2014年11月19日水曜日

近代生産力主義と京都学派・鈴木成高の近代批判――廣松渉の「近代の超克」論への言及を視軸として




以下の論考は2009年3月に理想社という出版社から刊行された石塚正英・工藤豊編『近代の超克―永久革命』という共著書に、書いた拙論「近代機械文明批判と『近代の超克』の問題意識――鈴木成高の諸論を中心として――」を、修正加筆したものです。



近代生産力主義と京都学派・鈴木成高の近代批判――廣松渉の「近代の超克」論への言及を視軸として
 
                                               渋谷要



●はじめに――廣松渉の京都学派論から




 第二次世界大戦において、大日本帝国の戦争に協力・加担した「京都学派」――京都帝国大学を拠点とした社会思想の一派――であったが、そこには、近代ブルジョア的価値・パラダイムを超克していこうとする問題意識が表出している。京都学派は、その問題意識を当時の時流にあわせて広めていこうとした、そこに京都学派が、帝国主義戦争に加担した根拠があるのだが、ここではそれを、踏まえた上で、京都学派の問題意識を鈴木成高の機械文明批判に焦点をあてて、見てゆくことにする。


なお、京都学派が日本帝国主義のアジア侵略を免罪し、それに加担した論理構造については、拙著では「京都学派の資本主義批判――「日本の帝国主義はそのままに(批判せず)」帝国主義を欧米独自のシステムとして実体化」(『国家とマルチチュード』第二部第二章、社会評論社、二〇〇六年)を参照してほしい。


 「近代の超克」をタイトルに開かれた、廣松渉言うところの「大放談会」が、一九四二年(昭和一七年)一〇月号の『文学界』に掲載された「文化総合会議シンポジウム」であった(廣松渉「<近代の超克>論」、廣松渉著作集第一四巻、岩波書店、一七二頁参照)。当時、京都帝国大学の教官であった鈴木成高も、その放談会に出席した一人であった。

 廣松渉はつぎのように述べている。

「鈴木成高はシンポジウムに先立って討論用に提出しておいた論文のなかで『世界全体の運命から考えるときには、今日の問題は特定の二、三の国家の興廃などということより遥かに大きな深刻な問題である。のみならず現代の変革が如何に根本的なものを志向するものであるかという認識に到達することがなければ、それに対する代価を支払う用意が定まらず、吾々自身の新時代に対する姿勢が定まらないのである』旨を前置きとして次のように述べている。

 『近代の超克ということは左様いふところにおいて見出された問題であり、少なくとも究極を極めんとする方向において発生するところの問題であると思はれる。それは例えば、政治においてはデモクラシーの超克であり、経済においては資本主義の超克なのであり、思想においては自由主義の超克を意味する。その包括する側面において多面的であるとともにその含蓄する意味において極めて深刻なものをもち、(中略)国家の内部的構造、国家と国家の関係のみならず更に世界観の根本、文明の性質に拘はるところの問題であるといわなければならないのである』。

 鈴木は右のごとき射程において問題を捉えていたのであり(中略)当座の論件に関していえば(中略)彼は六箇条の形にまとめて問題を提出する。

(一)『近代の超克』をば問題の本来的意味において、即ち欧州的意味において明らかにすること。

(二)問題を日本的角度において定位し、日本的課題としてこの問題が何を意味するかを明らかにすること。

(三)超克すべき近代が十九世紀であるかあるいはルネサンス以降であるか――西欧論壇での係争点であるこの問題を裁可すること。

(四)ルネサンスの超克は当然「人間性」(リュマニテ)の根本問題に触れ、キリスト教の将来という問題とも関聯する。

(五)機械文明と人間性の問題は科学の問題に関聯する。即ち、文明の危機解決するに当たっての科学の役割と限界との問題が起こらなければならぬ。

(六)歴史学としては「進歩の理念」を超克することが、ひいては歴史主義の超克ということが、根本問題になる。

 鈴木成高による此の問題設定は、前掲の『政治においてはデモクラシーの超克、経済においては資本主義の超克、思想においてはリベラリズムの超克』という論点と合わせるとき――哲学者たちは近代知の地平そのものを端的に問題にする条項を追加したい、と考えるにせよ――問題圏をほぼ全面的にカヴァーしており、剴切(「非常に適切なこと」広辞苑――引用者)な定式であると認められよう」(廣松渉「<近代の超克>論」、廣松渉著作集第一四巻、岩波書店、一七六~一七八頁)。

 著者(渋谷)の問題意識に引き寄せれば、まさに(五)にあるように、「機械文明」と命名されている近代生産力主義が超克されねばならいのである。そのことは、同時に、当時マルクス主義が陥っていた近代生産力主義(拙著では『ロシア・マルクス主義と自由』を参照せよ)、まさに、資本主義の生産力を社会主義がひきつぎ、その生産力を――国有化と計画経済で――集約(集産)した国家によって、その生産力で得た富を、人民に分配してゆくという思想(実際は、ソ連、中国などにおいては特権官僚制と格差賃金の下で、極度に不平等な分配となっていった)は、近代の亜流として超克されねばならないだろう。ここにおいて、これから、見てゆくような、機械文明自身が持つ人間「疎外」などを超えた近代批判の問題意識が、京都学派には存在していたというべきである。

 廣松としては「往時における『近代の超克』論が対自化した論件とモチーフは今日にあっても依然として生きている」(前掲、一八八頁)としている。

その問題意識は継承されるべきだというわけである。

ここでは、その廣松がアップした鈴木成高の先の問題意識の内、(五)の機械文明の問題に絞って、京都学派の「近代の超克」の論点と対質したいと考えるものである。

(注:本論では、この論脈で廣松が論じている京都学派の「哲学的人間学」の文脈の問題などについては、本論論旨との関係で、別稿にゆずるものとする)。


●京都学派・鈴木成高の問題意識


「近代の超克」」と言う場合、その「近代」とは、欧米に特化される概念ではなく、日本の近代化も含んだ、まさに世界史的な概念である。日本もまた、近代化のなかで欧米との摩擦をおこすこととなった、それが明治以降の日本の歴史で展開されたことだったのである。その場合、かかる「近代の超克」という課題は、近代の経済構造をなす資本主義経済あるいは、いわゆる社会主義経済を貫く機械文明に基礎をおいた生産力主義を、如何に・どのようにとらえるかという課題を必須の部分としていると考える。戦前・戦後をつらぬいて、その課題にとりくんだ人として、京都学派の論客の一人、鈴木成高(一九〇七~八八年。一九四二年京都帝国大学助教授となる)が存在する。

例えば鈴木は次のように述べている。

「十九世紀末期の世界史を形作っている諸々の現象、すなはち高度に機械化して止まるところを知らない科学文明、経済上における資本主義の高度的発展、大量生産と市場の独占、政治上における帝国主義競争の激化、社会上における階級闘争の尖鋭化、また芸術上におけるいはゆる世紀末文学の頽廃主義、これらの現象はいづれもそれぞれに孤立した別々の現象であるのではない。根本において同一時代の同一現象であり、すべては要するに、文明の危機、欧州の危機といふことに帰着する。(中略)人間と人間との関係、即ち社会の人倫的構造もまた、機械的平等によって画一化せられんとする」(鈴木成高『世界と人間性』、弘文堂書房、一九四七年、七〇頁)。

このような鈴木の機械文明批判の問題意識は、およそ二つの論旨に整理される。これからの諸節でのべるように一つは機械文明による人間疎外の問題。もう一つは、機械文明の必然によって求められる資源が世界的に偏在している事(資源の世界性)と、その資源が国家によって支配されていることの間の矛盾である。

後者の問題で鈴木がいうポイントは「二〇世紀における世界史の矛盾」が〈資源にたいする要求が世界的であり、資源にたいする支配が国家的であるという歴史的矛盾そのもののなかに根ざして〉いたといっていることだ。

今日においてもそのことはアメリカがイラク戦争を「石油のための戦争」として展開していったことに端的にあらわれている事態にほかならない。まさに〈世界的な生産諸力と民族国家・資本主義国民国家によるその支配との間の〉かかる矛盾が今日までの近代世界を覆いつくしてきたのではないか。とりわけ「9・11以後」、このことはさらに「対テロ戦争」とアメリカによる世界的覇権支配という形態をとって継続され拡大された形で展開していこうとしている。そしてそのなかで、近代物質主義による人間疎外が拡大しているのだ。つまり、近代の問題は「機械文明による人間の疎外」という問題と「資源と文明(国家)」という問題を両輪として展開しているといってよい。そのことを鈴木は論じたということだ。

ここでは鈴木成高の機械文明批判の問題意識を把握することをつうじて「近代の矛盾」をいかに分析するか、その方法の一つを対象化し、同時に「近代の超克」の問題意識を如何に継承するかを展望する。本論では第二の論点から入ることにする。


●資本主義の機動力としての産業革命(―工業の技術的展開)


まず鈴木が近代を、どのように概念的に把握したかを概観することからはじめよう。一九四七年に書かれた「産業革命」(燈影舎『京都哲学撰書』第六巻所収。)では次のように述べている。

鈴木は「われわれの住む社会は資本主義社会であり、われわれのもつ文明は機械文明である」(鈴木成高『京都哲学撰書第六巻 ヨーロッパの成立・産業革命』所収「産業革命」、燈影社、二〇〇〇年、一七二頁)と規定し、次のように「機械」を定義する(前掲、一九五頁)。「機械の出現」において「器具」は「一つの装置」となった。この機械文明が技術的に発展することを通じて工場制度が形成され、市場を開拓する機動力になる、と。「近代的大工業においては、すべての原因が生産機構そのもののなかに含まれているのである。資本主義においては、旧き注文生産におけるがごとく、需要によって生産が決まるのではない。逆に生産が市場の支配を促し、市場の争奪、独占を要求する」(前掲、二三三頁)と展開している。

更に鈴木は産業革命の技術的展開は、「運輸革命」にいたって「新段階」を画する。それは鉄道の組織化とともに帝国主義の時代を画期する。電力革命、化学工業の展開へといたる工業の展開は完全に資源と科学が民族国家の壁をやぶりそのものとして世界的な規模での交通のうちに存在することを結果していると述べ、「太平洋戦争については…それが石油問題を直接の端緒としたという事実は軽視しえないであろう。石油にはじまり原子爆弾に終わった太平洋戦争こそは、まさにそれがいかなる時代の戦争であったかをもっともよく示している」(前掲、三二四頁)と概観するのである。


●生産諸力の世界性と生産の支配の民族国家性との矛盾


そこで、かかる近代世界における資本主義の展開、その矛盾の機制ということが、問題になってくるだろう。

鈴木は「産業革命」において第二次大戦の原因を「持てる国」と「持たざる国」との矛盾とし、これを資源に対する要求の国際性と資源に対する政治的支配の国家性の矛盾から分析する。

例えば「ニッケルは、世界の八割五分までがカナダに偏在する。銅は七割五分が米州圏内に、タングステンは七割が南米に、クロムは五割が南アフリカ、一割余りがニューカレドニアに、ゴムにいたっては、現在、世界の使用量のほとんど九割が東南アジアから供給せられつつある。かくしていまや、文明の物質的基礎は『国内的でも欧州大陸的でもなくて、実に世界的である』(マンフォード(以下中略))と。「近代国家という既成の政治的単位の枠の中において、近代工業が必要とする多種類の資源を、単独で完全に自給しうるような国は一国も存在しない」(前掲、三二一頁)ということだ。

その機制だが、それは資源が単に自然の所与として偏在していることに原因するのではない、というのがここでのポイントだ。

「資源は自然科学的な概念ではなく、常にその時代の生産様式にたいして相対的な経済概念である」(前掲、三二二頁)。「資本主義以前の生産段階においては、今日の持たざる国といえども、十分持てる国であることができたのである。しかるにかかる国がもはや一つの経済単位として自己自身を維持しえないような生産段階に立ちいたるとき」(前掲、三二三頁)に、かかる矛盾は現出するということである。

つまり資本主義の科学技術的な内容に規定されて、ある一つの資源物質ははじめて資源〈として〉の有用的〈意味〉をもつものとして分節されるのである。この資源(意味)に対するヘゲモニーを国家間で争奪する、ことが行われているということだ。この資本主義の高度技術的な展開によって生み出された問題を鈴木は「科学的現実と政治的現実との食い違い」(前掲、三二三頁)というニュアンスで規定するのである。


●機械文明の定義と戦前京都学派の「広域圏」の概念


また鈴木は太平洋戦争において現出した日本など「持たざる国の広域圏運動は、かくして単に国家に新しき対立を激化せしめたにすぎなかったが、ただこの広域圏が第一義において自給権として観念せられ、従来の国家の枠を超えるなんらかの意味の世界的規模における自給性を確立しないかぎり、今後の世界においてもはや自己自身を維持しえないという観念の上にたつものであったことは見逃せない」(前掲、三二四頁)と述べる。

まさにこのように資源と国家という問題が露骨に展開されていたということだ。

「広域圏」という概念は、戦前・京都学派の座談会「総力戦の哲学」(一九四三年『世界史的立場と日本』中央公論社刊)では、高山岩男が次のようにのべているものだ。

「近代国家は国境線の中に於ける民族国家であったけれども、国防国家といふものはどうしても国境線外的な国家になることを必然要求してくるわけだ。そこに持たざる国が国防国家といふところに進んできて、やがてもう一歩進めて国防国家が国境外的の広域圏といふ風なものに到達するというやうな段階がある」と。これに対し鈴木は次のように高山に応接している。

「広域圏といふものが最初経済的な意味の生活空間の理念として、持たざる国に於て最も明確に出てきた、ということは事実だ。そしてイギリスのやうな持てる国に於て形成せられたブロック経済圏といふやうなものとは全く性質が違う。あれは国防空間とか生活空間とかいふやうな生存空間じゃなくて、単なる利害圏である(中略)ただしかし新秩序としての広域圏も」「近代の世界から出てきたものだといふ連続性の関係を実証している」のであり「それが最後の、また最高の秩序だとは言えない(中略)そこにはまだ近代の原理が低迷しているところがある。やはり精神の秩序といったやうなところまでゆかなければ」とのべている(高山岩男、高坂正顯、鈴木成高、西谷啓治『世界史的立場と日本』所収「総力戦の哲学」、中央公論社、一九四三年、三七五~三七七頁)のである。鈴木の物質主義に対する批判精神が、ここは浮き彫りになっている場面である。

高山は一九四二に出版された『世界史の哲学』(岩波書店)においては「近代機械文明の発達は国家存立に必須な軍事的経済的資源において、国家をして従来の国土の制限外に越え出ることを要求」する。このような広域圏は「帝国主義の観念からも理解しきれない」として、「道義的なもの」だと主張していた(高山岩男『世界史の哲学』、岩波書店、一九四二年、四四五~四五九頁)。

これは著者(渋谷)の立場から見るならば、「広域圏」という概念自体は、英米の帝国主義に対する日本の帝国主義的伸張の正当化でしかない概念という以外ないのだが、京都学派がここで展開している論理のポイントは「近代機械文明」というものの自己運動的な結果として経済的概念としての「広域圏」概念が発生したという論理である。つまり〈機械文明の機制として国家が国土外に自由にできる資源を求める必然が生み出される〉ということがいわれているのである。つまり資源の世界性とその支配の国家性の間の矛盾ということになるわけである。


●近代生産力主義―その超克の課題


ここで、本論の冒頭に提起した、機械文明による人間疎外の問題に入ろう。

もとより京都学派の「近代の超克」論においては、機械文明の悪弊についての問題が課題化されていた。先にとりあげた同じ座談会で、例えば鈴木は述べている。

「機械文明は人間の外側の環境の文明だ。文明は不可能を可能にするが、やはり環境に関する文明で、人間の本当の内面の精神に関するところがないと思ふ。この内外の分裂不調和といふものが非常に激しくなってきたのが現代なんで、つまり現代の危機がそこにあると言へないでせうか(中略)科学と人間の内面の精神との間の調和、このことをなんとかしなければならない」(高山岩男、高坂正顯、鈴木成高、西谷啓治『世界史的立場と日本』所収「総力戦の哲学」、中央公論社、一九四三年、三八~三九頁)。

座談会ではさらに「機械文明のやうな文明を救うために、更に新しい発明をするとか、さういうことによって救ってゆこうという行き方には大いに問題がある」と。そして「個人の人倫的実体を民族の歴史的実践の中に見出す」ところの「東洋的無を歴史の中で生かすこと」(高坂正顯の発言。前掲、四二~四三頁)などと展開されていくのだ。

まさに鈴木は「経済が生産的であると同時に精神が生産的でなければならぬ」とし、機械文明の生産力主義にたいして「精神の意味に於ける生産性」を表明する(前掲、四〇五頁)のである。

このような鈴木をはじめとした京都学派の問題意識はもとより、一九四二年、「文学界」での「近代の超克」座談会において、鈴木がつぎのようにのべていたことに典型的な主張にほかならない。

「十九世紀の後半という時代は、世界一般にああいった種類の文明、物質文明といってもよろしいが(中略)そういう世界観が支配して居ったのだと思ふ。例えば実用ということが非常に大切なものである。さういう世界観が当時のヨーロッパ一般をも支配して居ったのではないか。ところが現在ではさういう文明開化を批判しなければならなくなったといふのは、日本的な根源に還るといふことでもあるでせうが、そればかりではなくして、文明といふものが、やはりヨーロッパでも信頼の対象ばかりでなく、批判の対象になってきたといふこと(中略)さういうことと関連があると思ふのです」と。(河上徹太郎、他『近代の超克』、冨山房百科文庫、一九七九年、二四一頁)。

鈴木の問題意識においては近代文明における人間の疎外の問題、人間の人倫性、つまり道徳性、あるいは類的(共同体的)存在としての人間の連帯意識の喪失とアトム化などが、問題にされているのである。まさに鈴木はつぎのように機械文明による人間疎外の問題を展開したのだ。

「ルネサンスが、人間の発見であり個我の発見であるといはれる場合、個人主義と人格主義とが、無意識のうちに同一化されて理解されているのではないかと思はれる。しかし先にも述べた通り、事実はむしろその反対であり、近代、特に十九世紀における個人主義は、人間を人格化するよりもアトム化し単位化してしまった。デモクラシーや多数決の原理は、このような単位的個人の組織された機構なのであって、絶対にパアソナリチーの原理ではない。パアソナリチーのないところに責任性はありえない。かくして近代の政治では『責任』は完全に政策的な言葉となり、本来の倫理的意味を喪失したのである。しかも注目すべきことは、このやうな機械的個人主義は、また容易に機械的な集団主義に移行しうる可能性をば、自己みづからのうちにもっているといふことである。(中略)そこには近代社会の致命的欠陥である、真に人格的な人間性を拒否するやうな、抽象的組織の原理がつきまとっているのである」(鈴木成高『歴史的国家の理念』、弘文堂書房、一九四一年、三一五~三一六頁)。

つまり、人間の主体性に立脚した社会のありかたが否定されているということだ。鈴木はそれを機械文明の出現によるものとして次のように展開する。

「機械文明の出現は、近代における人格性の喪失を極端化せしめた。近代人は自然を支配し征服することによって、文明の新しい段階を築いたのであるが、そのことによって、かへって人間の能力を超えた第二の自然をつくることになったのである。古代においては、人間と自然とは融合していて対立がなかった。中世では自然は悪の原理として否定せられ、自然への随順は悪への随順を意味していた。

それに対して近代は、自然の再発見をもたらしたけれども、近代人の自然に対する態度は、単なる肯定だけでなく、支配であり制服であったという点に、大きな特徴をもっていた。すなわち近代人は自然を変形してそれを人間の目的に役立たせたのであるが、ここに注目すべきことは、このことが単に自然を変形せしめただけにとどまらず、逆に人間そのものをも変形せしめたというふことである。機械は人間の意思を越えた新しき超人間的環境となり、この環境のもとにおいて、人間はかえって機械の奴隷となったのである。人と人との間に存した真に人間的な繋がりも、それによって破られた。本来人間がつくったところのものが、かへって人間を超越し支配する。それが機械文明の悲劇であり、ヒューマニズムの没落も文化の危機も、その根本問題をこの点にもっていた」(鈴木成高『歴史的国家の理念』、弘文堂書房、一九四一年、三一八~三一九頁)のだからである。

つまり近代のアトム化された諸個人は共同的な結びつきから疎外されると同時に、機械(生産システム)に従属するのである。

「即ち『機械が人間に従属するよりも、逆に人間が機械に従属せしめられる』のである。『手工業では労働者が道具を使用した。しかし工場では労働者が機械に奉仕する。』人間の機械化、そこにわれわれは近代工場制下の労働における人間疎外の姿をみるであろう」(二・二〇七)と。

このような近代工場制下の労働における人間疎外を体系的に叙述したのがマルクスであった。マルクスは「資本論」第一巻で次のようにのべている。

「作業場の規模とその同時に作業する道具の数との増大は、いっそう大規模な運動機構を要求し、この機構はまたそれ自身の抵抗に勝つために人間動力よりももっと強力な動力を要求する。(中略)人間はもはや単純な動力として働くだけとなり、したがって人間の道具に代わって道具機が現われているということが前提されれば、いまや自然力は動力としても人間にとって代わることができる」(カール・マルクス「資本論」第一巻『マルクス=エンゲルス全集第二三巻第一分冊(23a)』、大月書店、一九六五年。四九一頁)。

「作業機が、原料の加工に必要なすべての運動を人間の助力なしで行うようになり、ただ人間の付き添いを必要とするだけになるとき、そこに機械の自動体系が現われる」(前掲、四九七頁)。「機械労働は神経系統を極度に疲らせると同時に、筋肉の多面的な働きを抑圧し、心身のいっさいの自由な活動を封じてしまう」(前掲、五五二頁)。

このように、機械文明は労働者を機械体系に部品化し「労働手段の一様な動きへの労働者の技術的従属」(前掲、五五四頁)をつくりだしてゆくのである。

例えば鈴木は『歴史的国家の理念』ではこのような現実に対し「文明と人間のあり方」を変えないと、この疎外からの根本的な解決はない。「文明と精神の革命」(鈴木成高『歴史的国家の理念』、弘文堂書房、一九四一年、三一九頁)が必要だとのべているのである。

「新しき宗教や神学や神話が要求せられ、アパソナリチーの問題が起こされるといふのも、そこから来ているものではないであろうか。現代はやはり「新しきアダム」の誕生を要求しているのである」(前掲、三一九頁)と。


●おわりに


鈴木はかかる近代機械文明とそれが生み出してきた問題を如何に解決しようとしたか。その立脚点を確認しよう。鈴木は次のようにのべている。

「しかしまたわれわれは、機械文明の害悪を資本主義の害悪に転嫁してしまうことによって、問題が落着してしまうとも考えることができない。(中略)資本主義を社会主義に置き換えさえすれば、機械文明の一切の問題が解消するであろうと考えるほど、単純でもありえない。番犬をつなぎかえることによって、狼は羊になりはしない」(鈴木成高『京都哲学撰書第六巻 ヨーロッパの成立・産業革命』所収「産業革命」、燈影社、二〇〇〇年、三二五~三二六頁)。

つまり機械文明の社会体制概念からの相対的自立性をふまえた討究の必要性を強調するのである。まさに機械文明は単に社会体制の選択にとどまらない位相で展開しているのである。そのことは例えば、二〇世紀におけるソ連邦の社会主義(近代派マルクス主義)の実験において、スターリンの「地球改造計画」や工業化に対する環境保護政策の不備、チェルノブイリ原発事故など、多大な環境汚染が同国に展開していたことにあきらかだろう(詳しくはM・I・ゴールドマン『ソ連における環境汚染』岩波書店、参照)。この近代工業主義を克服するという課題の解決を現代に生る私たちは、負っている。

同時にその課題は世界的資源が少数の支配的な国民国家と米系、日系などの多国籍企業・多国籍資本の支配をつうじて配分されている、この状況を克服し、グローバルに国境をこえ、民衆の利益に合致した資源の管理と配分ができる世界システムをもとめるものとなる以外ないのではないか。まさにかかる近代世界に対し、その超克を課題とした京都学派と鈴木成高の機械文明批判――近代文明批判を今日において批判的に継承する課題を、廣松渉がまさにパラダイム論的に、そうしたように、わたしたちも又、引き受ける必要があるということなのではないだろうか。