2015年1月3日土曜日

ピケティ・ノート


トマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房、山形浩生・守岡桜・森本正史訳、2014年12月8日発行。原著2013年刊行)・ノート


●このノートは、単なるノートです。論文でもレジュメでもなく、論文を作るにさいしての準備ノートですらないものです。単なる抜書きです。一言、付言すれば、このピケティの『21世紀の資本』は、宇野3段階論(経済学原理論―段階論―現状分析)では、「現状分析」の分野の対象となるものであり、または、いうなれば拡張された段階論とでもいいうるものの分野であって、マルクス『資本論』や経済原論の「経済学原理論」の領域ではない、ことは、僕の主張として、確認しておきたいと思います。このノートは2014年12月下旬に完成し、当時は、若干の友人に公開していたものです。

(はじめに)

本書で使われているデータは、計量経済学者で統計学者のクズネッツの米国における「所得格差推移」(19131948)の研究資料を拡大することを出発点としている。「課税記録」を収集し、「高所得層の十分位や百分位は、申告所得に基づいた税金データから推計」し、「それぞれの国で所得税が確立した時期から始まり(これはおおむね1910年から1920年くらいだが、日本やドイツなどの国では1880年から開始されているし、ずっと遅い国もある)。こうした時系列データは定期的に更新され、執筆時点では2010年初期のデータまで拡張されている」。最終的には「世界の30名ほどの研究者による共同作業である世界トップ所得データベース(WTID)が、所得格差の推移に関する最大の歴史的データベースとなっており、本書の主要なデータ源となっている」(1920)。

また「相続税申告の個票を大量に集めた」これにより、「フランス革命以来の富の集積に関する均質な時系列データを確立できた。これで第一次大戦によるショックを、所得格差のデータ(これは1910年あたりまでしかさかのぼれない)よりもずっと広い文脈で検討できるようになった」また、国富の総ストックの研究においても、「国民所得の年数で計測」することを基本に、同様に行なわれた様々な研究を「拡張し一般化した」。これらは、「コンピュータ技術の進歩により、大量の歴史データを集めて処理するのがずっと簡単になった」ことに依っていると、されている(20-22)。


(1)「資本主義の第一基本法則」(α=r×β)の求め方



α=国民所得に占める資本のシェア


r=資本収益率


β=資本/所得比率



α=r×β




β=600%でr=5%なら、α=r×β=30

●国民所得=国内産出(生産で、「資本の減価償却分を含む「国民総生産」(GNP)とはちがう」(注頁21)+外国からの純収入(「外国から受け取った所得と外国人に支払う所得との差額」(注頁21))

●世界総所得=世界総産出…「どの年においても、総所得は生産された新しい富の総量を上回ることはできない。…逆に、あらゆる産出は、何らかの形で、労働か資本に対して所得として分配されねばならない」(48)。

●国民所得=資本所得+労働所得…その場合、「資本」とは、「人間以外の資産として、所有できて何らかの市場で取引できるものの総和として定義されている。資本は企業や政府機関が使う、各種の不動産や、金融資産、専門資産(工場、インフラ、機械、特許など)を指す」(49)。


●国民資本(国富)=国内資本+純国外資本、あるいは民間財産+公的財産…「ある国でその時に政府や住民が所有しているものすべて(ただしそれが何らかの市場で取引できる場合のみ)の総市場価値。…非金融資産(土地、住宅、商業在庫、他の建物、機械、インフラ、特許、その他の直接所有されている専門資産)と、金融資産(銀行貯金、ミューチュアル・ファンド、債券、株式、各種金融投資、保険、年金基金等々)から金融債務(負債)の総額を引いたものの合計」(5152)。


●「資本/所得比率」として=国富(国民資本) 対 国民所得の比率を求める=「ある国の総資本ストックが国民所得6年分に相当するならβ=6(あるいはβ=600%)と書く」(54)」。


「ストックを年間の所得フローで割ること」(54


「今日の先進国では、資本/所得比率はだいたい5か6ぐらいで、資本ストックはほとんどが民間資本となる。フランスとイギリス、ドイツとイタリア、米国と日本では、一人当たり国民所得は2010年でざっと3万―35000ユーロだが、総民間財産(負債を差し引いた純額)はどこの国でも一人当たり15万―20万ユーロくらいだ。つまり年間国民所得の5倍から6倍になる」。「実際には多くの人は月額2500ユーロよりはるかに少ない金額しか稼いでいないし、一部の人はその何十倍も稼いでいる。所得の開きは、一部は労働賃金に差があるからだし一部は資本からの所得にずっと大きな格差があるからで、この資本所得の格差自体も、極端な富の集中の結果となる」。また、「同様に、民間の一人当たり財産が、18万ユーロ程度、あるいは、国民所得6年分というのは、みんながそれだけの資本を持っているということではない。多くの人の持ち分はずっと少ないし、一部の人は何百万、何千万ユーロ相当もの資本資産を持っている」


●「資本ストックを、資本からの所得フローと結びつけるものだ。資本/所得比率βは、国民所得の中で資本からの所得の占める割合(αで表す)と単純な関係を持っている。


α=国民所得に占める資本のシェア

r=資本収益率

β=資本/所得比率


α=r×β

β=600%でr=5%なら、α=r×β=30%」

56




●資本収益率とは「一年にわたる資本からの収益を、その法的な形態(利潤、賃料、配当、利子、ロイヤルティ、キャピタル・ゲイン等々)によらず、その投資された資本の価値に対する比率として表すものだ。だから『利潤率』より広い概念だし、『利子率』よりはるかに広い」(5657)。


●個別企業にも使える。「500万ユーロの資本(オフィス、インフラ、機械等々)を使い、年に100万ユーロの財を生産し、うち60万ユーロが労働者の賃金、利潤が40万ユーロだとする。この会社の資本/所得比率はβ=5(つまり資本が産出5年分に相当する)、資本取得のシェアαは40%で、資本収益率はr=8%だ」(59)。


資本収益率は資産収益率で、資産によって入ってくる所得だ。




(2)「資本主義の第二基本法則」(β=s/g)


●「なぜ資本/所得比率はヨーロッパでは史上最高水準に回復したのか。そしてヨーロッパの方が米国に比べて構造的に高いのはなぜか。ある社会の資本が、国民所得3、4年分でなく7年分に相当する量であるべきだと示唆する魔法の力があるのだろうか。資本/所得比率には均衡水準があるのか、それはどのようにして決まるのか、資本収益率にとってどんな意味があるのか、それと国民所得における資本と労働の分配との関係は? これらの問いに答えるために、まずはある経済の資本/所得比率を、貯蓄と成長率に関連づける動学法則を示そう。


資本主義の第二基本法則――β=s/g


長期的には、資本/所得比率βは、貯蓄率s、成長率gと以下の方程式で示される単純明快な関係を持つ。


β=s/g


たとえばs=12%、g=2%ならβ=s/g=600%となる。


つまり、毎年国民所得の12%を貯え、国民所得の成長率が年2%の国では、長期的には資本/所得比率は600%になる。この国は、国民所得6年分に相当する資本を蓄積することになる。

 資本主義の第二基本法則ともいえるこの公式は、当然ではあるが重要なことを示している。たくさん蓄えて、ゆっくり成長する国は、長期的には(所得にくらべて)莫大な資本ストックを蓄積し、それが社会構造と富の分配に大きな影響を与えるということだ」(173)。

「たとえば、貯蓄率が12%で、成長率が年(2パーセントから)15パーセントに落ちると長期的な資本/所得比率β=s/gは、国民所得(6年分ではなく)8年分になる。…(1%に落ちると、βの値は、2%時より2倍になる――引用者)…資本集約的な社会となる。ある意味ではよい報せだ。資本は誰にとっても有利になるし、社会の仕組みが適切なら、誰もがその恩恵を受けられる。でも一方で、これは資本――どんな富の分配状態であっても――の持ち主が支配する経済資源のシェアが大きくなりかねないということだ」(175)。



●ここで言われている「成長率」とは、「国民所得の総成長率、つまり一人当たり成長率と人口増加率の和」。


貯蓄率が約1012%、一人当たり国民所得の成長率が年152パーセントだと、欧州と米国で、次のような相違が現われる。

欧州は、人口増加がほぼゼロ、成長率は、約152%だと、国民所得68年分の資本ストックが蓄積できる。

米国は、人口増加が年間1%、総成長率が253%だと、国民所得34年分の資本ストック。

「そして後者の国の貯蓄率が(おそらく人口が高齢化していないという理由から)前者に比べてすこし少ない場合、結果としてこのメカニズムはさらに促進される。つまり、一人当たり所得成長率が同じでも、人口増加率がちがうだけで、まったくちがう、資本/所得比率を持つ場合もあるのだ」(175176)。



(3)「格差拡大の根本的な力――r>


r=年間の資本収益率

g=所得と産出の年間増加率(経済成長率)


「図12は、イギリス、フランス、ドイツにおいて、民間財産(不動産、金融資産、専門資産から、負債分を差し引いたネット値)の総価値が、その国の国民所得何年分にあたるかを、1870年から2011年について示したものだ。まず見てほしいのは、19世紀末のヨーロッパにおける民間財産の水準がきわめて高かったということだ。民間財産の総量は、国民所得の67年分あたりをうろうろしていた。これはかなりの水準だ。それが19141945年期のショックを受けて急落した(この「ショック」といわれているものは、二度にわたる世界大戦とそれによる資産の破壊と「公共政策」であり(247以降、例えば283))、「戦争とその関連政策がもたらした強烈なショック」(384)とされているものである――引用者)。資本/所得比率は2から3に下がった。その後、1950年以降にそれがだんだん回復してくる。その上昇ぶりはとても急激で、21世紀初頭には英仏両国で、国民所得56年分に戻りそうだ(ドイツの民間財産はもっと低い水準から始まったので相対的に低いが、上昇トレンドは同じくらい明確だ)。

 この「U字曲線」は、圧倒的に重要な変化を反映したもので、その変化は本書の研究でも大きく効いてくる。特に、過去数十年における高い資本/所得比率への復帰は、大部分が比較的低経済成長のレジームへ戻ったことで説明できることを示そう。低成長経済では、過去の富が当然ながら重要性を大きく高めることとなる。というのも富のストックを安定して大幅に増やすためには、新規の貯蓄フローはごく小額ですむからだ。

 さらに、もし資本収益率が長期的に成長率を大きく上回っていれば(これは経済成長率が低いときには、必ずとは言わないまでも起こりやすい)、富の分配で格差が拡大するリスクは大いに高まる。

 この根本的な不等式をr>gと書こうrは資本の年間収益率で、利潤、配当、利子、賃料などの資本からの収入を、その資本の総額で割ったものだ。gはその経済の成長率、つまり所得や産出の年間増加率だ)、…ある意味で、この不等式が私の結論全体の論理を総括しているのだ。

 資本収益率が経済の成長率を大幅に上回ると(19世紀まで歴史のほとんどの期間はそうだったし、21世紀もどうやらそうなりそうだ)、論理的にいって相続財産は産出や所得よりも急速に増える。相続財産を持つ人々は、資本からの所得のごく一部を貯蓄するだけで、その資本を経済全体より急速に増やせる。こうした条件下では、相続財産が生涯の労働で得た富より圧倒的に大きなものとなるし、資本の集積はきわめて高い水準に達する――潜在的には、それは現代の民主社会にとって基本となる能力主義的な価値観や社会正義の原理とは相容れない水準に達しかねない。

 さらに、この格差拡大の基本的な力は、他のメカニズムで強化されかねない。たとえば、貯蓄率は富が大きくなると急増するかもしれない(これはますます通例となっているようだ)。資本収益率が予想不能で恣意的であり、富は各種の方法で拡大できるという事実もまた能力主義モデルにとっては問題となる。最後に、こうした要因すべてはリカード的な希少性原理で悪化しかねない。不動産や石油の高い価格は、構造的な格差拡大に貢献しかねない。

 ここまで述べてきたことをまとめよう。富が集積され分配されるプロセスは、格差拡大を後押しする強力な力を含んでいる、というか少なくともきわめて高い格差水準を後押しする力を含んでいる。収斂の力も存在はするし、ある時期の一部の国ではそれが有力になるかもしれないが、格差拡大の力はいつ何時上手を取るやもしれない。これが21世紀の現在どうやら起こっているらしい。今後数十年で、人口と経済双方の成長率は低下する見通しが高いので、このトレンドはなおさら懸念される」(2729)。

「たとえば、g=1%で、r=5%ならば、資本所得の5分の一を貯蓄すれば(残り5分の4は消費しても)、先行世代から受け継いだ資本は経済と同じ比率で成長するのに十分だ。富が大きくて、裕福な暮らしをしても消費が年間レント収入より少なければ、貯蓄分はもっと増え、その人の資産は経済よりもよりよく成長し、たとえ労働からの実入りがまったくなくても、富の格差は増大しがちになるだろう。つまり厳密な数学的観点からすると、いまの条件は「相続社会」の繁栄に理想的なのだ――ここで「相続社会」と言うのは、非常に高水準の富の集中と世代から世代へと大きな財産が永続的に引き継がれる社会を意味する」(366)。


(4)格差の在り様

●「高水準の格差を達成する方法のひとつが、『超世襲社会』(あるいは『不労所得生活者社会』)によるものだ。相続財産がとても重要な位置を占め、富の集中が極端なレベル(おおむねトップ十分位が全富の90パーセントを所有し、50パーセントがトップ百分位のみによって所有される)にまで達した社会だ。この場合、総所得のヒエラルキーは大きな資本所得、とりわけ相続財産による所得に支配されている。これは全体としては細かい違いもあるが、アンシャン・レジーム期のフランス、ベル・エポック期のヨーロッパに見られたパターンだ。このような所有と不平等の構造がどのようにして存続し、それがどこまで過去のものになったのかを理解する必要がある。――もちろん、これは過去どころか未来にも待ち構えているのかもしれない」(274

●「ベル・エポック期ヨーロッパでの富の集中は、何十年、いや何世紀も続いた蓄積プロセスの結果なのだ。国民所得の年数で示された総民間財産(不動産と金融資産の両方)が、第一次世界大戦直前の水準をほぼ取り戻すには、20002010年まで待たねばならなかった。富裕国でのこの資本/所得比率の回復は、ほぼ確実に現在もなお進行中のプロセスだ」。(387

「言い換えれば、今日富が過去ほどは不平等に分配されていない理由は、単に1945年以降まだ十分に時間が経っていないからだ。これが理由のひとつであるのは確かだが、これだけでは十分ではない。富のトップ十分位、さらにトップ百分位のシェア(ヨーロッパ全体で1910年に6070パーセントだったが、2010年にはわずか2030パーセント)を見ると、19141945年のショックが、富が以前ほど集中しないような構造的変化をもたらしたのは明らかなようだ。これは単なる量の問題ではない。……前者の場合(トップ百分位が6070%のシェア――引用者)では、所得階層のトップ百分位にいる大半は明らかに資本所得のトップだ。これが……不労所得生活者の社会となる。後者の場合(トップの百分位が2030パーセントのシェア――引用者)では、トップの労働所得が、だいたいトップの資本所得と均衡している(現代は経営者の社会、あるいは均衡のとれた社会なのだ)。同様に国富の10分の120分の1(社会の貧しい半分より上になることはまずない)ではなく、4分の1から3分の1を所有する「世襲中間階級」の出現は、大きな社会変容だった」(387388)。

●「まとめよう。今日のヨーロッパではベル・エポック期に比べ、富の集中が目に見えて減っているという事実の大部分は、偶然的な出来事(19141945年のショック)と、資本からの所得への課税といった個別制度がもたらした結果だ。最終的にこれらの制度が破壊されてしまえば、過去に経験したものに近い、また状況次第ではもっと高い富の格差が生じかねないリスクが高まる。これはけっして決まった話ではない。……しかしすでにひとつだけ確かな結論がある。近代的成長、あるいは市場経済の本質に、何やら富の格差を将来的に確実に減らし、調和のとれた安定をもたらすような力があると考えるのは幻想だという事だ」(391)。

●例えば「米国の曲線(図1-1)は、1910年から2010年までの、米国の国民所得で所得階層のトップ十分位が占める割合を示す。19131948年についてクズネッツが確立した歴史的時系列データを伸ばしただけだ。1910年代から1920年代にかけて、トップ十分位は国民所得の4550パーセントを懐に入れていたが、それが1940年代には3035パーセントに下がった。格差は19501970年までその水準で横ばいだった。その後1980年代に格差が急激に高まり、2000年になると、国民所得の4550パーセント当たりの水準に戻っている(26)。


●「私が本書で強調してきた格差を拡大させる基本的な力は、市場の不完全性とは何の関係もなく、市場がもっと自由で競争的になっても消えることのない、不等式r>gにまとめられる。制限のない競争によって相続に終止符が打たれ、もっとも能力主義的な世界に近づくという考えは、危険な幻想だ」(440)。

●「具体的に言うと、世界の成人人口45億人のうち450万人程度に相当する、最も裕福な01パーセントの人たちが、平均およそ1000万ユーロ、つまり成人一人当たり世界平均資産6万ユーロの約200倍の資産を所有しており、その全体を合わせると今日、世界の富の総合系の約20パーセントに達する。最も裕福な1パーセント――45億人中4500万人――は、一人当たり平均約300万ユーロを所有している(大まかに言って、この集団に含まれる人たちの個人資産は100万ユーロ超)。これは世界の富の平均の50倍、世界の富の総額の50パーセントに相当する。

 これらの推計は(世界の富の総額と平均として示した数値を含む)は、非常に不確かであることはお忘れなく。本書で引用した大部分にも増して、これらの数値は規模感の目安としてとらえるべきもので、考えをまとめるためにのみ役立つ。

 また、各国の国内で見られるよりはるかに高度なこの富の集中は、主に国際的な格差から生じていることにも注意。世界の富の平均は成人一人当たりせいぜい6万ユーロで、先進国の市民の多くは、「世襲中流階級」の人たちも含め、世界的な富の階層の中では非常に裕福であると見なされる。同じ理由から、世界的な富の格差が本当に増加しているかどうかも、決してさだかでない。貧しい国が裕福な国にキャッチアップするとき、そのキャッチアップ効果が、瞬間的に格差拡大の力を上回る場合がある。現時点では、手元のデータからはっきりした答えは示せない。

 でも手元の情報によると、世界的な富の階層の上部で見られる格差拡大の力は、すでに非常に強力になっている。これは『フォーブス』ランキングに登場する巨額の資産のみに当てはまるのではなく、おそらくもっと少ない1000万―1億ユーロの資産にも当てはまる。こちらの人口集団ははるかに規模が大きい。トップ千分位(平均資産1000万ユーロの450万人の集団)は、世界の富の約20パーセントを所有しており、これは『フォーブス』の億万長者たちが所有する15パーセントをはるかに上回る。だから肝要なのは、この集団に作用する格差拡大の規模感を理解することだ。これは特に、この規模のポートフォリオ(投資信託や金融機関など機関投資家の所有有価証券の一覧表――引用者)に見られる不均等な資本収益率に左右される。この率次第で、階層上部の格差拡大が国家間のキャッチアップの力に勝るほど強力かどうかが決まる。格差拡大のプロセスは、億万長者の間だけで生じているのだろうか、それともそのすぐ下の集団にも影響しているのだろうか。

 たとえばトップ千分位が資産収益率6パーセントを享受している一方、世界の富の平均成長率が年間たった2パーセントだったら、30年後には、世界の資本にトップ千分位が占めるシェアは、3倍超になる。トップ千分位が世界の富の60パーセントを所有するというこの状態は、特に効果的な弾圧システムか、きわめて強力な説得装置か、その両方でもない限り、既存の政治制度の枠組みの中では想像しがたい。トップ千分位の資産収益率がたった年4パーセントだったとしても、そのシェアは30年間で実質的に倍増して訳40パーセントになる。この場合も、富の階層の上部で働く格差拡大の力は、世界的なキャッチアップと収斂を上回るもので、トップ十分位と百分位のシェアは大きく増加し、中産階級と上位中産階級から超富裕層への再配分が大幅に増加する。このような中産階級の貧困化は、激しい政治的反発を引き起こす可能性が高い。当然ながら、この段階ではこのシナリオが実現すると断言はできない。でも不等r>gが、当初のポートフォリオ規模に比例する資本収益の格差に増幅されて、爆発的な上昇軌道と、コントロール不能な不平等スパイラルを特徴とする、世界的な蓄積と富の分配をもたらす可能性はまちがいなくある。これはぜひとも認識しなければならない。これからみるように、累進資本税のみが、このような動学を効果的に阻止できるのだ」(454456)。


(5)「税制社会国家」(513)――「所得と資本に対する累進課税を持った社会国家」(566


●「個人の富に対する累進的な課税は、社会全体の利益の下に、資本主義に対するコントロールを取り戻す一方で、私有財産と競争の力を活用する。……必要なら、この税金はきわめて巨額の財産に対して大幅に累進性を高めることもできるが、これは法治の下で民主的な論争で決めることだ。……この形での資本税は新しい発想であり、21世紀のグローバル化した世襲資本主義だけのために設計されたものだ」(558)。

●「ヨーロッパ富裕税の設計図」、一回限りの相続税ではない、「資本に対する永続的な年次課税」である以上、「そこそこ穏健なものでなければならない」。「資本の総ストックに対して毎年かかる税金」のことで、「今日のヨーロッパでは民間財産がきわめて高い水準にあるので、低い税率であっても富への累進的な年次課税は、巨額の税収をもたらす。たとえば、100万ユーロ(1ユーロは146円前後で推移しているから、約14億円)以下の財産には0パーセント、100500万ユーロなら1パーセント、500万ユーロ以上なら2パーセントという富裕税を考えよう。EU加盟国すべてにこれを適用したら、この税金は人口の25パーセントくらいに影響して、ヨーロッパのGDP2パーセント相当額の税収をもたらす。この高い税収は驚くようなものではない。これは単に、今日のヨーロッパでは民間財産がGDP5年分以上あるという事実によるものだ。そしてその大半は、富の分布における百分位の上の方に集中している。資本税だけでは社会国家をまかなえる税収にはならないが、でもそこから出てくる追加の税収は巨額になる」(553554)。

●「さて、500万ユーロ以上の財産に対する税率が2パーセントどまりでなければいけない理由などないことに注目。ヨーロッパや世界で最大級の富に対する実質収益率は67パーセント以上だったから、1億ユーロや10億ユーロ以上の富には、2パーセントより」かなり高い税率にしても高すぎるとは言えない。もっとも単純で公平なやり方は、それ以前の数年にわたり、その富のブランケットごとで実際に観測された収益率をもとに税率を決めることだ。そうすれば、累進性の度合いは、資本収益率の推移と望ましい富の集中度に応じて調整できる。富の格差拡大(つまり、トップ近い百分位や千分位に属するシェアがどんどん増える状態)を避けるために(これは額面通りに見れば最低限の望ましい状態に思える)、たぶん最大級の財産に対しては5パーセントくらいの税率を翔る必要があるだろう。もっと野心的な目標がお望みなら、例えば富の格差を今日より(そして歴史的に見て成長にとって必要ではない水準より)もっと穏やかなところまで引き下げたいなら、大金持ちに対しては10パーセント以上の税率だって考えられる」(555556)。

●「正しいアプローチは、企業に対して全ヨーロッパで利潤を一回だけ申告するよう義務付けることだ。そしてその利潤に、子会社ごとに利潤に課税するという現行方式よりも操作しにくい形で、課税することだ。現行方式の問題点は、多国籍企業はあらゆる利潤を法人税がきわめて低い国にある子会社に」わざわざ割り当てることで、とんでもなくわずかな税金しか払わないですませているということだ。こうしたやり方は違法ではないし、多くの企業経営者からすると、倫理上の問題すらない。ある特定の国や領土に利潤をきっちり対応させられるという発想を捨てるほうが、筋が通っている。むしろ法人税からの税収を各国内の売り上げや支払賃金に基づいて割り振ればいい」(590)。

●「パリのアパルトマンを持つ人物は、地球の裏側に住んでいて国籍がどこだろうと、パリ市に固定資産税を払う。同じ原理が富裕税にも当てはまるが、不動産の場合だけだ。これを金融資産に適用できない理由はない。その事業活動や企業の所在地に基づいて課税するのだ。同じことが国債についても言える。「資本資産の所在地」(所有者の居住地ではない)を金融資産に適用するには、明らかに銀行データの自動的な共有により、税務当局が複雑な所有構造を評価できるようにする必要がある。こうした税金はまた、多重国籍の問題を引き起こす。こうした問題すべての解決策は、明らかに全ヨーロッパ(または全世界)レベルでしか見い出せない。だから正しいアプローチは、ユーロ圏予算議会を創り出して対応させることなのだ。……各国が通貨主権を放棄するなら、国民国家の手の届かなくなった事項に対する各国の財政的な主権を回復させるのが不可欠だろう。たとえば、公的債務に対する金利、累進資本税、多国籍企業への課税などだ。ヨーロッパ諸国にとって、いまや優先すべきは、世襲資本主義と私的利益に対するコントロールを回復でき、さらに21世紀のヨーロッパ型社会モデルを促進できる全大陸的政治当局を構築することだ」(590591)。

●「本当の会計財務的な透明性と情報提供なくして、経済的民主主義などあり得ない。逆に、企業の意思決定に介入する本当の権利(会社の重役会議に労働者の座席を用意するのも含む)なしには、透明性は役に立たない。情報は民主主義制度を支援するものでなければならない。……民主主義がいつの日か資本主義のコントロールを取り戻すためには、まずは民主主義と資本主義を宿す具体的な制度が何度も再発見される必要があることを認識しなくてはならないのだ」(600)。