─まさに主客未分の相において─組み立てられているのだ、ということだ。客観主義としてのいわゆる古典的な科学主義はここでは退けられることになるのである。

 だからまさにスターリニストたちの哲学的破産は、レーニンのマッハ批判のスタンスを教条化したことを土台にしているのである。

 クーシネンたちは言う。「自然は人間にさきだって存在したか?─レーニンはマッハ主義者たちにたずねた。もし自然が人間の意識によって創造されたものであり(マッハがどこでそんなことをいったというのかね─引用者)、感覚に還元されるとすれば、自然が人間をつくりだしたのではなく、人間が自然をつくりだしたことになる。ところが、自然科学によって明白なことだが、人間の出現するずっとまえから自然は存在していた」(六六頁)のだと。

 まさに、このようなマッハ哲学への完全な歪曲と主観的観念論というレッテル張り、それは「マッハ的なものを否定せよ」という神の声となってスターリニストたちのかかる「物質の神学」の世界に響き渡っているのである。スターリニストたちによる、相対論、量子論におけるマッハ的なものの否定こそ、かれらが二〇世紀の相対論・量子論を否定的に解釈せざるをえなかった根底にあるものだ。そのことが、レーニンの「絶対的真理論」における「相対的真理論」者ボグダーノフへの論難からはじまったことこそ、ボリシェビキの悲劇の始まりにほかならなかったのではないか。(了)


2015年3月11日水曜日

憲法論議において廣松哲学として、おさえておくべきこと



●はじめに――廣松渉の問題意識


廣松渉は、一九五六~六五年までつづいた(実質的には六四年まで)、戦後初期の憲法調査会の“答申”を引用して、次のように述べている。

「(答申は次のように言う――引用者・渋谷)『一八世紀的な民主主義は、国家権力を最小限におさえると同時に、個人の自由・人権を最大限にのばすという方向をとった。全体よりも個人を、公共の福祉よりも基本的人権の方に重点を置くというのが一八・九世紀民主主義のとったエッセンスであった』。『古典的民主主義が殊に個人を強調したことについては、それなりの正当性と歴史的必然性があったし、大きな役割を果たしてきた』『けれども、人間は個人として生きていると同時に、社会生活を営んでいるわけであるから……個人の自由・人権をいくら最大限に認めるといっても、……他人とのあいだ、そして社会(国家)とのつながりにおいて、それがまったく無制限であることはできない』。……『個人の自由・人権と社会の福祉という二つのものは、たぶんに矛盾し反撥し合うものである』。……『要するに、人間が社会生活をいとなむ以上、個人の自由・人権にも大きな社会的制約があることを認めないわけにはいかない。したがって人間の社会のなかに平和な秩序ある状態を欲するならば、この社会(国家)に対して各個人が共同の忠誠、服従、奉仕の精神をささげなければならないということになる』云々。

 右の一文でさも当然のようにさらりと語られているイデオロギー、これが市民権をうるためには、一八、九世紀的民主主義の個体主義のイデーに対して、かつてはファシストのイデオローグたちがいかに努力を払わねばならなかったことか! 『憲法調査会』の多数派はもとより狭義のファシストではない。今や体制側のイデオロギーは、建前のうえではまだ個体主義的な残滓を留めているにしても、かつてファシストたちが血路を拓いて押しつけた全体主義を、大趣においてはそのまま受容継承しているのである」(「全体主義的イデオロギーの陥穽」、『マルクス主義の理路』、勁草書房、初版一九七四年、所収、二八〇~二八一頁)。 



●社会実在論と社会唯名論


 全体主義と個人主義(近代民主主義)の問題について。

『唯物史観と国家論』(講談社学術文庫、1989年)では次のようである。

「われわれは近代ブルジョア的“社会”観の祖型における特質を“人間”観との関連に即して対自化することができる。

第一に、人間が基体subjectum…として考えられており、社会・国家はたかだか二次的な存在にすぎないとされていること。「本地」authorと「垂迹」personaという伝統的な用語法を踏んでいえば、諸個人があくまで「本地」であって、社会・国家は人工的人格artificial persona、作為的人格personne moraleだとみなされる。

この了解にもとづいて、「社会」という二次的な存在の本質は、“人間の本性”human natureから帰結するものとみなされる。近代的社会観の父、すなわち、――デカルトが近代的世界観一般の地平を拓いたと言われうるのと類比的に『近代的社会観の地平を拓いた』と称されうる――ホッブスが、彼の主著『リヴァイアサン』を人間から始めていることにいちはやくそれが象徴されている。モンテスキューは『法の精神』の序文にいう通り「人間を第一に考究」したのであったし、ルソーの『社会契約説』も「人間をありのままにとらえ」そのことに即して『社会秩序』の基本的構造を討究する姿勢になっている。ロックにせよ、ファーガスンにせよ、スミスにせよ、十七・八世紀の著名な社会思想家がsubjectumたる人間の自然的本性から「社会」を規定していることは逐一想起を求めるまでもあるまい」(九一~九二頁)。

「第二に人間の本源的な同型性isomorphismが想定され、この平等な諸個人が語の優れた意味でのindividuum…として考えられており、このような同型的諸個人のもつ自然権をしかるべく保証する制度的定在として社会・国家が了解されていること。

この了解によって、中世的自然法と近世的自然法との異質性が劃される。人間の平等性、それがたとえ“神の前での平等”というイデオロギー的屈折を経ているにしても、この同型的なsubjectumの存在権そのものから自然権が定立されているのであって、それはもはや神与の自然法に法源をもつものではない。自然法と言う生得の平等的権利は、生存権から財産権へと及ぶ諸々の定在形態において漸次表象されていったが、ともあれ、同型的諸個人の原子的な同調性と反撥性の弁証法によって、社会の制度化が説明される。この自然権とその譲渡alienationの理説は、絶対主義的国家権力とブルジョアジーとの関係の歴史的変異を相即しつつ周知の変様をとげていくが、原初的な平等性の故に、相互的譲渡(結合契約)は許されても、単なる貢納的呈上(服属契約)は許されないということ、この点に留意を促しておきたい」(同前 九二~九三頁)。

「第三に、人間がhome sapiens et faberとして了解され、この意味で『自由な主体』とみなされており、『社会』はかかる自覚的で能動的な主体たる諸個人の営為によって形成されるものとみなされること、ここにおいて『社会』は、契約contract、黙的conventないしは、単なる打算的な相互承認であるにせよ、そしてまた、前意識的な過程を通じて成立するにせよ、ともあれ人間の営為による形成物として了解される」(同前 九三頁)。

「われわれは、以上、とりあえず三つの契機に分けて立言した次第であるが、これを一言で括れば、同型的・自立的なsubjectum(基体)として了解された諸個人を分子的な単位となし、かかる近代的subjektとして了解された諸個人の人格的複合として社会を表象する観方、このような構えAuffassungとして一七・八世紀の“社会観”を特徴づけることができよう」(九四頁)。

「諸個人としての人間を分子的単位とみなし、この分子的単位の相関的複合として社会なるものを表象する観方――これは様々な変様形態をとりつつも“ブルジョア的”社会観の呪縛となっており、――この観方がわれわれの日常的意識にまで浸透している」(九七頁)。

「マルクス主義的社会観をポジティブに捉えるためには、あらためて強調するまでもなく、<物質的生活の生産>という場面に視座を捉えて、生活ファンドの生産と配分のメカニズム、再生産ファンドの蓄積様式と定在形態に定位しなければならない。ブルジョア的社会観においては、それが即自的に“自然的”な大前提とされてしまうことによって――というよりも<物質的生活の生産>はいうなれば私事に属することとされ、私的生産物を携えての交通の場面からはじめて、“社会”……が成立するものとして了解されることによって――、物質的生活の生産を基軸とする“間主観的”な<対象的活動>の総体的聯関……への対自的着眼が事実上欠落している。そのことにおいて、それはまさしくブルジョア的な社会観のネガティブな特質をなすものであり、それとの対比において、当の契機に視座を構えることがマルクス主義的社会観のポジティブな特質の輻輳点をなす」(一四八~一四九頁)。

こうしたブルジョア的社会観は、社会唯名論を一般的に現象させる。

「諸個人を実体化してしまい、社会とは名目にすぎないとみなす“社会唯名論”は、……近代市民社会のアトミズムに照応するイデオロギーとして“現実”の内に根拠をもっている。とはいえ、すでに、スミスが『見えざる手』という仕方で形象化し、ルソーが『われわれはいたるところ鉄鎖につながれている』という仕方で対自化したように、社会形象は外部拘束性をもった或るものとして意識される。社会有機体説にみられるごとき、社会そのものの実体化、“社会実在論”が生ずるのも故なしとはしない。しかしマルクスが『経済学批判要綱』のなかでいう通り『社会は諸個人から成り立っているのではない』。さりとて自存的な実体ではなく、『社会とはこれら諸個人が相互に関わり合っている諸関連、諸関係の総体』にほかならない。しかるに、この間主体的協働の函数的・機能的聯関の『項』を実体化する錯視によって社会唯名論が成立し、当の機能的聯関の総体を実体化してしまう錯視によって社会実在論が生ずることになる。マルクス・エンゲルスは、これら二極的な形態で錯視される与件の真実態は諸個人がそこにおいて参与……するところの協働聯関であることを洞察し、二重の実体化を対自的に斥ける」(一五二~一五三頁)。 

この社会唯名論としてのブルジョア的社会観を全体主義(社会実在論)から見た場合、ファシズムに典型的なように、次のような対立軸が描かれることとなる。


(2)個人主義対全体主義


廣松渉は、「全体主義的イデオロギーの陥穽」(『マルクス主義の理路』1974年初版、勁草書房)では、次のように論じている。――ここでは「個人主義」と「全体主義」との対立軸における論理構成に関し必要と思われる論点だけをとりあげるものとする――。

「ナチズムが『全体主義』の論理を掲げたのは、……理論上の文脈で言えば、近代的個体主義の原理に対するアンチテーゼとしてであった。近代的自然法思想や一七・八世紀の啓蒙主義思想に典型的に顕われている『個体主義の原理』に対するアンチテーゼという点では、同一の思想的構えをイタリアン・ファシズムにも認めることができる。ブルジョア・デモクラシーの理論的基礎をもなす近代的個体主義に対するファシズムの批判は、決して単なる反発ではなく、しかるべき一定の“学”に裏打ちされている」(二五八頁)。

「ファシズムの提起した論点を検討し、その陥穽を見定めるためにも、近代的個体主義の虚構性をわれわれなりに一瞥するところから始めよう。……近代的社会思想においては、古代や中世のアリストテレス・トマス的な『国家社会が諸個人に先立つ』という了解が卻けられて、実体的諸個人が社会や国家に先立つものとされ、社会や国家はたかだか第二次的なものとみなされる。近代の社会思想はそのすべてが社会契約説を採るわけではないが、人間諸個人は本来的には自由・平等な主体であるという了解とも相即的に、社会や国家というものは、本源的には自律的な諸個人が自己の便益を図って形成する人為的な一制度、ないしは、集合的な一団体であるという了解が基底をなしている。……近代社会においては、諸個人は古い共同体のしがらみから解放されて、たしかに自律的な人格として現われる。彼らは対等な商品交換者として交渉的聯関を取り結ぶのであって、資本家と労働者の関係ですら、身分的に不平等な隷属関係としてではなく、労働力という“商品”の対等な売買関係として現象する。社会的関係は独立の人格どうしの自発的な関わり合いであって、原理的には、任意に取り決めることができるものと了解されている。アダム・スミスがいみじくも表現しているように、人間諸個人の社会的諸関係は一種の商人社会的関係として現われ、そこでは相互的打算にもとづいて他人を手段的に扱うが、この相互的手段化が分業と商品交換の原理によって一つの調和的統一を存立せしめる。

諸個人こそが第一次的に存在する主体=実体であり、社会・国家は第二次的な形成体にすぎないとみなす個体主義的な社会観は、近代的商品経済社会、近代的市民社会の如上の在り方を投影したものとして、その限りで近代の歴史的現実のうちに一定の根拠をもっている。

このことを一応は認めうるにしても、ファシストたちの指摘を俟つまでもなく、個体主義的社会観の虚構性は覆えない。この問題について“理論的”な討究をおこなったファシストのイデオローグとして、読者は直ちに、イタリアのアルフレッド・ロッコやオーストリアのオトマール・シュパンを想起されることであろう。彼らが互いに独立に、しかし殆んど同じ言葉、同じ論理を用いているのは象徴的であるが、彼らは近代的個体主義の社会観を『機械論的・原子論的』であると評し、アリストテレスの『国家社会的動物』という大命題を復権しつつ、『有機体的・歴史的な国家社会概念』を彼らは顕揚する」(二五九~二六〇頁)。

「近代的個体主義に全体主義を反定立するにあたって、経済学者として出発したシュパンは、個々人は実体的に自存するものではなく、全体の肢節としてのみ存立するという論点を軸にしたのであったが、……法学者ロッコは、法人格を生物学主義的に実体化させる方向で議論を立てている。すなわち、彼は国家・社会の全体性は決して個々人の代数和には還元できないこと、国家社会はそれ固有の目的、固有の生命をもつ独特の存在体であることを直截に主張する。この点において、ロッコはヒットラーヤローゼンベルクのそれとも相通ずる議論の構造に定位しているということができる。しかも、彼の議論は『血と地』の理論のごとき、全体主義のイデーそのものにとって本来的には偶有的な論点を含んでおらず、ファシズムの全体主義的社会・国家観をティピカル(典型的・類型的――引用者)に表象するのに恰好である」(二六三頁)。

そこで廣松はロッコの「パルウジア講演の記録 (Bigongiari英訳、長崎太郎邦訳)」を援用する。

「ムッソリーニが『私は一字一句これを承認する。君は実に堂に入った方法を以ってファシズムの教理を示してくれた』と評した」(二六三頁)ものだ。

「『人間種族の目的は、ある時点に生存している個々人の目的ではない。それは時として個々人の目的とは相反することすらある。社会団体の目的は、その団体に属する個々人の目的ではなくて、個々人の目的と衝突することすらある。これは種族の保存・発展が、個人の犠牲を要求する場合、つねに明らかなところである』と言い切る」。「『ファシズムは、自由民主主義の基礎にある旧い原子論的・機械論的な国家論に代えうるに、有機体的・歴史的概念を以ってする。われわれはいわゆる国家有機体説をそのまま採る者ではないが、われわれは、個々人の目的、個々人の生命を超越せる固有の生命、固有の目的を社会団体が有するということを言表したいのである』」(二六四~二六五頁)。

このことは、ファシスト的社会(国家)有機体説を表明するものにほかならないということをそれは意味している(なお、コント、スペンサーの有機体説については、廣松では、『唯物史観と国家論』第三章第一節の注記などを参照せよ)。まさに社会団体が「固有の生命」をもっており、それが、その目的に即して「個人の犠牲を要求」するということだ。まさに社会・国家有機体説を含有した社会実在論の徹底化という以外ではない。

「ファシズムの全体主義は、社会というもものが諸個人の代数和ではないということを主張する限りでは正しいにしても、マルクスを援用していえば、社会というものを諸個人の現実的な関わり合いの機能的聯関の総体として把握せず、それを自存的な実体に仕立て上げるという物象化的錯視に陥ってしまっている。マルクス的な社会把握とのこの相違点に、全体主義イデオロギーの社会(国家)観のもつ根本的な難点が存するように思われる」(二七九頁)。

「人々の間主体的な営為の総体は、なるほど諸個人とその代数和には還元できないが、しかし、当のIntersubjektivな営為はあくまで機能的・函数的な間聯なのであって、機能的全体なる固有の生命体が実体的に自存するものではないということ、この点の対自的把握を欠くところから、遡っては間主体的な協働聯関の存在構造を把握しえぬところから、民族や民族国家なるものを誤って形象化したり、資本の論理に盲目(ママ)であったりといった一連の契機が派生し、ファッショ的全体主義イデオロギーの徒花が展開されることになる」(二八〇頁)。

廣松はゲッペルスの次のような言を引用する。ゲッペルスは言う。

「自由主義が個人を出発点にし、各人を万事の中心におくのに対して、われわれは個々人の代わりに民族を、各人の代わりに国家共同体を置きかえた」「個人の自由が国家の自由と矛盾する場合には、個人の自由が制限されねばならなかったことは言うまでもない」云々(二八二頁)。


廣松は、述べている。

「全体主義の思想にとって中枢的な論点は、決して独裁的な指導者の存在や彼と被指導者との一体性といったところに存在するわけではなく、また、領土拡大後のナチスが弁じた通り、必ずしも民族排外主義に存するのでもない。ヒットラー一派はユダヤ民族をスケープゴートに仕立てたが、これとて全体主義思想の論理必然的な契機ではなく、そもそも人種主義的な民族有機体論ですら本質必然的な論点をなしていない。事は一つに懸かって“国家共同体”なるものを物神的に形象化し、全国民にそれへの帰依的帰入を求める点にある。

対外的緊張関係を媒介にして即自的に意識される民族国家という“共同体”、それが実際には階級的編成構造をもち、資本の論理を動軸にして存在している場合には、この擬似的“共同体”への滅私奉公は、階級的支配・被支配の現構造を強化しつつ資本の論理を維持すること、これ以外の帰結をもたらしえよう筈がない」(二八二~二八三頁)。

「人間社会はたとえ階級的に編成されていようとも、近代的個体主義が錯視するごとき機械論的・原子論的な体系ではなく、有機的な協働聯関をなしていることは確かであるが、これを真のゲマインシャフト(共同体社会――引用者)として再編成することが今や人類史の課題となっている」(二八四頁)。

「予め既述の論点の整理と図式の提示を兼ねてかいておけば、旧来のヨーロッパ的『人間―社会観』は三つの類型ないしは三つの極を立てて類別することができるように見受けられる。①機械論的個体主義、②有機体的全体主義、③聯関論的統体主義の三つがすなわちそれである。①が近代ヨーロッパの典型的な人間―社会観、②は古代・中世の主流であり、近代ではファシズムが典型、③はマルクス主義が典型であるといえよう(ヘーゲルは②と③との中間というよりも、両者の間を動揺している)。①は社会生活の即自的な協働聯関の間主体的な関係の「項」を実体的に自存化させる錯視によって成立し、②は当の聯関の「総体」を実体的に自存化せしめることによって成立するものであって、原理的に言えば、③の二極的に異型の射影として位置づけられる」(二八四~二八五頁)。

「……クローズアップされるのがマルクス主義の「個即類」のテーゼである。けだし、この提題の継承・展開こそが、個体主義対全体主義の対立交代劇を端的に止揚する鍵鑰をなす所為である。……われわれが実践的にそれの実現を志向するゲマインシャフトを理論的に基礎づけるためには、①と②との対立を生ずる地平そのものを超克しなければならない。因みにいえば、全体主義の②に対して個体主義の①を対置したのではファシズムを思想的に超克する所為とはなりえない。しかるに人民戦線時代のコミンテルンは古典的な民主主義の①の立場を以ってファシズムの全体主義思想に対処したのであって、これでは“思想的に敗北”したのもけだし当然であったといわなければならない!」(二八六頁)。

この「③聯関論的統体主義」のマルクス的根拠としては「人間の本質は社会的諸関係のアンサンブルである」という、マルクスの「フォイエルバッハに関するテーゼ」にある考え方が、的を得ているだろう。

全体主義は<国家>(社会)の実体化に基づいている。個人主義は<個人>の実体化に基づいている。私見(渋谷)では、これら二つの実体主義に対する廣松の言うところの「聯関論的統体主義」は、<個と共同性の共振>に基づいている。それは「共同体的所有と個的占有」にもとづく社会を前提として形成される。もちろん主権は人民にあり、人民は、自分たちの共同体を「全人民武装」と「一切の特権の廃止」ということをルールにして運営し、相互扶助の社会を形成する。

このような論法から、改憲論議に、どう肉迫できるかだ、と思っています。

2015年3月8日日曜日

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』第7章(社会評論社、2007年刊)(中)

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』(社会評論社、2007年刊)第7章
「レーニンの『絶対的真理』論とその教条化――『物質の神学』としてのスターリニズム哲学」(中)


今回は、(中)です。次回、最終回(下)の配信は、3月16日前後の予定です。




 ●─ レーニン主客二元論の三項図式的限界

 各論に入ってゆこう。
 前々節で数字をふった順番に、レーニンと廣松哲学の対質をおこなう。レーニンの素朴実在論にもとづく反映論は、廣松哲学にいう「三項図式」「カメラ・モデル」の認識論である。この「三項図式」からレーニンはマッハを批判したということなのである。このことは実はレーニンがマッハを主観的観念論と論定したことと関係している。
 レーニンの反映論は、「物的外界」と「心的内界」を二元論的に分離することを特徴としているが、廣松は例えば『哲学入門一歩前』(講談社現代新書)では次のようにレーニンらが論じたところの反映論・模写論を説明している。
 「意識対象(客観)─意識内容(心像)─意識作用(主観)」の三項図式は、「対象を─心に映った内なる写像─をつうじて見る意識作用」という形で認識していることになる。だがこれでは「意識は対象自体を直に見ることはできず、内なる映像を見ることを介して、間接的に原物を認識するという構図になっている」(六〇頁)と廣松は論じる。
 そこで廣松は次のようにいうのだ。
 「『客観─認識内容─主観』という常套的な了解の構図には警戒を要する。客観が主観に認識内容のかたちで意識されている(主観が客観を認識内容のかたちで意識している)という言い方は倒錯である。正しくは、認識主観は現与の認識内容を単なる与件「以上の」在るものとして、客観的照応性をもつものとして覚識する、といわねばならない(「映像で知るのと言葉で知るのと」廣松渉コレクション第五巻。情況出版。一四九~一五〇頁)。
 「認識内容」は「客観」(意識対象)のもっている意味とはなれてそのままで存在するのではないということだ。だから廣松は「所与─所識」「能知─能識」の四肢構造をたて、反映論がそれとして説明できなかった意味論を認識論に装着したのであった(くわしくは拙著『国家とマルチチュード』社会評論社。八四頁以降参照)。
 三項図式に従えば客観を重視する反映論は、「客観」(実在)の模写として─心像としての「意識内容」ができあがり、それを認識するとなる。
 これに対して主観を重視する主観的観念論は「意識内容」に構成されている構成形式から、対象(実在)を認識するということになる。つまり〈意識は認識内容が経験に先立って保有している構成形式によって対象(客観)を捉える〉(カント『純粋理性批判』(上)。岩波文庫。八七頁参照)、あるいは「精神すなわち知覚するもののほかにはいかなる実体もない」(バークリー『人知原理論』。岩波文庫。四八頁)というような、認識の構成形式や知覚などが世界を構成するという考え方だ。
 つまり、反映論と主観的観念論とは「三項図式」(客観─認識内容─主観)としてはおなじ形式なのである。
 レーニンはマッハの「感覚」を、かかる主観の働きと決め付け、これをバークリーなどと同じ主観的観念論の図式におしこんだのであった。つまりレーニンは三項図式以外の認識形式を想定することができなかったということなのである。ゆえにレーニンはマッハの「要素一元論」を主観的観念論と(マッハの「感覚」を観念論の「知覚」と)おなじものとして規定する以外なかったのである。まさにレーニンはかかる三項図式の呪縛をつうじた言説において、マッハへの論難を主張できたということ以外ではないのである。素朴実在ではない「感覚」を立てるからそれは反映論から見た場合、マッハの「感覚」とは、主観(個々人の主観)の観念だという判断である。だがマッハは主観的観念論ではなく、客観的要素主義であり、そのゆえに、カントの「物自体」やニュートンの「内奥の実体」なるもの、かかる現象の裏側にある本質なるものが存在するという考えを批判していたのである(廣松「哲学の功罪」(廣松渉著作集第三巻。岩波書店。五五六~五五七頁参照)。


 ●─ マッハの要素主義

 まさにマッハの「感覚」とは、主観の側の感覚のことではないのだ。
 「色、音、熱、圧、空間、時間等々は、多岐多様な仕方で結合しあっており、さまざまな気分や感情や意志がそれに結びついている。この綾織物から、相対的に固定的・恒常的なものが立ち現われてきて、記憶に刻まれ、言葉で表現される。相対的に恒常的なものとして、先ずは、空間的・時間的(函数的)に結合した色、音、圧、等々の複合体が現われる。これらの複合体は比較的恒常的なため、〈それぞれ〉特別な名称を得る。そして物体と呼ばれる。が、このような複合体は決して絶対的に恒常的なのではない」(『感覚の分析』法政大学出版局。四頁)。
 「物、物体、物質なるものは、諸要素、つまり、色、音、等々の聯関をはなれてはない」(マッハ前掲七頁)。
 このどこが観念論だというのか。
 「多様な姿をとって現われる同一の物体なるものが、いったいどこに存在するというのであろうか? われわれが言いうるのは、さまざまなABC……がさまざまなKLM……と結びついているということだけである」(同一〇頁)。「問題なのは、要素αβγ……ABC……KLMの聯関だけになる。かの〈自我と世界等の〉対立はまさに、この聯関に対して、ただ部分的に妥当な・不完全な表現にすぎなかったのである」。「私が『要素』『要素複合体』という表現と併用して、ないしは、それを代用して、『感覚』『感覚複合体』という言葉を以下で用いる場合、要素は右に述べた結合と聯関においてのみ、すなわち、右に述べた函数的依存関係においてのみ、感覚なのだということを銘記さるべきである」(同一二~一四頁)。「第一次的なもの(根源的なもの)は、自我ではなく、諸要素(感覚)である」(同一九頁)と。
 まさに廣松が言うように「この要素=感覚は、『頭のなかにある』主観的な心像として理解されてはならない」のであり「頭のそとにある感覚なのである」(マッハ前掲の巻末解説。廣松「マッハの哲学」。三三三頁)。そして廣松は、マッハにおいては「諸要素の函数的関係」が「大切」だと説明している。「マッハによれば、諸要素および要素複合体は、それが主観を構成するものであれ客観を構成するものであれ、フンクチオネール(機能的─引用者)な相互依存関係のうちにあり、この聯関を離れては自存しないのである」。まさに「要素はすべて汎通的相互関係のうちにあり、……このゆえに、色、形、等々が主観を離れて自存しないという当然の命題は、マッハをして直ちに主観的観念論に陥らせるものではない」(同三三八頁)ということなのである。
まさにマルクスがいうように「人間の本質とは……社会的諸関係のアンサンブル」(「フォイエルバッハ・テーゼ」廣松渉編訳、小林昌人補訳『ドイツ・イデオロギー』所収。岩波文庫。二三七頁)なのである。そしてかかる多岐多様な物質的諸関係において存在しているということ以外ではない。そしてこの要素一元論から、マッハの時間・空間概念が定立するのである。(マッハの客観的要素主義の陥穽(現相主義)については、拙著では『国家とマルチチュード』八八頁以下参照。廣松の『事的世界観への前哨』勁草書房。六八頁以降参照)。


 ●─ ミーチンの機械論的因果論とマッハ・廣松の法則理解

 レーニンは絶対的真理の根拠を物質の一義的で因果論的な法則的運動に求めた。この法則の客観的実在というレーニンの主張もまた、マッハとバッティングするところとなる。
 そして法則実在論を一九三〇年代のソ連において究極的におしすすめたコムアカデミア哲学研究所のミーチンらは、その共同著作『弁証法的唯物論』(ミーチン監修、廣島定吉訳。ナウカ社)で次のようにのべている。
 「われわれがもっと複雑な物理化学的現象に、さらに進んで生物学的現象や社会的現象に移るときは……これらの場合には、原因と結果とは内的な必然的聯関にあるので、この聯関を理解することは、発展の合法則性から出発してのみ可能である。原因は単に結果を起こすばかりでなく、単に結果に移行するばかりでなく、与へられた原因の総体の存在は、さらに必然的に与へられた結果の存在を前提とする」(二九〇頁)。「所与の現象の反復を引き起こし得る根本的な原因を探し出し、この根本的原因を、特殊な一般的原因から区別することも重要である」(二九四頁)。「原因について論ずるには、原因中に交互作用の出発点のみならず、所与の対象を引き起こし、生起させ、一定の仕方でそれを再生する規定的条件があることを、力説することが重要である。諸現象の関数関係だけを論ずることは、実は諸現象の交互作用の客観的基礎にまで達しようとせずに、諸現象の相互聯関の確認にのみとどまる」(二九三頁)というわけである。つまりミーチンは絶対的な形での因果性にモメントをおいた法則なるものが客観的に実在しているといいたいのである。ミーチンは函数関係を「聯関の確認」などと断定しているが、その根拠はしめされていない。諸現象の函数的関係とはどういうことか、マッハはのべている。
 「旧来の因果性の表象は多分に生硬であって、一定量の原因に一定量の結果が継起するというにある。ここには四元素の場合にもみられるような一種の原始的・呪術的な世界が露われている。このことは原因(Ursache=原事象)という言葉からして明白である。自然における連関は、ある与えられた場合に、一つの原因と一つの結果とを指摘できるほど単純なことは稀である。それで、私はずっと以前、因果概念を函数概念で置き換えようと試みた。すなわち、現象相互間の依属関係、より精密にいえば現象の諸徴表相互間の依属関係で置き換えようとした」。これらは「相互的な共時聯関」(マッハ前掲七七~七八頁)だという。
 廣松のいうところでは次のようになる。
 「例えば、物体が千仭の谷に『自由落下』していく場合、この物体の加速度は地球という質量塊の引力(原因)の結果だとされるのが普通である。しかし、この物体が現実におびる加速度は、大気の抵抗、したがって物体の形状によっても規定されるのであり、周囲の山からも引力を受ける。物体の加速度はこれらきわめて多くの要因によって規定されているのであって、決して地球の質量によって一義的に決定されているわけではない。そのうえ、地球の引力は一方的な原因なのではなく、実は地球と物体のあいだには相互作用が成立しているのである。両々原因であると同時に結果でもある等々」(廣松「マッハの哲学」マッハ前掲書三五二頁)ということだ。
 まさにミーチンの言っている〈関数関係は「連関の確認」にすぎない〉などという言説が、全く的外れな批判だということがわかるだろう。まさにミーチンは「根本的な原因を探し出す」などとして原因の実体化をおこない、それを通じて機械論的因果論に結局は陥没しているのである。
 マッハにより斥けられた、かかる因果律的決定論の概念をモーターのひとつにしているレーニンの法則観について、その法則なるものの物象化の機制をみておこう。
 法則はマッハによれば「法則とは知的労働を節約するための縮約的記述である」とされる(同三五三頁)。これは廣松の法則観と相即する。
 廣松は述べている。「個々の法則についていえば、ある種の状態が一定のあり方で随伴、継起すること、この予期的現認が恒常的に充足されること……この現象を斉合的・統一的に説明すべく事象が規則的拘束に服しているという擬人法的な暗黙の想定のもとに、構成的に措定されたもの」(『存在と意味』第一巻五〇六~五〇七頁。岩波書店)ということである。諸関係が生みだした法則という認識から逆に諸関係を「法則が支配する」という想念がうまれるのだ。これを法則の物象化といい、法則なるものが事象を動かしているという『了解』が成立するのである(前掲四八五頁)。まさに法則の客観的実在性という形而上学に陥没することになるのである(くわしくは本書「廣松哲学とエンゲルス主義」を参照してほしい)。


 ●─ ニュートン古典力学への批判とマッハの時間・空間論

 以上の機械論的因果論への批判は、ニュートン力学への以下の批判をベースとするものである。 かかるマッハの要素複合体という概念が、ニュートンの絶対空間・絶対時間の観念を解体することになるのである。
 ニュートンは『プリンキピア』において「絶対的空間は、その本性上いかなる外のものとの関係をも有せず、常に同形的であり、不動である。相対的空間は絶対的空間の或る可動的な次元または測度であって、これをわれわれの感覚が物体に対するそれの位置によって決定する」と定義している。
 廣松は「この命題に対して、マッハ哲学の立場からすれば……(絶対空間は─引用者)経験的には確証することのできぬ単なる思考上のもの」であって、「力学の諸定律は、すべて物体の相対的位置と運動とに関する経験〈を縮約的に記述したもの〉である」と(「相対性理論の哲学」廣松渉著作集第三巻所収。四二四頁)。
 廣松はマッハの「運動一般が相対的である」という説明を紹介する。
 「『物体Kの運動は他の物体群ABC……との関係においてしか判定することができない。われわれはいつも十分な数の相対的に静止している物体ないしは極めてゆっくりとしか位置を変じない物体を役立てることができるので、特定の物体を指示することなくして、あれこれの物体を適宜に無視することができる。このため、物体群は端的に無関係だという思念が生ずる』。しかし実際には、物体群との相互関係をはなれて運動なるものが存立するわけではない。『物体Kがその方向と速度とをもっぱら他の一つの物体K'の影響によって変ずるというとき、物体Kの運動をそれに微して判定する別の物体群ABC……が現前しないならば、われわれは決してKがK'の影響で方向と速さとを変ずるという洞見に達することはできないであろう。それゆえ、実際には、われわれは物体群ABC……に対する物体Kの関係を認識しているのである』。ここでもし『われわれが突然ABC……を捨象し、絶対空間内におけるKの動向を云々しようとするならば、それは二重の誤りをおかすことになろう。第一に、われわれはABC……が実在しない場合に一体Kがどのような動きを示すかを知らないし、第二に、物体Kの動向を判定し自分の主張を検証すべき一切の手段を欠くことになり、従ってわれわれの立言はいかなる科学的な意味をも有せぬことになろう』。
 このゆえに、運動は……いっさい相対的であり、絶対空間内における絶対運動という思念は、発生論的な根拠は肯けるにしても、客観的に存在するとはいえない。『物理空間は物理学的諸要素相互間の或る特別な依属関係』なのであって、……絶対空間なるものは単に思考されただけのものである」(四二五~四二六頁)。
 絶対時間も同様に批判することができる。ニュートンは絶対時間を次のように定義している。
 「絶対的な・真の・数学的・時間はひとりでに、それ自体の本性から、いかなる外的なものとの関係もなしに、一様に流れる。……相対的な・見掛け上の・通常の・時間は、或る可感的・外的な測度─運動という方法による測度─である」と。
 廣松はマッハを援用する。ある〈事物の変化を時間で測ることはできない〉のである。「『事物Aが時間につれて変化するというのは、事物Aの状態が他の事物Bの状態に依属しているということの縮約的表現である……一切は相互に聯関しているのであって、われわれは〈絶対的な基準となる〉特定の尺度をもちあわせてはいない』。『それは余計な形而上学的概念である』」と。
 ここでのポイントは「共同主観的な時間体系、従ってまた物理学的な時間体系は、物体間の位置関係に定位して─平たくいえば時計の針が動いた距離、天体が動いた距離、等々に定位して─組み立てるしかなすすべがない。言い換えれば、時間測定と称されるものは、結局において空間的規定に帰着する。この故に、要素一元論的世界観や操作主義といったマッハ哲学の立場からすれば、物理学体系の原理論においては、『時間という独立変数を消去してそれを空間的規定の指標によって代置すべし』という提題が当然の要求となる」(同四三二~四三七頁)ということなのである。
 まさに時間・空間は「物理学的な聯関においては、感官感覚によって特性づけられる要素相互間の函数的依属関係」(『感覚の分析』二八二頁)だとなるのである。
 まさにマッハはつぎのようにニュートンの時間・空間論を批判的に総括してみせたのである(『時間と空間』野家啓一編訳。法政大学出版局)。
 「ニュートンにとっては、時間と空間とは何かしら超物理学的なものであった。つまり、時間と空間とは直接に到達できるものではなく、少なくとも厳密には規定できない。依属関係をもたない(独立の)原変数なのであって、それにしたがって全世界が方向づけられまた統御されるものなのである。空間が太陽を回る最も遠い惑星の運動をも律しているように、時間もまた最も遠い天体の運動と、ごく些細な地上の事象とを符号させているのである。このような理解を通じて、世界は一つの有機体となる。あるいはこういった表現を好むのならば、一つの機械となるのである。そこでは、一つの部分の運動にしたがってすべての部分が完全に調和しながら動いており、いわば一つの統一的な意思によって導かれている」(一四四頁)云々。
 このような力学的自然観、因果論的・機械論的決定論がニュートン物理学の考え方であり、その考え方をマッハが函数的依属関係という考え方によって否定したということがおさえられなければならない。
 まさに野家が巻末解説においてアインシュタインを引用しているように「一九世紀において、空間という概念を排除することを真剣に考えた唯一の人はマッハであった。マッハは彼の試論において、空間をあらゆる質点間の瞬間的な相対距離の総体という考えでもって置き換えようとしたのであった」(アインシュタイン全集第三巻。四〇三~四〇四頁参照─引用者)ということだ(前掲二一八頁)。まさにこのようにマッハ哲学はアインシュタインの相対論を切り開いた科学哲学だったのである。
 そこで本論の次の幕はアインシュタインが開けることになる。


 ●─ アインシュタイン相対性理論における観測結果の相対性

 ニュートンの古典物理学では、物質の運動は絶対空間に対する運動ということに整理され、物質的諸関係は幾何学的な因果律によって運動する有機体として考えられた。絶対空間・絶対時間というものを「絶対的な座標系」としていたのである。つまりこれに対しアインシュタインは反対の方法をとったのである。ニュートン物理学にあっては「知覚的経験現相(経験としてあたえられた或ること─引用者)を超絶する独立自存の絶対的実在を前提・出発点にして、運動学を構築した。それに対して、特殊相対性理論におけるアインシュタインは、あくまでも経験的現相に定位しつつ、それを可能ならしめている条件の分析に即して時間論・空間論……を構築して行く」(廣松『哲学入門一歩前』講談社現代新書。一〇一頁)ということになる。例えば同時刻の相対性ということが措定される。
 おなじ時間がそれぞれの慣性系で異なる実験として、有名なものに次のような実験がある。廣松の解説によって考えていこう。
 今、二人の観測者は、等速直線運動をする電車がその中央で点灯したところを「車中」と「地上」から各々観測している。
 「今、電車が真直な線路上を走っている。この電車……の中央の実験台上に電球が固定してある。電球に点灯した! さてどうなるか? 車中の観測者にとっては、当然、光は車輛の先端部(前壁)と後端部(後壁)とに同時に到達する。では、この事件を地上から観察した場合にはどうなるであろうか? やはり、前後壁に同時に光が到達するであろうか?」(前掲一〇六頁)。
 「古典理論では、飛行機上から発射した弾丸のように、光の速度と電車の速度とが代数的に加算される。従って、前壁に向かう光の速度と後壁に向かう光の速度とに差があり、前壁までと後壁までは走光距離が違うが、速度のほうも違うので、到着時刻は同時という結果になるはずであった」(前掲一〇七頁)。しかし「光速度一定」という「相対性理論の第二前提のもとでは、そうはならない」(前掲一〇六頁)のである。
 つまりは地上の観測者にとっては、前壁と後壁への光の到着時刻は相違するということになる。この場合、列車の進行方向に対して、車輛の後壁は中央で点灯した点へと走行するので点灯点への距離が短くなる。車輛の前壁は点灯点より先へ進むので点灯点から距離が長くなる。光速度は一定なので、後壁に先に光が達することになるわけである。
 これは車中の観測者と地上の観測者の位置している慣性系の違いから異なった観測がなされるということだ。それぞれの慣性系で異なった時間が流れているということになるのである。すべての慣性系をつらぬく〈時間なるもの〉は存在しないのである。
 「こうして、相対運動をしている一方の系では同時刻に起こった事件が、他方の系では別々の時刻に起こったことになる!」(前掲一〇七頁)。
 さらに電車の長さも観測者の位置で相違する。車内の乗客にとって動いている電車の長さと、例えばこの電車を見ているプラットホームにいる駅員にとっての電車の長さも異なる。運動している座標系では、進行方向に長さが縮むのである。「動いているもの(の空間)は縮む」ということだ。
つまり、時間、空間(長さ)は慣性系によって異なるということが相対論でいわれる特徴である。
「相対性理論によれば、物理的時間や物理的空間というものは、こうして、観測系(観測者)と相対的である。相対論的時空間は、もはや絶対的実在ではなくなっている」。「観測者という要因を導入して言えば、系Sに属する観測者S氏と系S'に属するS'氏とのあいだで」各々「対自的な現相」と「対他的な現相」とは相互共軛的に相違しはするが、それら相違する現相(あるがまま─引用者)的測定値を整合的・統一的に定式・措定する相、それが物理的実在相にほかならないものと見做される所以となる」(これは「質量」についても同じと廣松は説明している)(前掲一一〇頁)。
 「こうして、観測者による間主観的(共同主観的……)な測定・定式ということを離れては、もはや、空間と時間という物理的実在相の措定が意味をなさない」(前掲一一〇頁)となった。
 こうして、アインシュタインはどのような観測においても絶対的な結果をみちびく運動法則があるという自然観を唱える古典物理学のパラダイムをチェンジしたのである。本論ではこれ以上、相対性理論には論脈上ふみこまないこととする。
 本論の舞台は以上を踏まえ、量子力学への舞台回しとなる。タイトルは「不確定性関係」である。 (つづく




2015年3月2日月曜日

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』(社会評論社、2007年刊)第7章「レーニンの『絶対的真理』論とその教条化――「物質の神学」としてのスターリニズム哲学』(上)



今回から三回に分けて、拙著『ロシア・マルクス主義と自由』(社会評論社、2007年刊)の「第7章」を掲載します。これは科学哲学の課題でのスターリン主義批判の拙論です。廣松渉の物象化論、科学哲学論と広重徹の科学論、朝永振一郎の量子力学論などに依拠しています。次の掲載予定日は、3月9日ごろの予定です。
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7●─レーニンの「絶対的真理」論とその教条化

  「物質の神学」としてのスターリニズム哲学



 

 ●─ レーニンの「絶対的真理論」と素朴実在論

 スターリン主義党組織論のルーツはなんだろうか。もともとのロシア・マルクス主義の前衛党思想の根底にある「絶対的真理論」が問題となる。その原点がレーニンの『唯物論と経験批判論』(以下、引用はすべて国民文庫版、第一分冊から)である。
 一九〇八~〇九年にかかれたこの論文は、マッハ哲学をもってマルクス主義を豊富化することをめざしたボグダーノフを政治的に排撃するために書かれたものである。もともとは、ボグダーノフとプレハーノフの間における論争として展開されていたものにレーニンが介入するという形で展開された。ボグダーノフはカントの「物自体」を肯定したプレハーノフに対して、要素一元論のマッハに依拠してプレハーノフを批判していたのである。つまり、「物自体」などというような、現象の〈裏側〉で本質として存在し、その本質が諸関係を現象させていると思念するような、ものなどはないとプレハーノフを批判したのがボグダーノフだったのである。
 当初レーニンはこの論争を静観していた。だがボグダーノフと政治的に対立(国会の政治宣伝の場としての利用を表明するレーニンと、急進的闘争を表明するボグダーノフの対立)するにいたってからは、この論争に介入し、マッハの「感覚」概念を「主観的観念論」とレッテル張り、批判をするにいたったということだ。本論ではそのボグダーノフ、プレハーノフ、レーニンをめぐる論争の脈絡にはこれ以上は立ち入らない。本論では、レーニンがその中で「絶対的真理」論を論じた部分をあつかうものとする。
 レーニンのポイントは、素朴実在論にもとづく主客二元論を論定し、これにもとづいて客観的に実在する物質が因果論的に一義的な法則的決定性をもって運動していること、この「法則」を「真理」と規定する。そしてかかる絶対的真理が脳に反映するという真理の認識論を論じているのである。
 ① 「われわれのそとに、われわれから独立して、対象、物、物体が存在し、われわれの感覚は外界の像である、ということである」(レーニン前掲一三〇頁)。
 これがレーニンによる素朴実在論の規定である。認識主観と認識対象(客観)の二元論がいいあらわされている。
 この立場からレーニンはマッハを次のように批判する。
 「唯物論は、自然科学と完全に一致して、物質を第一次的にあたえられているものとし、意識、思考、感覚を第二次的なものとみなす。……マッハ主義は、これと反対の観念論的観点に立っており、たちまちたわごとになってしまう。なぜなら第一に感覚はただ一定の仕方で組織された物質の一定の過程と結合しているにすぎないにもかかわらず、感覚を第一次的なものとしているからであり、第二に、物体は感覚の複合である、という根本前提は、あたえられた大文字の自我以外の他の生物ならびに一般に他の複合が存在しているという仮定によってやぶられているからである」(同五〇頁)と。そしてレーニンはマッハをバークリーの主観的観念論と同じものとしているのである。「バークリーが、『感覚すなわち心理的要素』からは唯我論以外にはなにものをも『組みたてる』ことはできない、ということを十分にしめしたのである」(同五一頁)と。
 後述するようにマッハの「感覚」とは主観の側の「感覚」のことではない。ではなぜレーニンはマッハをこのようにしか分析できないのか。それはレーニンのような素朴実在論にもとづく反映論・模写論に基本的な形式である、廣松いうところの「三項図式」の限界にほかならないのである(この点は次々節で検討する)。
 ②レーニンはかかる素朴実在論にもとづき、客観的(─絶対的)真理概念を法則の客観的実在という考え方から規定するのである。
 「客観的な、すなわち人間および人類から独立した真理をみとめることは、なんらかの仕方で絶対的真理をみとめることを意味する」(同一七四頁)。「科学の発展におけるおのおのの段階は、絶対的真理というこの総和(相対的真理の─引用者)に新しい粒をつけくわえる」(同一七七頁)。「現代の唯物論(「弁証法的唯物論」といわれているもの─引用者)、すなわちマルクス主義の観点から見れば、客観的・絶対的真理への接近の限界は、歴史的に条件づけられている。しかし、この真理の存在は無条件的であり、われわれがそれに近づいてゆくことは無条件的である」(同一七八頁)。
 では、こうした真理の認識とは何をどのように認識することなのか。
 レーニンは次のように論じている、
 「フォイエルバッハは、秩序、法則、その他のものにかんする人間の観念によってただ近似的にだけ正確に反映される、自然における客観的合法則性、客観的因果性を、認めている」。「フォイエルバッハは……自然における客観的な合法則性、因果性、必然性の否定を、公正にも、信仰主義の流派に帰属させている。……自然の客観的合法則性と人間の脳におけるこの合法則性の近似的に正確な反映とを承認することは、唯物論である。……エンゲルスが自然の客観的な合法則性、因果性、必然性の存在にかんしてわずかばかりの疑念をもゆるさなかった、ということは明白であるにちがいない」(同二〇七~二〇八頁)。
 こうした一義的な因果律とこれにもとづいた必然性の認識が「法則」の解明だとされるのである。相対的真理にせよ絶対的真理にせよ、レーニンにあって「真理」とは客観的に実在する「法則」にほかならない。「弁証法的唯物論にとっては相対的真理と絶対的真理のあいだにこえがたい境界は存在しない」(同一七八頁)となる。つまり因果律的必然性の認識が真理の認識としてめざされているということだ。
 「エンゲルスにあっては、生きた人間的実践のすべてが認識論そのもののなかに侵入して、真理の客観的基準をあたえる。……(自然の─引用者)法則をひとたび知ったならば、われわれは自然の主人である。……人間の実践のなかに現れでる、自然にたいする支配は、自然の現象や過程が人間の頭脳のなかに客観的にただしく反映した結果であり、この反映が(実践がわれわれにしめすところのものの限界内では)客観的・絶対的・永久的な真理である、ということの証拠である」(同二五七頁)。
 ③こうした素朴実在論は、物体の客観的実在を時間・空間概念にも展開するものとなる。
 「世界には運動する物質以外のなにものもなく、そして運動する物質は、空間と時間とのなか以外では運動することができない」(同二三六頁)。後述するように、あきらかにニュートン古典力学の共同主観性のもとに論じられていることがわかる。
 「われわれの発展しつつある時間と空間の概念が客観的=実在的な時間と空間を反映するものであり、ここでもまた客観的真理に接近する」(同二三八頁)。ここからレーニンはマッハを次のように批判している。
 「感覚をもった人間が空間と時間のなかに存在するのではなくて、空間と時間が人間のなかに存在し、人間に依存し、人間によってうみだされる、マッハによるとこうした結論が出てくる」と。これは完全な誤読だ。そして、マッハがニュートンの「絶対時間・絶対空間」を批判したことに対し、「マッハの時間と空間についての観念論的見解こそが『有害』である」と論じるのである(同二四一~二四二頁)。
 こうしたレーニンのような素朴実在論とか、法則実在論、実体主義的な時間・空間概念といった理解が、二〇世紀の相対性理論誕生(特殊相対性理論は一九〇五年、一般相対性理論は一九一五年)と平行する時間のなかで、これを学的に把握することができなかった、あるいは客観的に評価することが歴史的な被拘束性ゆえに不可能であったレーニンによっていわれているということなのである。このレーニンの言説それ自体を自立化させて分析するならば、二〇世紀の科学論の展開を完全に見誤ったものでしかないという以外ないものである。


 ●─ 古典力学の自然観を克服したマッハの先進性─広重徹の分析

 だがマッハの言説を主観的観念論などといっているかぎり、二〇世紀の物理学の道筋はまったく理解できないものとなる以外ない。例えばマッハのニュートン古典力学思想─力学の諸原理を人間認識の外に、客観的に実在する数学的真理と考える自然観─に対する違和がアインシュタインの相対論(本論で後に検討する)の契機をなしたのである。広重徹の「相対性理論の起源」(『相対論の形成』所収。みすず書房)にも明らかなようにアインシュタインの相対論は彼がマッハに応接することによって切り開かれたのであり、この相対論の時間・空間論を肯定することは、マッハ哲学の特徴とフレンドな関係に入ることを意味するのである。
 (「マッハ─アインシュタイン問題」─マッハとアインシュタインの同一性とはなにかをめぐる論争─をめぐって、以下の広重説は廣松の分析と異同がある。廣松は「相対性理論の哲学」の最終節、「現時点からの自家評釈」というところで広重説への異同を表明している(廣松渉著作集第三巻四四七頁以下。例えば「マッハの『力学的自然観批判』が、アインシュタインの相対性理論と論理的構制上これというほどの関係があるとはとうてい言いがたい」など)。本論としては、ニュートン力学的自然観からのテイクオフという問題意識を第一とし、廣松・広重両者の折衷ということではなく、どちらからも学ぶという立場をとるものとする。したがって─少なくとも現時点では─廣松・広重説の異同には、それとしては、立ち入らないこととする)。
 例えば広重徹は次のようにのべている。
 「一九世紀の人々は、自然現象がすべて力学的に解明されるべきなのは、偶然的に事実上そうなのではなくて、論理的・必然的な根拠があるのだ、と考えた。それは、力学の原理ないし法則が単なる経験的・事実的な法則ではなく、ちょうど幾何学の公理ないし定理のように、アプリオリな、必然的な真理であるからなのであった」。
 リーマンが「慣性法則は充足理由律(事物の存在や真なる判断はそれを根拠づける十分な理由を要求する─引用者)からは説明できないという注をつけて、力学の法則をアプリオリな真理にまつりあげようとする試みを批判したのも、逆にそれが当時広くみられた考え方であったことを示している。マッハは、『歴史と根元』において、エネルギー恒存則の根元を・仕事を無からつくり出すことは不可能・という認識に求め、この認識は近代力学よりはるかに深く、長い年月にわたる人間の経験に根ざしていることを示した。そうすることによって、一般的な因果律からアプリオリに力学の諸法則を導こうとする努力が無意味であることを主張しようとしたのである」(広重前掲三二四頁)。
 つまりレーニンの因果律的決定論的な法則の客観的実在という考え方が、一九世紀の力学的世界観における共同主観性となっていたこと、これに対するマッハの異和が述べられているということである。
 かかるマッハの思想は、アインシュタインにつぎのような影響をあたえた。
 広重は次のように展開している。
 「一八九七年、ちょうど相対論へと発展する最初の歩みをふみだしたばかりのアインシュタインがマッハの『力学』によって力学的世界観のドグマから解放されたということは、相対論の創出のためのもっとも重要な前提を用意するものであったといわねばならない。マッハは『力学』で、力学の諸法則はアプリオリな原理から導き出されるものでなく、一見そう見えるものも、永い年月にわたる人間の経験から得られた認識であることを明らかにしようとした。……力学的自然観は、力学のいくつかの原理は大なり小なりアプリオリに基礎づけられうるという思い込みに支えられていた。力学の諸原理は、その意味で単なる経験事実の要約を超えた必然的真理であり、それゆえに全物理学の基礎となると考えられたのだった。このような力学の別格視は、力学の諸原理は幾何学の公理に似て規約としての性格をもつというポアンカレ─彼は力学のアプリオリ性をもはや認めないにもかかわらず─の思想のうちにも色濃く残っている。ところがマッハの分析は、力学の諸原理といえども、結局は人間の経験をとおして得られた知識であることを、単なる哲学的命題としてだけでなく、多くの歴史的事実の検討からの結論として示した」(同三三一頁)。
 つまり力学の諸原理も、「経験的事実を集約したもの」(同三二六頁)であり、力学的諸関係を人間が整合的に説明できるように形成した共同主観性にほかならないということだ。
 例えばわれわれは、以上のような広重の言説をマッハの次のような記述からも確認することができるだろう。
 「水平方向に投射された物体の蒙る運動抵抗や、緩い斜面を登る物体が蒙る減速を、頭のなかで次第に小さくしていって、ついにはそれが零になった状態を考えることで、・無抵抗等速運動体・の表象がえられる。つまり、抵抗がなければ物体はいつまでも等速運動をつづけるという考えに至る。そういうケースは実地には現われよう筈がない。それゆえ、慣性の法則は抽象によって発見されたのだというアーベルトの指摘は正鵠を得ている。思考実験、連続的変化によって慣性の法則に到達したのである」とマッハは述べ、「輻射の概念にせよ、屈折の法則にせよ、マリオットの法則にせよ、物理学上の普遍的な概念や法則は、簡潔でしかも普遍的な、限定条件の少ない形に─あまつさえ、これらの概念や法則の綜合的な組合わせによって、どんなに複雑な事実であっても、任意の事実を再構成(換言すれば理解)できるような形に─仕上げられる。カルノーの絶対的不導体、物体の完全な等温性、不可逆過程や、キルヒホッフの絶対的黒体、等々、等々は、そういう理想化の例である」(「思考実験について」廣松渉編訳『認識の分析』所収。法政大学出版局。一一三頁)といくつもの例をあげるのである。
 広重が言うように「こうして、物理学のすべての分野はいずれも経験科学として、同じ認識論的地位をもつものと理解されるに至る。一般的・形式的な原理のレベルにおける力学と電磁理論の統一というアインシュタインの追及した課題は、そのときはじめて設定することができたのである。相対性理論の形成にとって力学的自然観からの完全な離脱が決定的に重要であったことは、一九〇五年以後にアインシュタインの理論が受容されてゆく過程にも反映している。じっさい、相対性理論の内容と意義が正しく理解され、その理論そのものが受容されるためには、アインシュタインの理論が単に電磁気学だけでなく、力学にもかかわるものであることが認識される必要があった。つまり、電磁気学同様力学も相対論の基本的公準に従わねばならないことが認識されてはじめて、相対性理論は受け容れられることになるのである。しかし、そのような認識は力学的世界観と両立しない」(広重前掲三三一~三三二頁)ということなのである。


 ●─ マクスウェルからアインシュタインへ

 本論は唯物論哲学の話なのだが、ここでもう少し、物理学の歴史過程に相即する必要はあるだろう。だからマクスウェル電磁気学からアインシュタイン特殊相対性理論へと展開する物理学の問題意識について、必要とおもわれる記述はしておいたほうがいいだろう。
 朝永振一郎は次のようにのべている。
 一八六四年、マクスウェルは「波の性質をもつ光は電磁波であると結論した。そしていろいろの光の現象をマクスウェルの方程式によって説明することができた。……ラジオの波は回路の電気振動によって生ずる。それよりも波長の短いセンチメートル波を出す発振音は、真空管の中で電子を振動させているものである。電子は負の電気をもっているので、その電子の振動数と同じ振動数をもつ電磁波が発振される。原子は、正の電気をもった原子核の周囲に、電子がとりまいてできている。この原子内の電子の中で外層部にあるものの移動によって送り出される電磁波は、われわれの目で感じる可視光線から紫外線にわたっている。原子内の深部にある電子の振動によるものは、さらに波長が短かく、これがX線である」等々。
 「ニュートンの法則が天体の運動および地球の運動に関するすべての力学的な問題を非常に正確に答えるのと同様に、マクスウェルの理論は光の現象を含めて、すべての電磁気現象の問題にニュートンの法則に少しも劣らない精密さで正しい答えを与える。そして、力学的な現象が電磁気現象に比べてもっと本質的なものであるという理由もない。……マクスウェルの理論が確立された後にも長い間、力学的なエーテルの問題が、いろいろの人によって研究された。そして電磁気現象を力学的に説明しようとすると、どうしても何かの矛盾が生じて成功しなかった。自然現象を力学的な模型で説明することだけが本当の説明であると考えたのは、力学現象がわれわれに一番馴染みが深かったために、そのように考える癖がついてしまっただけで、別にそれ以上の根拠があるわけではない。エーテルは電場と磁場の媒体であって、マクスウェルの方程式で正確に規定されているのであるから、これ以上、エーテルの性質を詮索する必要はないわけである」(朝永振一郎編『物理学読本』みすず書房。五九~六〇頁)。
 だが、ニュートン力学は絶対の権威をもっていた。あらゆる物理現象がそれで整合的に説明されるはずなのである。光の波動の前提として媒体エーテルが考えられたのもそういうことである。マクスウェル電磁気学をニュートン力学を基礎として位置づけたいという学問的な探求がつづけられたということだ。
 だが、ある実験からエーテル仮説は完全に崩壊することになる。
 一八八七年、アメリカの物理学者マイケルソンとモーレイが絶対静止エーテルにたいする地球の相対運動を計測することを目的とした実験を試みた。だが計測の結果、エーテルによる作用はみられなかったのである。その実験をつうじて、アインシュタインはエーテルはないのだとし、そこから特殊相対性理論が確立されたのである。
 なぜ、このような実験がおこなわれたかということが、ポイントだ。
 ニュートン力学では、絶対空間・絶対時間が措定される。それは、いろいろな物理的運動は、絶対空間に対しての運動だと措定することだ。電車が動いているとき、地球が絶対空間に対して静止していたとすると、電車がうごいていることになる。絶対空間を絶対の基準として運動の方向と速度が求められるのである。絶対空間とは物体の運動を観測するために基準になる空間である。そして空間は、エーテルによって満たされているとニュートン力学では考えられていた。例えば、光は波であると考えられたが、真空で媒質がなにもないなら光はつたわらない。だからエーテルが振動して波になっているのだという考えである。つまり空気のない宇宙で光の波をつたえるのはエーテルだということである。
 その場合、運動の方向がちがうと、速度がちがってくる。川の流れに沿って船を漕ぐ場合に対し、逆らってこぐ場合は抵抗が大きいのと同じである。
 地球は太陽の周囲を、秒速三〇キロの高速で公転している。それで地球は、宇宙を満たしているエーテル中を運動しているということになる。エーテルは静止している。地球は東西方向に公転している。したがって東西方向にエーテルに対する流れがあるはずだ。これに対し、エーテルに対して直角になる南北方向はエーテルの抵抗をあまり受けない。したがって、この二方向の光速度の値は違うはずである。東西方向のほうが速度に対する抵抗は大きいはずなのである。
 実験はマイケルソンの干渉計というものでおこなわれた。簡単にいうと南北の二点と東の点にミラーを置き、中央にハーフミラーを置く、西点から光を発射する。光は中央のハーフミラーで南北と東西に分離するように設置するのである。そして、北点と東点から反射した光は南点に投射される。南に設置された観測計で計測するという精巧な装置を用いた実験である。
 しかし実験結果は、この二方向の光速度は変わらなかったのである。つまり、エーテルの抵抗、つまりエーテルは検出できなかった。(エーテル問題でのローレンツ収縮仮説をめぐる問題については省略する)。ニュートン力学では、エーテルがないと光は伝わらない。だが、伝わったということだ。
 「この実験によって、宇宙全体を満たしている静止したエーテルというものは、考えることができなくなった。なぜならば、この実験はエーテルと地球との相対速度が0であることをしめしているからである。……光の場合には、光源と観測者の相対運動を与えるだけで、静止したエーテルに対する速度を求めることはできない。このようにして、エーテルの運動を決定しようとするすべての実験は失敗した。光は互いに等速度の運動をしているいかなる観測者に対しても、つねに同一の速度をもっているのである。エーテルは、動いているとか、静止しているとかいう属性をもっていないのである。光の速さは走っている観測者からみても同じである。真空はどんな手段を用いてもそれ以上、空虚にすることはできないのであって、真空は電磁場を伝える性質をもっているのであるから、エーテルはわれわれのこの物理空間の属性と考えられる。われわれのこの物理空間を離れてエーテルはないのであるから、エーテルは存在しないと言ってもよい。したがって、光速度が任意の互いに等速度の運動状態の観測者に対して同じ値をもっているという光速度の不変性も空間の構造に帰せられるべきことになる」(朝永前掲六一~六二頁)。
 まさにアインシュタインは、かかるマイケルソン―モーレイの実験から、エーテルの存在を否定し、エーテル(つまり絶対空間)無しの理論として、光速度不変の原理(光速度は光源の運動状態とは無関係に一定である。光速度は観測者に対してつねに一定である)と、ガリレイの相対性原理(あらゆる慣性系で力学的法則はすべて同一になる)とを結合して、特殊相対性理論を提起したのであった。慣性系とは、等速直線運動、静止したゼロ量の運動をする場所のことであり、慣性の法則(静止または、一様な直線運動をする物体は、力が作用しない限り、その状態を維持する)が成り立つ場だということだ。
 つまり「光がすべての方向に等しい速さで進むような観測者を考えて、これを慣性系と名付ける。アインシュタインはある慣性系にたいして等速度で動くすべての観測者がまた慣性系であって、自然法則はすべての慣性系にたいして同じであると考えた、これを相対性理論という」(前掲六二頁)。
 こうして、ニュートン力学のような絶対的基準ではなく、慣性系(座標系)においてそれらの運動は互に相対的となるという考え方が成立したのである。ここから後にのべるように、同時刻の相対性ということが措定されることになるのである。
 そしてマッハは、後に見るように、ニュートン力学の「絶対空間・絶対時間」を否定していたのである。こうして、二〇世紀初頭、時代はニュートン力学からのパラダイム・チェンジをとげつつあった。だが唯物論哲学においては、ニュートン古典力学の物質概念が支配していたのだ。
 まさにポイントは、レーニンが一九世紀の古典力学的自然観を機械論的な因果律にもとづく法則の実在という考え方の受容などをつうじ、これを共同主観性として考えていたということだ。それは彼の歴史内存在における存在被拘束性にほかならないのである。
 まさにこのマッハから相対論と量子論が展開した。そして二〇世紀の物理学で明らかになったことは、科学的真理は「絶対的真理」ではなく「相対的真理」であり、その真理も一義的な因果律的決定論ではなく、函数的決定論・確率的真理だということになったということなのである。
 レーニンはボグダーノフを次のように批判した。
 「ボグダーノフは言明している。『私にとってマルクス主義は、どのような真理であるにせよ、その無条件的客観性の否定、あらゆる永久的真理の否定をそのうちにふくんでいる』。……この無条件的客観性とはなにを意味するか?『永久にわたる真理』とは『ことばの絶対的な意味における客観的真理』である、とボグダーノフは同じ箇所で言い、『一定の時代の限界内だけでの客観的真理』をみとめることだけに同意している」(レーニン前掲一五九頁)と。レーニンは絶対的真理(一義一価的決定論)をボグダーノフは否定していると批判しているのだが、二〇世紀自然科学の経験をつうじて明確になったのは物質的諸関係の運動の法則性は、一義的には決定されず、多価函数的にしか決定されないということになったのだ。