2015年2月3日火曜日

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』(社会評論社、2007年刊)第6章「廣松哲学とエンゲルス主義」 



拙著『ロシア・マルクス主義と自由』第6章(社会評論社、2007年刊)


廣松哲学とエンゲルス主義

──ヘーゲルの神学的決定論とエンゲルスの法則実在論


渋谷要


※本論考は、スターリン主義の世界観への批判にとって基本的な内容を提供するものだ。本論でのポイントは主にヘーゲル、エンゲルスの哲学のポイントを批判する内容のものだが、それは内容的に、「法則」「弁証法」「決定論」「因果律」「相互作用」「物質」などの諸概念において、スターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』、クーシネンを監修者として刊行された『マルクス・レーニン主義の基礎』第一分冊「マルクス・レーニン主義世界観の哲学的原理」などでいわれているポイントと批判的に相即するものである。スターリン(主義)哲学の骨格はヘーゲル哲学の裏返しである。まさにヘーゲル哲学を裏返し的に継承したエンゲルス哲学をステップとして構築されたことがわかるのである。(筆者注)


廣松渉はマルクス・エンゲルス主義が神学と科学主義をこえたと宣揚してきた。そのことをふまえた上で、今日的にあらためて分節すべき問題があると考える。それは一九六〇年代に廣松が著わした論考を中心とした後期エンゲルスの法則実在論に対する価値的な〈改釈〉と、『存在と意味』(岩波書店)での法則実在論に対する批判との内容矛盾を軸とした問題である。廣松の見解の中にあきらかな矛盾が存在するということだ。


(一)「自由とは必然性の洞察」か


これを文献的にいうならば、『マルクス主義の地平』(講談杜学術文庫、以下『地平』とする、ことわりのない限り本章の引用は同書から)での歴史法則論
と『存在と意味』での歴史法則論の違いという問題である。まず何が、どのように矛盾していると疑問をもっているのか。その部分を抜き書きしてみることから初めよう。

『地平』に所収された「歴史法則と諸個人の自由」(一九六三年初稿、六九年完成、以下「歴史法則論」)から引用する。「実現が必然的であり、よってもって自由必然的になるためには、法則性に自覚的に服さなけれぱならない。『理性の狡智」をかりていえば、世界理性の目的を察知し、それを自分自身の目的として措定しなければならない」。「現実の人間的自由を論じようとするとき、法則的必然性の自覚的把捉とそれに自覚的に服するという契機を没却できない」。「内外の必然性を洞察し、それに自覚的に対処しなければならない」(P二四一)としてエンゲルスの『アンチ・デューリング』からつぎのように引用している。「自由は、法則からの独立性に存するのではなく、この法則の認識に、そしてそれに伴って与えられるところの法則を計画的に一定の目的のために作動せしめる可能性に存する」(P二四一)。つまり、「歴史の法則」というものが客観的に実在して、その自己運動に対し合法則的になることが自由だといっているエンゲルスの考え方を廣松は価値的に評価しているのである。

これに対して、『存在と意味』第一巻では、廣松は次のようにいっている。

「常識的な思念においては、事象界には『法則』なるものが在って、事象の生成変化を法則が規制している、ないしは、事象が法則に随って生成変化する、と了解されている」。「われわれは、法則なるものをそれ自身が規制力をそなえているものとして擬人化することをしりぞけるだけでなく、事象なるものをそれ自身が法則に随順するものとして擬人化することもしりぞける」(『存在と意味』第一巻、岩波書店、P四八五)。

法則とは「ある種の状態に一定の状態が一定の在り方で随伴・継起すること、この予期的現認が恒常的に充足されること…この現象を斉合的・統一的に説明すべく、事象が規則的拘束に服しているという擬人法的な暗黙の想定のもとに構成的に措定されるものにほかならない」(P五〇六~五〇七)。

つまりここで廣松は、客観的に白存的な法則などはなく、それは、対象と人間の共軸的関係がつくりだし、共同主観的に認証された〈説明〉にほかならず、「lawGesetz」などの「法」「掟」とおなじ位相にあるものだといっているのだ。

こうした見方に対して「法則が客観的に実在する」という考え方は、物象化的錯認だということだ。物象化とは「日常的意識にとって物象的な存在に思えるものが学理的に反省してみれば単なる客観的存在ではなく、いわゆる主観の側の動きをも巻き込んだ関係態の『仮現相(錯視されたもの)』である事態を指す」(『廣松渉著作集』第一三巻。三頁)のである。法則の物象化とは、法則なるものが自己運動して世界が創造されていると思念するということだ。こうした「法則」実在論を廣松は『存在と意味』では完全に錯認であると言い切っているのである。

だがこれはエンゲルスの法則実在論、「自由とは必然性の洞察だ」という考え方とは、まったく異なった考え方であり、それは文献的にいえば、『地平』では評価されている後期エンゲルス流の法則実在論を批判することをつうじてなされているということなのである。

あきらかに、両者には違いがある。この点をもう少し廣松の『地平』に内在してみていくことにしよう。


(二)「ヘーゲルからエンゲルスへ」という系譜の評価


まず『地平』の「歴史法則論」では、廣松はなにを問題意識としているのか、全体的なところからみていくことにしよう。

「唯物史観における歴史法則の必然性と諸個人の白由行為との関係について、どう理解するかし(P一九二)というのが論点だ。そこで廣松が言いたいのは、従来マルクス主義は「決定論」だといわれているが、本来は「決定論」と「非決定論」という対立図式そのものを乗り越えたものだということだ。

現代の決定論としては、「万象を力学的な法則性に服せしめる」近代科学主義がある。それは、中世の神学的決定論(森羅万象は神の意志によって全一的に支配されている)にかわり『必然性の連鎖を破るものは存在しない」という法則決定論にほかならない。廣松は、こうした決定論とマルクス主義が同一視されるのは、ロシア・マルクス主義の科学主義によってであるとする。

ロシア・マルクス主義は、その科学主義的発想から、決定論と因果論の承認とを同値化し、『因果律を承認する以上、マルクス主義が決定論の立場をとるのは当然である』と称する。しかも、その際、いうところの因果律をもって、結局は機械論的な、力学主義的なそれに事実上還元してしまう傾向がある」(P二〇一)。つまり徹頭徹尾、認識論的には反映論であり、客観的にある法則を発見し合法則的な活動によって、たとえばルイセンコ学説のように植物の発生・発育環境を人為的に操作し自然生態までもかえられるという科学主義を標傍したロシア・マルクス主義は、そのかぎりで決定論として規定されるべきものであり、廣松の言うようにこれを超えていくことが課題化されるべきだ。

これに対し「本来的にはマルクス・エンゲルスの思想そのものの内部には、決定論・非決定論というスコラ的な問題構成は存在しない」(P二〇二)というのが、廣松の基本的な立場なのである。

そこで次に廣松のいうマルクス・エンゲルスの本来的立場というものが何なのかということが問題となる。そしてここから廣松はほとんどエンゲルスに依拠して論じていくのであるが、かかる決定論の立場を乗り越えた者がへーゲルだったというエンゲルスの『自然弁証法』の引用からはじめている。

「へーゲルが、これら二つの観方(すなわち非決定論と決定論)に対立して、従来まったく耳にしたことのないような次の命題を携えて登場した。すなわち偶然的なものは必然的であり、必然的なものは偶然性として自己を規定する。そして他面においてはこの偶然性はむしろ絶対的な必然性である」と。つまりエンゲルスの言うへーゲルの「必然性は偶然性を媒介として貫徹される」という考え方が、かかる二元論の克服の出発点となったというのである。『地平』の廣松はここで、エンゲルスを援用しつつへーゲルの「白由・必然論」をポジティブなものとしてうけつごうとしている。

「(へーゲルは)『自由は、必然を前提し、必然を止揚されたものとして自己のうちに含んでいる』こと、『一般に白分が絶対理念に全く規定されているのだということを知るのが人間の最高の自立性である』ことを主張する。この命題は、しかし、いわゆる決定論として受け取るべきではない。この立言は彼の有名な『理性の狡智』の発想と相即的に理解しなければならない」(P二〇五)と廣松は言う。

「理性の狡智」とは、歴史過程は神の絶対知の自己実現の過程なのだが、その場合、神は歴史を担っている人間を好き勝手にふるまわせておくが、「その結果として生じてくるものは神の意図の実現であって、それは神が手段として用いている人びとが追求していたものとは全く別のものである」(P二〇六)ということだ。そのような「世界理性の意図を対自的に知り、絶対理念に全一的に規定されていることを知るのが人間の最高の自立性であ」る。「必然性の洞察が自由だというへーゲルの思想は、このような内実をもつ」。廣松はそれを「歴史の趨向を対自的にとらえ、それにアンガージュすることであると言い換えることもできよう」(前掲P二〇六)と、きわめてラフにおいている。

だが「必然性の洞察」ということをへーゲルが言う場合、それは、概念実在論というへーゲルの立場からみて、「神のロゴスヘの洞察」と言い換えられるべきものであり、「歴史の趨向を対自的にとらえる」と言いかえるのはあまりにも〈改釈〉がすぎるのではないか。

さらに廣松は、「世界理性も個別者を好き勝手にやらせておく”──この個別的な事象、つまり大法則にとっては偶然的な諸事象が全体としては大法則を貫徹せしめるという発想である」とし、「この発想法を単なる思弁的図式にとどめることなく、現実的な仕方で定律化する方向をとることによって、唯物史観は自由と必然の問題を積極的に処理しうべき視座を確保することができた」(P二〇七)とのべている。つまりここでは廣松は、へーゲルの弁証法、「理性の狡智」という考えをポジティブなものとし、これを方法論的に継承するといっているのだ。

つまり廣松は、「偶然性を通じて必然性が貫徹される」というへーゲル流の考え方は、近代科学主義の全一的・機械論的な決定論ではないということをいいたいのである。廣松はその内容をつぎのように説明している。

「『理性の狡智』という思想から、形而上学的な『世界理性』を消去し、法則性を世界に内在せしめるとき、そこにうかんでくる法則性と個別的事象との関係は」「河の流れと水の分子の運動との関係に類するであろう」(P二一四)として、水の分子は、河流の法則によって一義的に規定されているわけではなく、「あらゆる方向にあらゆる速度で……自由運動」することが前提である。これは、「商品の需要法則」が「売買の自由」を前提するのと同じだという。こうしてかかる「自由運動の『合成力』としてのみ」河流が存立するというのである。このことにもとづき「歴史法則と諾個人の行為との関係」(P二一五)を定義したのが『地平』の廣松にほかならない。

そしてこうした論考の背景には、近代の因果律が「『一定の原因が合法則的に一定の結果を必然的にひきおこす』という命題で定式化された」ことに対し、「それの原理的限界性を鋭く指摘したのがへーゲルである。へーゲルは因果律を止揚して『相互作用 Wechselwirkung』というカテゴリーでおきかえたのであった」(『マルクスの根本意想は何であったか』、情況出版、P一七八)という廣松の へーゲル理解が存在する。


(三)『弁証法の論理』でのヘーゲル批判


だが、ここでつぎのような疑問がおこってくる。へーゲルの弁証法が、近代科学主義の因果律にもとづく決定論ではないにしても、それは前提的にいえば神学的決定論の集大成ではなかったのか、それとかかる評価はどのように整合的に採られているのかという疑問である。廣松渉『弁証法の諭理』(青土社)においては、その点がつぎのように言われている。

へーゲル弁証法の場合「それは絶対的観念論と不可分の在り方をしております。そしてこのことが由因となって、実体=主体たる絶対者の自己運動(因に『論理学』は『天地創造に先立っての神の思惟』とされております)として思念される下降の途にあっては、フュア・エスとフュア・ウンスという構制をはじめ上昇の途で勘案されていた有意義な契機が没却される事態を招いております。迂生に言わせれぱ『当事主体』と『われわれ』、『著者』と『読者』との交錯した対話的構造を抜きにしては、上昇的であれ下降的であれ、そもそも弁証法が成立しえないのが道理です。対話なき弁証法、この没概念のもとでは、せいぜい読者の内なる擬似的対話を操ることしかできず、実質的には託宣の連続たらざるをえません」(P一二四)。

このように『弁証法の論理』の廣松はへーゲルの「理性の狡智」という方法は、「対話なき弁証法」であり、そもそも対話的構成を抜きにした、所詮神のモノローグでしかなく、形態論的にも弁証法とは呼べないといっている。まさにここではへーゲルの神学的決定論こそが暴きだされている。〈神〉。であれ、〈物質〉であれ、「すべてのものの根源」なるものを措定し、その根源、本質の自己運動として森羅万象を、歴史を叙述するような形而上学的な発想自体がキッパリとしりぞけられているのである。

だが、このような『弁証法の論理』における廣松の言説と『地平』でのへーゲル弁証法を高く評価した廣松のそれとはあきらかに矛盾しているのではないだろうか。

廣松はかかる問題を『マルクス主義の地平』の「歴史法則論」においては、「マルクス・エンゲルス」がへーゲルの観念弁証法を現実の諸関係に唯物論的に換骨奪胎しつつ、「『理性の狡智』という図式を批判的に継承している」とし、そのようなものとして「マルクス・エンゲルス」の歴史法則論が措定されている。

「エンゲルスは言う。…『歴史的出来事は、偶然によって支配されているようにみえる。だがしかし、皮相にみれば偶然性のたわむれである場合にも、その偶然はつねに内奥にひめられた法則に支配されているのであってこの法則の発目几こそが問題である』」(P二一六)とし、この「法則」をエンゲルスに即しながら論考していく運びとなっている。

廣松はそこで「理性の狡智」のシェーマを「偶然性を通じて必然性が貫徹するという弁証法」の命題においてひきつぎつつ、「マルクス・エンゲルス」が、廣松の言葉で「多価函数的な連続関係」、つまり「同一の原因から二つ以上の結果がそれぞれ一定の確率で生じうる」という考えを確立したことをつうじて決定論と非決定論の双方とものりこえたと論じている。

だがしかし、こうした「多価函数的な連続関係」と言ったものを、「理性の狡智」といったシェーマにはめこむのは無理だと思う。なぜなら、廣松の言う「多価函数的な連続関係」ということ自体は、複数の連関する対話的構造をもつと思われるものだが、へーゲルの「理性の狡智」とか、エンゲルスの言う「歴史法則」といったものは、「歴史の法則性」なるものを実体化した形而上学的な決定論でしかないのだから。

ともあれ廣松は、かかる準備作業をふまえつつ「歴史法則論」の第四章『歴史・内・存在の自由性」で、「自由論」の本格的討究へと入っていく。そしてそれが、本章第二節においてすでに示したものなのである。

ここでは廣松はエンゲルスの『アンチ・デューリング』を引用(P二四一)しているのだが、それは「自由は、法則からの独立性にあるのではなく、この法則の認識に、そしてそれにしたがってあたえられるところの法則を計画的に一定の日的のために作動せしめる可能性に存する」という法則実在論にほかならなかった。

エンゲルスはこの「法則」を、物象化の機制としてとらえていたかのように廣松は論じているけれども、だがここで廣松が引用しているエンゲルスの論述を素直に読めば、やはりエンゲルスは客観的な法則の実在を信じていたとしか私には思えない。エンゲルスが物象化の機制、つまり法則なるものを、あるいは「法則」をもふくむ「威力Macht(マハト)」なるものを人間の社会的諸関係が、人間諸個人からは外化した自然の力としてつくりだしたものだということをふまえて論じているとはどうしても私には信じられない。

初期のエンゲルスとマルクスの『ドイツ・イデオロギー』における Macht論とは異なって後期エンゲルスの「法則」論は、やっぱり法則実在論になってしまっているのではないか。ところが廣松は、この点で、エンゲルスの「歴史的法則性にもとづく認識」という考え方を〈改釈〉し、人間の判断と実践は、「共同主体的な協働による」、「歴史の趨向を洞察」するためには「各々の我が我々になっていなければならない」として「真の共同社会においてのみ人格的自由もはじめて可能になる」と自由論を展開し、マルクス主義において、自由とは「プロレタリアートの先駆的決意性」(P二四二~二四六)であるとしめくくるのである。

だがここで、協働連関の対自的な在り方の問題と「法則」の問題がどのように接合されるのか問われなければならない。同じ「協働」といっても、法則実在論にのっとり、法則の担い手を自覚することを命題とした、例えば、ロシア・スターリン体制下の協働もあれば、法則実在論から解放され、神学的決定論にせよ、科学主義的決定論にせよ「法則の支配」なるものをつくりだしている協働連関の有り方を積極的に変革していこうとする協働もあるのだから。
 こうしてエンゲルスの法則実在論(を価値的に評価し〈改釈〉する廣松)と『存在と意味』(で法則実在論を批判する廣松)との対質がおこなわれなくてはならないこととなる。


(四)「法則の客観的実在性」という考え方への批判


まずエンゲルスの考え方からみていこう。エンゲルスにおける「法則」とは、人間の協働連関から外化した、物質の自已運動の「法則」ということであり、人間の間主体的、対自然的な活動が物象化した相でとらえられたものという認識ではなく、「法則」なるものが客観的に、あるがままに存在する真理として存在すると考えるものである。

「すべては細胞である。細胞がへーゲルの即自有であって、そこから最後に理念(イデー)すなわちそれぞれの場合に完成した有機体が発展してくるまで、その発展において正確にへーゲルの過程をたどっている」(一八五八年七月一四日エンゲルスのマルクスにあてた手紙)。そしてこのへーゲルの「理念」を転倒したものこそエンゲルスの措定する「物質」なるものだ。

「物質(der Stoff, derMaterie)とは、物質というこの概念がそこから抽象されてきたところの諸物質の総体にほかならず、運動そのものとは感性的に知覚しうるあらゆる運動形態の総体にほかならない」(『自然弁証法』マルクス・エンゲルス全集二〇巻、P五四四)。かかる概念的に抽象化された「物質」なるものの自己運動の法則を記述するものが、弁証法だと規定される。「弁証法、いわゆる客観的弁証法は、自然全体を支配するものであり、また観念的弁証法、弁証法的な思考は、自然のいたるところでその真価をあらわしているところの、もろもろの対立における運動の反映にすぎない」(前掲P五一九)。

つまり物質の運動は人間存在から外化して客観的に存在しており、この運動の法則に対して客体たる人間が、その法則を発見し合法則的に関わっていくことが人間の課題となるというわけである。「弁証法とは、自然、人間社会および思考の一般的運動=発展法則に関する科学という以上のものではない」(『フォイエルバッハ論』、岩波文庫、P六二)として、客観的に存在している弁証法なるものが、決定論的・法則的な支配を展開しているというのが、エンゲルスの法則論であり、まさに法則実在論の立場にほかならない。へーゲルでいうならばこれはジットリヒカイト(人倫)、神学的決定論を〈神〉の理性の狡智から、〈物質〉の理性の狡智へと転じただけのものである。こうしたエンゲルス流の法則実在論については、例えば廣松は『存在と意味』第一巻で、「人々は、今日では、中世ヨーロッパの実念論派の知識人たちとは異なり、果物という普遍が存在するからこそリンゴやナシという個別が存在するのだとは思念しない。ところが、法則となると、人々は今日でも暗黙の裡に、法則という普遍態が存在するからこそ個々の合法則的な事象という個別態が存在するのだという構図で思念してしまう」(P五〇四)と批判している。

廣松は「客体それ自体の法則性」ということを批判し、「星座の客観的配列」という思念を例にとりあげて次のように述べている。

「人が、もし、ギリシャ・ローマ風の星座区画を以って星の客観的配列であると主張するとすれば、それはたしかに誤りであろう。中国風の星座やマヤ式の星座も同等の権利を主張しうる」。

「われわれはその都度一定の星座というかたちでしか見かけ上の星群を統握できないというかぎりで、論者たちが主客二元化を前提したうえで要求するごとき客体それ自体の法則性なるものをのかたちで認識することは原理上不可能である」。「論者たちの発想と語法に半ば妥協して」いうならば「法則性は主客の協働において存立する」。

「今度は別の論者が登場して次のように反問するかもしれない。『ギリシャ式星座、中国式星座、マヤ式星座…が同じ対象群の相異なった定式化であり、依って以って変換的に対応づけることが可能である所以の客観的配列が厳存するのではないか。個々の星座にこめられている主観的契機を消去することによって、純粋に客観的な配列を認知することができるのではないか』云々。われわれの見地から言えば、論者たちの謂う主観的契機を完全に消去してしまうことは原理上不可能である。論者たちの謂う客観的な配列なるものが、すでに、原理的には、ギリシャ式、中国式、マヤ式…星座と並ぶもう一つの星座でしかありえない」(以上『存在と意味』第一巻、P四八六~四八七)。

こうして「星座」とか各々の分析対象がどういうものとして考えられ、捉えられるかといったことは、主体的・立場的分節において説明されるものであって「星座」といった分析対象と人間の共犯関係によってつくられ、人々の間でそう分節することが妥当だと判断された共同主観性としてのみ定立するということである。まさに「自然像とは、自然そのものの像ではなくして、自然に対するわれわれの関係の像」(ハイゼンベルク)なのである。

このことをふまえた上で、最後にこうした「法則の客観的実在性」という思念はどのようにして形成されるのかを『存在と意味』からみていくことにしよう。

「おそらく、法則は『事象の生起に先立って未在的に既在しつつしかも事象の径行に規則的な作用をおよぼす』ものと思念されることに由来する。この思念は『規制的拘束力をもった法則なるものが在って、事象の振舞いはその法則に随う』という了解と相即する」。そして「人々は、人間の行動を内省してそれが一定の拘束的規制に服していることを覚識し、この拘束的規制への随順という行動の在り方を万象に推及する」。「このさい、しかも拘束的に規制する『掟』の既在性、それの規則力を人々は覚識する次第であって、法則の実在性という思念はこの覚識に根差すものといえよう」(P五〇四~五〇五)。

このように法則なるものは、ある事象を共同主観性の位相において、統一的に「説明」し、人間が対象と主客協働の位相で、主体的に分節し「構成的に措定された所識相」として定めたものにほかならないのである。

こうして『存在と意味』では廣松は、エンゲルスの考えているような「法則」の客観的、自存的定立と、それを人間が認識へと反映するということとは全く反対の思考を展開しているのである。廣松がこのような後期エンゲルスの思想をそれとして知っていないわけはないだろう。しかしなぜ、このような矛盾が生みだされたのだろうか。それは私には廣松によるエンゲルスの政治主義的擁護の結果のように思えてならない。

いずれにしても、『地平』の廣松はエンゲルスのかかる法則実在論を批判することなく、価値的に評価し〈改釈〉している。すくなくとも『地平』と『存在 と意味』とのかかる矛層は、哲学者廣松渉ではなく、「マルクス・レーニン主義者」廣松渉の「理性の狡智」によってしくまれていると思うのだがどうだろうか。