2014年11月19日水曜日

近代生産力主義と京都学派・鈴木成高の近代批判――廣松渉の「近代の超克」論への言及を視軸として




以下の論考は2009年3月に理想社という出版社から刊行された石塚正英・工藤豊編『近代の超克―永久革命』という共著書に、書いた拙論「近代機械文明批判と『近代の超克』の問題意識――鈴木成高の諸論を中心として――」を、修正加筆したものです。



近代生産力主義と京都学派・鈴木成高の近代批判――廣松渉の「近代の超克」論への言及を視軸として
 
                                               渋谷要



●はじめに――廣松渉の京都学派論から




 第二次世界大戦において、大日本帝国の戦争に協力・加担した「京都学派」――京都帝国大学を拠点とした社会思想の一派――であったが、そこには、近代ブルジョア的価値・パラダイムを超克していこうとする問題意識が表出している。京都学派は、その問題意識を当時の時流にあわせて広めていこうとした、そこに京都学派が、帝国主義戦争に加担した根拠があるのだが、ここではそれを、踏まえた上で、京都学派の問題意識を鈴木成高の機械文明批判に焦点をあてて、見てゆくことにする。


なお、京都学派が日本帝国主義のアジア侵略を免罪し、それに加担した論理構造については、拙著では「京都学派の資本主義批判――「日本の帝国主義はそのままに(批判せず)」帝国主義を欧米独自のシステムとして実体化」(『国家とマルチチュード』第二部第二章、社会評論社、二〇〇六年)を参照してほしい。


 「近代の超克」をタイトルに開かれた、廣松渉言うところの「大放談会」が、一九四二年(昭和一七年)一〇月号の『文学界』に掲載された「文化総合会議シンポジウム」であった(廣松渉「<近代の超克>論」、廣松渉著作集第一四巻、岩波書店、一七二頁参照)。当時、京都帝国大学の教官であった鈴木成高も、その放談会に出席した一人であった。

 廣松渉はつぎのように述べている。

「鈴木成高はシンポジウムに先立って討論用に提出しておいた論文のなかで『世界全体の運命から考えるときには、今日の問題は特定の二、三の国家の興廃などということより遥かに大きな深刻な問題である。のみならず現代の変革が如何に根本的なものを志向するものであるかという認識に到達することがなければ、それに対する代価を支払う用意が定まらず、吾々自身の新時代に対する姿勢が定まらないのである』旨を前置きとして次のように述べている。

 『近代の超克ということは左様いふところにおいて見出された問題であり、少なくとも究極を極めんとする方向において発生するところの問題であると思はれる。それは例えば、政治においてはデモクラシーの超克であり、経済においては資本主義の超克なのであり、思想においては自由主義の超克を意味する。その包括する側面において多面的であるとともにその含蓄する意味において極めて深刻なものをもち、(中略)国家の内部的構造、国家と国家の関係のみならず更に世界観の根本、文明の性質に拘はるところの問題であるといわなければならないのである』。

 鈴木は右のごとき射程において問題を捉えていたのであり(中略)当座の論件に関していえば(中略)彼は六箇条の形にまとめて問題を提出する。

(一)『近代の超克』をば問題の本来的意味において、即ち欧州的意味において明らかにすること。

(二)問題を日本的角度において定位し、日本的課題としてこの問題が何を意味するかを明らかにすること。

(三)超克すべき近代が十九世紀であるかあるいはルネサンス以降であるか――西欧論壇での係争点であるこの問題を裁可すること。

(四)ルネサンスの超克は当然「人間性」(リュマニテ)の根本問題に触れ、キリスト教の将来という問題とも関聯する。

(五)機械文明と人間性の問題は科学の問題に関聯する。即ち、文明の危機解決するに当たっての科学の役割と限界との問題が起こらなければならぬ。

(六)歴史学としては「進歩の理念」を超克することが、ひいては歴史主義の超克ということが、根本問題になる。

 鈴木成高による此の問題設定は、前掲の『政治においてはデモクラシーの超克、経済においては資本主義の超克、思想においてはリベラリズムの超克』という論点と合わせるとき――哲学者たちは近代知の地平そのものを端的に問題にする条項を追加したい、と考えるにせよ――問題圏をほぼ全面的にカヴァーしており、剴切(「非常に適切なこと」広辞苑――引用者)な定式であると認められよう」(廣松渉「<近代の超克>論」、廣松渉著作集第一四巻、岩波書店、一七六~一七八頁)。

 著者(渋谷)の問題意識に引き寄せれば、まさに(五)にあるように、「機械文明」と命名されている近代生産力主義が超克されねばならいのである。そのことは、同時に、当時マルクス主義が陥っていた近代生産力主義(拙著では『ロシア・マルクス主義と自由』を参照せよ)、まさに、資本主義の生産力を社会主義がひきつぎ、その生産力を――国有化と計画経済で――集約(集産)した国家によって、その生産力で得た富を、人民に分配してゆくという思想(実際は、ソ連、中国などにおいては特権官僚制と格差賃金の下で、極度に不平等な分配となっていった)は、近代の亜流として超克されねばならないだろう。ここにおいて、これから、見てゆくような、機械文明自身が持つ人間「疎外」などを超えた近代批判の問題意識が、京都学派には存在していたというべきである。

 廣松としては「往時における『近代の超克』論が対自化した論件とモチーフは今日にあっても依然として生きている」(前掲、一八八頁)としている。

その問題意識は継承されるべきだというわけである。

ここでは、その廣松がアップした鈴木成高の先の問題意識の内、(五)の機械文明の問題に絞って、京都学派の「近代の超克」の論点と対質したいと考えるものである。

(注:本論では、この論脈で廣松が論じている京都学派の「哲学的人間学」の文脈の問題などについては、本論論旨との関係で、別稿にゆずるものとする)。


●京都学派・鈴木成高の問題意識


「近代の超克」」と言う場合、その「近代」とは、欧米に特化される概念ではなく、日本の近代化も含んだ、まさに世界史的な概念である。日本もまた、近代化のなかで欧米との摩擦をおこすこととなった、それが明治以降の日本の歴史で展開されたことだったのである。その場合、かかる「近代の超克」という課題は、近代の経済構造をなす資本主義経済あるいは、いわゆる社会主義経済を貫く機械文明に基礎をおいた生産力主義を、如何に・どのようにとらえるかという課題を必須の部分としていると考える。戦前・戦後をつらぬいて、その課題にとりくんだ人として、京都学派の論客の一人、鈴木成高(一九〇七~八八年。一九四二年京都帝国大学助教授となる)が存在する。

例えば鈴木は次のように述べている。

「十九世紀末期の世界史を形作っている諸々の現象、すなはち高度に機械化して止まるところを知らない科学文明、経済上における資本主義の高度的発展、大量生産と市場の独占、政治上における帝国主義競争の激化、社会上における階級闘争の尖鋭化、また芸術上におけるいはゆる世紀末文学の頽廃主義、これらの現象はいづれもそれぞれに孤立した別々の現象であるのではない。根本において同一時代の同一現象であり、すべては要するに、文明の危機、欧州の危機といふことに帰着する。(中略)人間と人間との関係、即ち社会の人倫的構造もまた、機械的平等によって画一化せられんとする」(鈴木成高『世界と人間性』、弘文堂書房、一九四七年、七〇頁)。

このような鈴木の機械文明批判の問題意識は、およそ二つの論旨に整理される。これからの諸節でのべるように一つは機械文明による人間疎外の問題。もう一つは、機械文明の必然によって求められる資源が世界的に偏在している事(資源の世界性)と、その資源が国家によって支配されていることの間の矛盾である。

後者の問題で鈴木がいうポイントは「二〇世紀における世界史の矛盾」が〈資源にたいする要求が世界的であり、資源にたいする支配が国家的であるという歴史的矛盾そのもののなかに根ざして〉いたといっていることだ。

今日においてもそのことはアメリカがイラク戦争を「石油のための戦争」として展開していったことに端的にあらわれている事態にほかならない。まさに〈世界的な生産諸力と民族国家・資本主義国民国家によるその支配との間の〉かかる矛盾が今日までの近代世界を覆いつくしてきたのではないか。とりわけ「9・11以後」、このことはさらに「対テロ戦争」とアメリカによる世界的覇権支配という形態をとって継続され拡大された形で展開していこうとしている。そしてそのなかで、近代物質主義による人間疎外が拡大しているのだ。つまり、近代の問題は「機械文明による人間の疎外」という問題と「資源と文明(国家)」という問題を両輪として展開しているといってよい。そのことを鈴木は論じたということだ。

ここでは鈴木成高の機械文明批判の問題意識を把握することをつうじて「近代の矛盾」をいかに分析するか、その方法の一つを対象化し、同時に「近代の超克」の問題意識を如何に継承するかを展望する。本論では第二の論点から入ることにする。


●資本主義の機動力としての産業革命(―工業の技術的展開)


まず鈴木が近代を、どのように概念的に把握したかを概観することからはじめよう。一九四七年に書かれた「産業革命」(燈影舎『京都哲学撰書』第六巻所収。)では次のように述べている。

鈴木は「われわれの住む社会は資本主義社会であり、われわれのもつ文明は機械文明である」(鈴木成高『京都哲学撰書第六巻 ヨーロッパの成立・産業革命』所収「産業革命」、燈影社、二〇〇〇年、一七二頁)と規定し、次のように「機械」を定義する(前掲、一九五頁)。「機械の出現」において「器具」は「一つの装置」となった。この機械文明が技術的に発展することを通じて工場制度が形成され、市場を開拓する機動力になる、と。「近代的大工業においては、すべての原因が生産機構そのもののなかに含まれているのである。資本主義においては、旧き注文生産におけるがごとく、需要によって生産が決まるのではない。逆に生産が市場の支配を促し、市場の争奪、独占を要求する」(前掲、二三三頁)と展開している。

更に鈴木は産業革命の技術的展開は、「運輸革命」にいたって「新段階」を画する。それは鉄道の組織化とともに帝国主義の時代を画期する。電力革命、化学工業の展開へといたる工業の展開は完全に資源と科学が民族国家の壁をやぶりそのものとして世界的な規模での交通のうちに存在することを結果していると述べ、「太平洋戦争については…それが石油問題を直接の端緒としたという事実は軽視しえないであろう。石油にはじまり原子爆弾に終わった太平洋戦争こそは、まさにそれがいかなる時代の戦争であったかをもっともよく示している」(前掲、三二四頁)と概観するのである。


●生産諸力の世界性と生産の支配の民族国家性との矛盾


そこで、かかる近代世界における資本主義の展開、その矛盾の機制ということが、問題になってくるだろう。

鈴木は「産業革命」において第二次大戦の原因を「持てる国」と「持たざる国」との矛盾とし、これを資源に対する要求の国際性と資源に対する政治的支配の国家性の矛盾から分析する。

例えば「ニッケルは、世界の八割五分までがカナダに偏在する。銅は七割五分が米州圏内に、タングステンは七割が南米に、クロムは五割が南アフリカ、一割余りがニューカレドニアに、ゴムにいたっては、現在、世界の使用量のほとんど九割が東南アジアから供給せられつつある。かくしていまや、文明の物質的基礎は『国内的でも欧州大陸的でもなくて、実に世界的である』(マンフォード(以下中略))と。「近代国家という既成の政治的単位の枠の中において、近代工業が必要とする多種類の資源を、単独で完全に自給しうるような国は一国も存在しない」(前掲、三二一頁)ということだ。

その機制だが、それは資源が単に自然の所与として偏在していることに原因するのではない、というのがここでのポイントだ。

「資源は自然科学的な概念ではなく、常にその時代の生産様式にたいして相対的な経済概念である」(前掲、三二二頁)。「資本主義以前の生産段階においては、今日の持たざる国といえども、十分持てる国であることができたのである。しかるにかかる国がもはや一つの経済単位として自己自身を維持しえないような生産段階に立ちいたるとき」(前掲、三二三頁)に、かかる矛盾は現出するということである。

つまり資本主義の科学技術的な内容に規定されて、ある一つの資源物質ははじめて資源〈として〉の有用的〈意味〉をもつものとして分節されるのである。この資源(意味)に対するヘゲモニーを国家間で争奪する、ことが行われているということだ。この資本主義の高度技術的な展開によって生み出された問題を鈴木は「科学的現実と政治的現実との食い違い」(前掲、三二三頁)というニュアンスで規定するのである。


●機械文明の定義と戦前京都学派の「広域圏」の概念


また鈴木は太平洋戦争において現出した日本など「持たざる国の広域圏運動は、かくして単に国家に新しき対立を激化せしめたにすぎなかったが、ただこの広域圏が第一義において自給権として観念せられ、従来の国家の枠を超えるなんらかの意味の世界的規模における自給性を確立しないかぎり、今後の世界においてもはや自己自身を維持しえないという観念の上にたつものであったことは見逃せない」(前掲、三二四頁)と述べる。

まさにこのように資源と国家という問題が露骨に展開されていたということだ。

「広域圏」という概念は、戦前・京都学派の座談会「総力戦の哲学」(一九四三年『世界史的立場と日本』中央公論社刊)では、高山岩男が次のようにのべているものだ。

「近代国家は国境線の中に於ける民族国家であったけれども、国防国家といふものはどうしても国境線外的な国家になることを必然要求してくるわけだ。そこに持たざる国が国防国家といふところに進んできて、やがてもう一歩進めて国防国家が国境外的の広域圏といふ風なものに到達するというやうな段階がある」と。これに対し鈴木は次のように高山に応接している。

「広域圏といふものが最初経済的な意味の生活空間の理念として、持たざる国に於て最も明確に出てきた、ということは事実だ。そしてイギリスのやうな持てる国に於て形成せられたブロック経済圏といふやうなものとは全く性質が違う。あれは国防空間とか生活空間とかいふやうな生存空間じゃなくて、単なる利害圏である(中略)ただしかし新秩序としての広域圏も」「近代の世界から出てきたものだといふ連続性の関係を実証している」のであり「それが最後の、また最高の秩序だとは言えない(中略)そこにはまだ近代の原理が低迷しているところがある。やはり精神の秩序といったやうなところまでゆかなければ」とのべている(高山岩男、高坂正顯、鈴木成高、西谷啓治『世界史的立場と日本』所収「総力戦の哲学」、中央公論社、一九四三年、三七五~三七七頁)のである。鈴木の物質主義に対する批判精神が、ここは浮き彫りになっている場面である。

高山は一九四二に出版された『世界史の哲学』(岩波書店)においては「近代機械文明の発達は国家存立に必須な軍事的経済的資源において、国家をして従来の国土の制限外に越え出ることを要求」する。このような広域圏は「帝国主義の観念からも理解しきれない」として、「道義的なもの」だと主張していた(高山岩男『世界史の哲学』、岩波書店、一九四二年、四四五~四五九頁)。

これは著者(渋谷)の立場から見るならば、「広域圏」という概念自体は、英米の帝国主義に対する日本の帝国主義的伸張の正当化でしかない概念という以外ないのだが、京都学派がここで展開している論理のポイントは「近代機械文明」というものの自己運動的な結果として経済的概念としての「広域圏」概念が発生したという論理である。つまり〈機械文明の機制として国家が国土外に自由にできる資源を求める必然が生み出される〉ということがいわれているのである。つまり資源の世界性とその支配の国家性の間の矛盾ということになるわけである。


●近代生産力主義―その超克の課題


ここで、本論の冒頭に提起した、機械文明による人間疎外の問題に入ろう。

もとより京都学派の「近代の超克」論においては、機械文明の悪弊についての問題が課題化されていた。先にとりあげた同じ座談会で、例えば鈴木は述べている。

「機械文明は人間の外側の環境の文明だ。文明は不可能を可能にするが、やはり環境に関する文明で、人間の本当の内面の精神に関するところがないと思ふ。この内外の分裂不調和といふものが非常に激しくなってきたのが現代なんで、つまり現代の危機がそこにあると言へないでせうか(中略)科学と人間の内面の精神との間の調和、このことをなんとかしなければならない」(高山岩男、高坂正顯、鈴木成高、西谷啓治『世界史的立場と日本』所収「総力戦の哲学」、中央公論社、一九四三年、三八~三九頁)。

座談会ではさらに「機械文明のやうな文明を救うために、更に新しい発明をするとか、さういうことによって救ってゆこうという行き方には大いに問題がある」と。そして「個人の人倫的実体を民族の歴史的実践の中に見出す」ところの「東洋的無を歴史の中で生かすこと」(高坂正顯の発言。前掲、四二~四三頁)などと展開されていくのだ。

まさに鈴木は「経済が生産的であると同時に精神が生産的でなければならぬ」とし、機械文明の生産力主義にたいして「精神の意味に於ける生産性」を表明する(前掲、四〇五頁)のである。

このような鈴木をはじめとした京都学派の問題意識はもとより、一九四二年、「文学界」での「近代の超克」座談会において、鈴木がつぎのようにのべていたことに典型的な主張にほかならない。

「十九世紀の後半という時代は、世界一般にああいった種類の文明、物質文明といってもよろしいが(中略)そういう世界観が支配して居ったのだと思ふ。例えば実用ということが非常に大切なものである。さういう世界観が当時のヨーロッパ一般をも支配して居ったのではないか。ところが現在ではさういう文明開化を批判しなければならなくなったといふのは、日本的な根源に還るといふことでもあるでせうが、そればかりではなくして、文明といふものが、やはりヨーロッパでも信頼の対象ばかりでなく、批判の対象になってきたといふこと(中略)さういうことと関連があると思ふのです」と。(河上徹太郎、他『近代の超克』、冨山房百科文庫、一九七九年、二四一頁)。

鈴木の問題意識においては近代文明における人間の疎外の問題、人間の人倫性、つまり道徳性、あるいは類的(共同体的)存在としての人間の連帯意識の喪失とアトム化などが、問題にされているのである。まさに鈴木はつぎのように機械文明による人間疎外の問題を展開したのだ。

「ルネサンスが、人間の発見であり個我の発見であるといはれる場合、個人主義と人格主義とが、無意識のうちに同一化されて理解されているのではないかと思はれる。しかし先にも述べた通り、事実はむしろその反対であり、近代、特に十九世紀における個人主義は、人間を人格化するよりもアトム化し単位化してしまった。デモクラシーや多数決の原理は、このような単位的個人の組織された機構なのであって、絶対にパアソナリチーの原理ではない。パアソナリチーのないところに責任性はありえない。かくして近代の政治では『責任』は完全に政策的な言葉となり、本来の倫理的意味を喪失したのである。しかも注目すべきことは、このやうな機械的個人主義は、また容易に機械的な集団主義に移行しうる可能性をば、自己みづからのうちにもっているといふことである。(中略)そこには近代社会の致命的欠陥である、真に人格的な人間性を拒否するやうな、抽象的組織の原理がつきまとっているのである」(鈴木成高『歴史的国家の理念』、弘文堂書房、一九四一年、三一五~三一六頁)。

つまり、人間の主体性に立脚した社会のありかたが否定されているということだ。鈴木はそれを機械文明の出現によるものとして次のように展開する。

「機械文明の出現は、近代における人格性の喪失を極端化せしめた。近代人は自然を支配し征服することによって、文明の新しい段階を築いたのであるが、そのことによって、かへって人間の能力を超えた第二の自然をつくることになったのである。古代においては、人間と自然とは融合していて対立がなかった。中世では自然は悪の原理として否定せられ、自然への随順は悪への随順を意味していた。

それに対して近代は、自然の再発見をもたらしたけれども、近代人の自然に対する態度は、単なる肯定だけでなく、支配であり制服であったという点に、大きな特徴をもっていた。すなわち近代人は自然を変形してそれを人間の目的に役立たせたのであるが、ここに注目すべきことは、このことが単に自然を変形せしめただけにとどまらず、逆に人間そのものをも変形せしめたというふことである。機械は人間の意思を越えた新しき超人間的環境となり、この環境のもとにおいて、人間はかえって機械の奴隷となったのである。人と人との間に存した真に人間的な繋がりも、それによって破られた。本来人間がつくったところのものが、かへって人間を超越し支配する。それが機械文明の悲劇であり、ヒューマニズムの没落も文化の危機も、その根本問題をこの点にもっていた」(鈴木成高『歴史的国家の理念』、弘文堂書房、一九四一年、三一八~三一九頁)のだからである。

つまり近代のアトム化された諸個人は共同的な結びつきから疎外されると同時に、機械(生産システム)に従属するのである。

「即ち『機械が人間に従属するよりも、逆に人間が機械に従属せしめられる』のである。『手工業では労働者が道具を使用した。しかし工場では労働者が機械に奉仕する。』人間の機械化、そこにわれわれは近代工場制下の労働における人間疎外の姿をみるであろう」(二・二〇七)と。

このような近代工場制下の労働における人間疎外を体系的に叙述したのがマルクスであった。マルクスは「資本論」第一巻で次のようにのべている。

「作業場の規模とその同時に作業する道具の数との増大は、いっそう大規模な運動機構を要求し、この機構はまたそれ自身の抵抗に勝つために人間動力よりももっと強力な動力を要求する。(中略)人間はもはや単純な動力として働くだけとなり、したがって人間の道具に代わって道具機が現われているということが前提されれば、いまや自然力は動力としても人間にとって代わることができる」(カール・マルクス「資本論」第一巻『マルクス=エンゲルス全集第二三巻第一分冊(23a)』、大月書店、一九六五年。四九一頁)。

「作業機が、原料の加工に必要なすべての運動を人間の助力なしで行うようになり、ただ人間の付き添いを必要とするだけになるとき、そこに機械の自動体系が現われる」(前掲、四九七頁)。「機械労働は神経系統を極度に疲らせると同時に、筋肉の多面的な働きを抑圧し、心身のいっさいの自由な活動を封じてしまう」(前掲、五五二頁)。

このように、機械文明は労働者を機械体系に部品化し「労働手段の一様な動きへの労働者の技術的従属」(前掲、五五四頁)をつくりだしてゆくのである。

例えば鈴木は『歴史的国家の理念』ではこのような現実に対し「文明と人間のあり方」を変えないと、この疎外からの根本的な解決はない。「文明と精神の革命」(鈴木成高『歴史的国家の理念』、弘文堂書房、一九四一年、三一九頁)が必要だとのべているのである。

「新しき宗教や神学や神話が要求せられ、アパソナリチーの問題が起こされるといふのも、そこから来ているものではないであろうか。現代はやはり「新しきアダム」の誕生を要求しているのである」(前掲、三一九頁)と。


●おわりに


鈴木はかかる近代機械文明とそれが生み出してきた問題を如何に解決しようとしたか。その立脚点を確認しよう。鈴木は次のようにのべている。

「しかしまたわれわれは、機械文明の害悪を資本主義の害悪に転嫁してしまうことによって、問題が落着してしまうとも考えることができない。(中略)資本主義を社会主義に置き換えさえすれば、機械文明の一切の問題が解消するであろうと考えるほど、単純でもありえない。番犬をつなぎかえることによって、狼は羊になりはしない」(鈴木成高『京都哲学撰書第六巻 ヨーロッパの成立・産業革命』所収「産業革命」、燈影社、二〇〇〇年、三二五~三二六頁)。

つまり機械文明の社会体制概念からの相対的自立性をふまえた討究の必要性を強調するのである。まさに機械文明は単に社会体制の選択にとどまらない位相で展開しているのである。そのことは例えば、二〇世紀におけるソ連邦の社会主義(近代派マルクス主義)の実験において、スターリンの「地球改造計画」や工業化に対する環境保護政策の不備、チェルノブイリ原発事故など、多大な環境汚染が同国に展開していたことにあきらかだろう(詳しくはM・I・ゴールドマン『ソ連における環境汚染』岩波書店、参照)。この近代工業主義を克服するという課題の解決を現代に生る私たちは、負っている。

同時にその課題は世界的資源が少数の支配的な国民国家と米系、日系などの多国籍企業・多国籍資本の支配をつうじて配分されている、この状況を克服し、グローバルに国境をこえ、民衆の利益に合致した資源の管理と配分ができる世界システムをもとめるものとなる以外ないのではないか。まさにかかる近代世界に対し、その超克を課題とした京都学派と鈴木成高の機械文明批判――近代文明批判を今日において批判的に継承する課題を、廣松渉がまさにパラダイム論的に、そうしたように、わたしたちも又、引き受ける必要があるということなのではないだろうか。

2014年9月19日金曜日

1918年左翼エスエル・モスクワ蜂起について






ボリシェビキ一党独裁の成立の経緯についての話です。
一党独裁を決定づけた、
1918年、左翼エスエル・モスクワ蜂起の背景説明ともなっているものです。


レーニンと論争しているのは、左翼エスエル(社会革命党)指導者で、
農民ソビエト議長の
マリア・スピリドーノワ(当時の党内の愛称はマルーシャ)です。


--------------------------------------


ここには、ロシア10月革命派である最高指導者をマリア・スピリドーノワ(愛称・マルーシャ)とする左翼エスエルと、ボリシェビキの1918年における党派・権力闘争が画かれています。が、解説、内容の組み立て方が、実に良いとおもいます。


ブレストリトフスク講和条約は、ウクライナなどロシアの穀倉地帯をドイツ軍が占拠することをゆるし、中央ロシアの都市部に穀物が行かなくなることを結果すると、左翼エスエルは指摘していました。それと、ボリシェビキの「農村への穀物徴発」とは、密接に関係があることだった。なぜなら農村部への食糧徴発は、中央農業地帯と、ヴォルガ河流域の農業地帯に依る以外なかったが、そこは、エスエル、左翼エスエルの牙城だったからである。「徴発」は「富農」からといわれていたが、農民全体が収奪の対象となった、そこで、ミール農耕共同体農民を「徴発」から守るため、左翼エスエルとしては、ボリシェビキとの内戦に突入するという選択肢を選択した。
 左翼エスエルが講和に反対して武装蜂起した闘いには、いろいろな見方や見解が、左翼エスエル党内や、今日までの支持者の中にも存在するけれども、ミール、オプシチーナ農耕共同体を防衛するという、エスエルの断固とした意志と、共同体農民との血盟にかけた戦いだったということだけは、確認するべきだと思います。


このボリシェビキによる「穀物徴発」ですが、左翼エスエルは、農作物の公定価格の引き上げや、農村ソビエトが各農家の農産物などの数量を管理しているから、そのシステムを活用すればいいと提案したが、そういう経済政策を、ボリシェビキは最初から退け、暴力・強制で「徴発」政策を最初から展開したのです。それはどうしてだろうか?ボリシェビキの自由にならないヘゲモニーが農村にあることを、最初から、ボリシェビキは良く思っていなかったということです。


(注・1920年代、1930年にスターリンが廃止する前の時期では、ロシア農民の8割が、共同体に属していた。レーニンの『ロシアにおける資本主義の発展』での共同体解消論は、予測がはずれていた。なぜなら、ロシアは、世界資本主義の中心部に対しては、原料供給国としての性格を持っており、工業化での資本の原始的蓄積が部分的にしかおこなわれず、共同体は解体せず、反地主闘争などを展開し、1917以降の農業革命へと展開してゆくのである。これを、自党派のヘゲモニー以外のヘゲモニーの成長として、よく思わなかったのがボリシェビキだったのだ)。

2014年9月17日水曜日

試論・放射能被ばくとの闘いと日帝の祖国防衛主義――革命的祖国敗北主義と抵抗権で闘おう! 



試論・放射能被ばくとの闘いと日帝の祖国防衛主義
 ――革命的祖国敗北主義と抵抗権で闘おう!

                                                       渋谷要




※本レポートの注意点(必ず読んでください)。
本レポートは、問題意識としての論脈を鮮明にするために書かれたものであり、論脈だけで書かれている。したがって、どうしても説明する必要があった<2>の当該論述部分以外、論中の各事項に関する説明は、意識的に省略したものとなっている。論文にするときは、これらの各事項は、その内容を説明しなくてはならないものとしてある。
               <Ⅰ>
日帝国家権力のこの間の福島原発事故に対する対応の基本になっているものは、放射能汚染の賠償額の軽減政策・管理費用の軽減政策であり、そのために地域の汚染調査・住民の健康診断を不徹底にしてしまうことであり、福島事故原発労働者の被ばく線量管理などに関する諸問題、そして除染作業での被ばく問題をはじめ(これらの労働問題では「被ばく労働を考えるネットワーク」のHPなどを参照のこと)、放射能をまき散らし、あるいは移動させるだけの「除染」(もちろん、そのすべてが不要だとは、言えない)などとして、それは原発再稼動の前提をなす、放射能汚染の後景化・隠蔽政策として展開されている。そうした日帝の原発事故対応は、日帝権力者たちと日本経団連などのブルジョアジーたちが、統治技術として自分の国で利害関係をつくりあげてきた、その国家の様々な利害関係を壊さず維持し拡大してゆくという階級的利益をまもるものとして意味をもつところの、帝国主義国の「祖国防衛主義」以外の何ものでもない、ということだ。地方自治体においても、その地域における地域権力の利害関係が存在する。
例えば、福島での甲状腺がんの多発化は、多発ではなく、また放射能汚染とは関係ないなどというたぐいの原発推進派たちの対応が、それだ。そうして、早く以前から住んでいた住居地に帰還させようとし、それによって、住民の移住・避難の権利は、ないがしろにされてきたのである。まさに統治技術としての「人口政策」の帝国主義的コントロールということだ。
これに対し第一に、放射能汚染の国家責任、賠償、移住・避難の権利の徹底化、調査・検査、汚染物資の徹底管理そして、いまも続く事故の完全な情報公開などをもとめ、それが国家財政の危機を招くようであっても、徹底的に行なわれることを求める立場が、帝国主義国における祖国敗北主義の立場である。
そして第二に、それらを実行させてゆくものとして、あるいは、それらの政策を現国家体制が行なわない以上、それらの政策を実現するために、現政権を打倒するため、とられる自然法上の権利として、人民の抵抗権が、措定されるべきだというのが、本論の主張である。
まさにグローバルな放射能汚染の進行と展開のなかで、人民は「生命と財産」を危機に落とし込められ、人権を蹂躙されつづけている。かかる人民の平和的生存権(平和の内に生きる権利)を破壊する政権に対しては、人民はこれを打倒するため、平和的生存権が確保される状態を取り戻すために、抵抗権を行使することが必要である。
(注:さらに、もとより、各地、原発建設においては、日帝権力者たちは、反対運動に対して、警察機動隊を大量に投入し、暴力で反対派を弾圧した。そして、建設現地で、反対の声を上げている人たちを村八分にして、抑圧してきた。こうしたあり方には、それ自身、国家責任がとわれなければならない。まさに、国家暴力で原発は建設されてきたのであり、そうしたことも、人民の抵抗権の発動を正当なものとする権力側の不当性の根拠を立証するひとつの根拠をなすものと言えるだろう)。
<Ⅱ>
さらに、帝国主義国の祖国防衛主義として行われていることを見てゆくならば、以下のような重要な問題がある。
例えば「20ミリ問題」とは、もともと、米帝国主義の核戦略のための機関でしかないICRPが原子力事故からの「復興期」における被ばく限度として「年間1ミリ~20ミリシーベルト」と定めている、その上限の「20ミリ」を日帝が、基準にし、賠償削減政策を展開しようとしてきたという問題である。それは又、内部被曝を計算に入れず、内部被曝のリスクはわからないなどという、ふざけた主張を、基準にしてきたICRPの問題を、まったく隠蔽することから、立てられているものにほかならない。
さらに、食品の基準値でも、たとえば、野菜の基準値では、セシウム137の値は、チェルノブイリ事故原発に向き合っているウクライナで、1㎏当たり40ベクレルに対して日本では1キログラムあたり100ベクレルと、2倍以上の緩さだ。「今まで通りで、生産できます」としているわけである。ゼロベクレル派から見れば、これ自体が全くナンセンスな人民虐殺政策である。
そうしてまで日帝権力者たちは、賠償・保障低減・削減政策、汚染管理費低減・削減政策をとり、従来からの市場経済の利害関係を一つの秩序として維持しようとしているのだ。
さらに全国的に大問題となったガレキ処理の問題以外でも、例えば、汚泥の問題が存在している。
これは一つの事例にすぎないが、例えば、広瀬隆『第二のフクシマ、日本滅亡』(朝日選書)では次のようなデータが記述されているのだ。
「(2011年)6月16日、全国各地の上下水処理施設で汚泥から放射性物質が検出されて深刻になってきたため、政府の原子力災害対策本部は、放射性セシウムの濃度が1キログラムあたり(以下すべて同じ単位で示す)8000ベクレル以下であれば、跡地を住宅に利用しない場合に限って汚泥を埋め立てることができるなどの方針を公表し、福島など一三都県と八政令市に通知した。また、8000ベクレルを超え、10万ベクレル以下は濃度に応じて住宅地から距離を取れば、通常の汚泥を埋め立て処分する管理型処分場の敷地に仮置きができるとした。
さらに、6月23日の環境省の決定により、放射性セシウム濃度(セシウム134と137の合計値)が8000ベクレル以下の焼却灰は『一般廃棄物』扱いで管理型処分場での埋め立て処分をしてよいことになった。さらに環境省は、低レベル放射性廃棄物の埋設処分基準を緩和して、8000ベクレル以下を10万ベクレル以下に引き下げてしまい、放射線を遮断できる施設での保管を認めてしまった。
おいおい待てよ。原子力プラントから発生する廃棄物の場合は、放射性セシウムについては100ベクレルを超えれば、厳重な管理をするべき『放射性廃棄物』になるのだぞ。環境省は、なぜその80倍もの超危険物を、一般ゴミと同じように埋め立て可能とするのか。なぜ汚染した汚泥を低レベル放射性廃棄物扱いとして、ドラム缶に入れて保管しないのか。この発生地は、無主物どころか、福島第一原発なのだから、その敷地に戻すほかに、方法はないだろう。これが『廃棄物の発生者責任』という産業界の常識だ」。
「6月24日(2011年)、農林水産省は『放射性セシウムが200ベクレル以下ならば、この汚泥を乾燥汚泥や汚泥発酵肥料などの原料としてよい』というトンデモナイ決定を下した……放射性廃棄物が、いよいよ発酵肥料に化けるのか」という具合だ。
「2012年には、汚染砕石のコンクリートを使った福島県内の新築マンションなどから高線量の放射能が検出され、すでに数百ヶ所の工事に汚染砕石を使用済みという実態が明るみに出た」。「首都圏では、雨で流され、除染で流した水が、すべて海に流れていることが、本当に深刻である」。
こうした立体的な放射能汚染模様は、一度作られてしまうと、それが放射性物質の滞留・拡散・移動・濃縮という「乱雑」な動き、そのままに、人間生態系を動き回り、半減期などに象徴されるように、自分で消滅するまで、消えてくれないのだ。
ここで問題なのは、これらが、日帝権力者たちの恣意的な汚染賠償削減政策、汚染管理費削減政策として展開されているところの、反人民的犯罪行為以外ではないということなのである。
<Ⅲ>
まさに、現在も、福島事故原発からは、大量の放射性物質が放出されている。全国的な放射性物質の放出の影響はむしろ、広がっており、例えば関東平野の汚染は重大である。福島だけが汚染されているのではない。

  だがしかし、福島の「復興」政策では、福島の農産物、お祭り、スポーツ行事など、がおこなわれ、福島に特化したものとなっており、それらにおいては、放射能汚染は軽微なものとしてあつかわれるという、欺瞞的な政策として展開されている。
 また例えば、福島における昆虫などの小動物に放射能汚染による生体破壊が進行していること、その人間への影響などは、タブーとされるような空気が、その「復興」政策では蔓延しているだろう。
そして「復興」の名によって、福島現地の放射能汚染をいう事はタブーとされ、もちろん、全国的に汚染が広がっていることは問題外のことになる以外ない。まさにこのような日帝による日帝の「復興」政策なるものは、受忍被ばくを強要するものに他ならない。
<Ⅳ>
このような汚染と闘うには、予防原則の徹底化が必要である。が、それは、これまでも述べてきたように、天文学的な国家財政の支出を前提とするものだ。予防原則とは、ある汚染物質と考えられる対象に対して、そのリスクについて、確証がないとき、それが安全であるという確証が得られるまで、それを使った工程を排除するというものである。ここでは、放射性物質の汚染が、どれだけ広がり、どれだけの影響を人間生態系に、この社会と地球にあたえているか、また、今後、どのように展開してゆくかという事を調べることであり、徹底した検査などを基本とし、移住・避難などを支援する、まさに、医学的にも、生活的にも、必要な総てのことを、それが必要なすべての人々に提供してゆくということである。
その財政支出は、他の財政を圧迫するし、ひいては、国家財政を危機に陥れるかもしれない。上限はない。東電はもちろん破産する。国家財政の危機がやってくるからやめろと、いうのが、祖国防衛主義者たちだ。
 しかし、その場合、予防原則の徹底化の立場にとっては、日帝国家は破産・崩壊し、反核政府を樹立することが必要となるだけだ。ここで問題となるのは、そうした革命的情勢を創出するために、労働者人民の生活圏に、日本帝国主義の放射能汚染責任という国家責任を追及する社会運動をつくりだしてゆくことが、問われるということである。
つまり、予防原則の徹底化の立場は、帝国主義の祖国防衛主義と対立し、日本帝国主義の祖国敗北主義をもってのみ、予防原則の徹底化は勝ち取れるという立場になる以外ない。そして、その武器が抵抗権にほかならないのである。
受忍被ばくを一つの前提とした帝国主義祖国防衛主義の立場に立つのか、それとも、日帝崩壊・祖国敗北主義の反帝ラジカリズムの立場、放射能汚染の加害者である日帝権力者に対する人民の抵抗権の立場に立つのか、そのことがまず前提として問われていると思うのだが、どうだろうか。(2014・7・20)

2014年7月10日木曜日

「抵抗権」に関するノート



「抵抗権」に関するノート 渋谷要


はじめに


僕自身は、参加できていないのですが、630日、首相官邸前の「集団的自衛権の閣議決定=解釈改憲」に反対するデモの中で、社会民主党の福島瑞穂さんが発言し、「もし万一、閣議決定がなされた場合は、安倍内閣を打倒するために闘う事です。選挙は二年後ですが、政府支持率を20%、10%に落としていけば、安倍政権は倒れます」と発言していました(iwjのライブで見ました)。これは、憲法(国家と国民の社会契約)を不正な手段で改変・改悪し、「不正の布告」をなし、社会契約を破壊し、人民の「生命と財産」を危殆におとしいれた政府権力者は、人民の権利・義務において打倒することができるという、ロック、ルソーなどの抵抗権の考え方を、合法主義的に表明したものと、僕自身は解釈した次第です。



まさに、独裁者=安倍は打倒あるのみです。



ここにアップするのは、橋本公亘の抵抗権論です。橋本氏は1990年まで、中央大学法学部の教授をしていたので、習った方も、多分おられるはずです。以下の論旨で誤りなどがあれば、指摘していただければ幸いです。

僕の記憶が、まちがいでなければ、彼は「民社党」のブレーンとして1980年代の初めに「九条解釈変遷論」を提唱し、「九条=絶対平和主義」という戦後憲法学界の多数説を批判したことで有名です。後に、中大出身で初の日本学士会員となった人です。日本学士会など日帝国家の一つですね。

その橋本が、1958年に「護憲派」として(この初版の「はしがき」に明記されているように)初版を発行したのが、以下の本です。そして、この引用した版は、1966年に出した「新版」からの引用です。この時期、橋本は、政府の第一次臨時行政調査会の臨時委員で「行政運営の透明性」を主張したといわれています。そこから次第に、右傾化していったのではないでしょうか。ここらへんの詳しい経緯を知っておられる方があれば、お教え願えれば幸いです。

そこでポイントは、まさに、その立ち位置において、革命派ではない法学者(法学者で革命派の人はいますが)が、憲法学の一般理論の一部として論じているということにあります。



橋本公亘(はしもと・きみのぶ 1919~1998)『憲法原論』(新版、有斐閣、1966年)第2章第12節「抵抗権」から。



「(1)序説 抵抗権とは国家権力の不法な行使に対して、実力をもって抵抗する自然法上の権利である。日本国憲法は、抵抗権について、何らの規定を定めていない。けれども、日本国憲法は、自然法思想による基本的人権をその本質的構成部分としているので、抵抗権は超国家的基本的人権として、憲法に内在するものと考えられる。

 

 支配者が違法に権力を行使するときは、人民は服従義務を免がれるばかりか、これに対して抵抗する権利を有するという思想は、ヨーロッパでは、かなり古くから存在していた。ドイツのみについて考えても、ゲルマン民族法の時代から認められ、その後19世紀中葉に至るまで、活き続けてきた。また、イギリスでは、1215年のマグナ・カルタにおいて、貴族たちの抵抗権を認めているし、その他の諸国においても、抵抗権を認めるものが多かった。くだってアメリカ独立宣言や諸州憲法は、自然法ならびに自然権、国家契約、国民主権および革命権の理論を表明している。」



第1章 好戦ファシスト政権の改憲クーデター



安倍は「閣議決定」を根拠として憲法九条そのものを死文化する法整備をおこなおうとしています。けれども、憲法改正手続きを経ていない以上、上位法としての憲法九条は存在しています。安倍のやっていることは、この憲法秩序に対する憲法破壊行為であることは歴然とした事実です。その手法(閣議決定)・内容(集団的自衛権の行使)からして憲法が定めている民主主義秩序の破壊です。「セルフ・クーデター」(権力者が不法な手段で憲法の一部を変えること)とも言われ出しましたが、ファシストによる「改憲クーデター」以外ではありません。憲法の原理を根本的に否定する政治権力として安倍政権は登場している。これをどう見るかは、別の機会にレポートするとして、ここでは、そういう権力者の暴走に対する「抵抗権」について、考えてゆきたいと思います。




橋本公亘『憲法原論』(新版、有斐閣)第2章第12節「抵抗権」から。前節のつづきです。



「フランス人権宣言も、抵抗権を宣言し、その後の若干の憲法は、これを認めた。イギリス、アメリカ、フランスの諸国では、抵抗権は、人民の法意識の中で、活き続けてきたと思われるが、ドイツでは、1848年の革命の失敗を期として、抵抗権の思想は消滅し、その後1世紀にわたって、法制史や法思想上の上で、語られるにとどまった。けれども、第2次大戦後、西ドイツ諸邦の憲法の中に、抵抗権および抵抗義務の明文をもつものが現われ、自然法の再生とともに、抵抗権思想の再生が、論ぜられることとなった。この問題は、政治家、法学者、神学者等の間で論議され、ついに憲法裁判所も、抵抗権の存在を認めるに至ったことは、注目に値する。……(以下、この項略)」。



「(2)抵抗権を認める理由  

国家権力の行使が、憲法の個々の条項に違反する場合においては、憲法所定の違憲審査等により救済されるべきものであり、また国民の参政権による政治的コントロールを通じて、是正せられるべきである。このことは、憲法の予想するところで、抵抗権の存在を認める余地はない。

 これに対して、憲法の原理を根本的に否定するような政治権力が出現し、国家権力を簒奪し、人権およびこれを認める民主的憲法自体が重大な侵害を受け、その存在が否定されようとするに至ったとき、国民に抵抗権が成立すると考える。これを認める理由は、次の通りである。

  1. 人間の尊厳を中心価値とする民主主義秩序の否定に対する抵抗は、超国家的、前国家的人権と認められる。それは、実定法を超えて存在する自然法上の権利である。人間の尊厳を否定する権力者の行為に対してまで、服従する義務を負うとすることはできない。法の本質に対し、実力説的見解をとる者は、法が人類の社会生活の規範として、正義の理念を包含することを見失っているといわねばならない。権力者は、国家権力を行使するにあたって、それが、少なくとも正義の理念に反しないものであることを要求される。このような自然法は、人間の理性に直接の根拠をおくものである
  2. 国法上固有の意味の抵抗権は、実定憲法の規定の有無にかかわらず(かりに抵抗権を否定する規定があったとしても)認められるものである。したがって、日本国憲法の条項について、多くの論議をすることは、抵抗権に関するかぎり、さほど本質的なことではないのであるが、ここに注意されることは、日本国憲法自体が、かかる自然法を中核として成立していることである。このことは、前文第1段、第11、12条、および第97条等によって知ることができる。いいかえると、日本国憲法は、抵抗権の明文をもっていないが、その基本性格上、かかる固有の意味の抵抗権を内在せしめているということである」。



※憲法97条「【基本的人権の本質】この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」

自民党の改憲草案は、この97条をまるごと削除するとしています。



2章「憲法の存在自体が否認される」事態とはなにか



橋本、前掲から。

「(c)憲法に権利保障の制度があるからといって、これをもって足れりとすることはできない。ワイマール憲法崩壊の過程をみると、いかなる法制度をとっても、現実には、権力者の圧制が生ずる可能性があることを否定できない。例外状態が発生しうることは、経験の教えるところである。かかる例外状態を法学の彼岸にとどめておくべきではないであろう。ナチスによる圧制は、われわれに抵抗の必要なことを教えたのであった。権威に対し、実力に対し盲従(ママ)することの危険を忘れてはならない」(この項、以下略)。

「(3)抵抗権の成立する要件……(中略)……抵抗権の成立する要件にいついては、次のように厳格に解することが必要である。

  1. 憲法の各条項の単なる違反をもって足れりとせず、民主主義基本秩序に対する重大な侵害が行われ、憲法の存在自体が否認されようとする場合であることを要する。抵抗権の行使は、その特異な性格上、右に述べた極端な場合に限定するのでなければ、かえって法秩序の不断の混乱を来すことになるであろう。すなわち、抵抗権は例外状態において、発生すると見るべきである」。

以上は、人によってその判断の基準は異なるでしょう。だから次のようなことが、考えられる必要があります。



(b)その不法が客観的に明白であることを要する。すなわち(イ)第一に、その不法であるか否かを決定するにあたって、一私人の立場からのみ、判断されてはならない。もちろん現実の決定は、各人の良心がなすところであるが、この場合、不法の存在の有無は、客観的に考えられなければならない。(ロ)第二に、その不法は、明白でなければならない。単に不法の疑いがあるというのでは、足りないのである」。

「(C)憲法、法律によって定められた一切の法的匡正手段が、もはや、有効に目的を達する見込みがなく、正当な法秩序の再建のための最後の手段として、抵抗のみが残されていることが必要である」。


こうして「抵抗権」の行使の条件として、「憲法の存在自体が否認されようとする場合」と「客観的に認められる」自体で、「法的匡正」が「有効性をもたない」場合ということが、規定されているのです。まさに安倍たちがやった「閣議決定」こそ、その見本のようなものでしょう。そこで安倍は政府首班が法であると宣言したのです。独裁者の思想です。

今この時点から、安倍たちは、「閣議決定」にもとづく法整備を行い、自衛隊法の改定などおよそ30といわれている法制改定を行う作業に入っています。これに対する、民衆の抵抗の闘いがとわれています。



その抵抗権の行使の方法については、いろいろなことが考えられるでしょう。僕の意見では、なにより自民党は党の「改憲草案」で結集している軍事大国的な改憲勢力であるという事、これと如何に闘うかということがポイントだと思っています。合法的運動領域での政府打倒のデモなどの高揚や、「閣議決定での解釈改憲」と、それにしか根拠をもたない自衛隊法などの法整備・法改正がどれだけ、民主主義を蹂躙したものか、その不正の暴露によって、内閣支持率を降下させてゆくための闘いが必要です。



●憲法九条は、如何にその存在自体を否定されようとしているのか



そもそも、安倍が否認しようとしている九条(戦争放棄、国際紛争解決手段としての武力行使の永久放棄、軍備及び交戦権の否認)はファシズム国家(枢軸国)であった大日本帝国の武装解除の法規として、日本国の基本法に明記されたものです。その成立の初めにおいては、個別的自衛権としての「国家正当防衛権のごときを認むることが有害であると思う」という吉田茂首相の1946年6月の衆議院本会議での言明にあるように、「侵略戦争」はもちろんのこと「自衛戦争」も否定するという絶対平和主義として規定されていました。

しかし、アメリカ帝国主義は日本を、中国革命・朝鮮革命に対する「反共防波堤」とすべく、朝鮮戦争情勢を背景に、1950年1月、「個別的自衛権」の「復活」と、それに対応した「国家組織」の確立を示唆したのです(マッカーサー声明)。

ここから9条の空洞化・死文化の過程がはじまります。52年日米安保条約が発効しました。例えば警察予備隊から保安隊への改組が議論されていた52年3月参議院予算委員会では吉田首相は「自衛のための戦力は合憲」とし、54年の自衛隊発足時での衆議院予算委員会では「戦力なき軍隊」を主張し、「個別的自衛権」ということを建前に、軍事的国家組織を創設・拡充してゆきます。

サンフランシスコ条約により米軍政下にとどめられた沖縄では、米軍による土地の強制収容が展開されました。これに対して沖縄民衆は島ぐるみ闘争などを展開します。

この段階の安保体制は、実質的には「基地貸与条約」として出発しました。日本「本土」でも米軍基地との闘いがはじまります。この時期の自民党の安保政策は、日帝における自衛隊の戦力化をつうじ、米ソ冷戦の下での日米共同反革命同盟の形成を推し進めてゆくことを基本としたのです。

また、この過程は、内閣法制局の「必要最小限の戦力は合憲」とする「自衛力論」が説かれ始め、自衛隊発足時には国会での「海外派兵禁止決議」をふまえて、自衛隊合憲論がアピールされるというように、「個別的自衛権」を正当性とした日帝戦力の復活というところにポイントがありました。



そして安保は米ソ冷戦の下、1970年代後半「ガイドライン安保」へと転回し、それまでの基地貸与協定的性格から双務的同盟関係へと転回してゆくことになります。ここから、とくに、90年代初頭のPKO法成立以降、実質的に、内閣法制局が禁じているとしている「集団的自衛権」の論議が出てくることになるのです。



例えば96年「日米安保共同宣言」(安保再定義)は、その中で「地球規模の協力」を宣言しました。これをふまえた99年「周辺事態法」は、日米安保の防衛対象(周辺事態の対象とされる地域)が、例えば極東や東アジアに限定されておらず曖昧で、全世界に拡大する可能性が指摘されました。またこの時、米軍支援との関係で自衛隊などが活動するため「非戦闘地域」という概念も、規定されます。まさに米軍の後方支援などで「集団的自衛権」への抵触が問題視されました。そして21世紀に入りアフガン・イラク戦争での米軍との連携などで、その動きは強化されてゆきます。その間、日本が米軍に毎年財政支出している思いやり予算も膨れ上がっていきました。今後、「集団的自衛権」で、この思いやり予算の範囲も拡充してゆくことになるでしょう。こうして、「集団的自衛権」への踏込は、準備されてきたのです。



ちなみに、ソ連国家の崩壊によって米ソ冷戦が終結した1990年代、アメリカは本国にあったいくつかの軍事単位を国内財政削減のため日本に移しており、日本の思いやり予算で米軍を維持してゆくという方向を強めました。

米帝にとって日本における「集団的自衛権」の法制的確立は、端的にいって、米軍とともに自衛隊などが前線をはじめとする戦闘地帯での任務に従事することになります。安倍などは「紛争・戦闘行為が起こっているところからは撤退する」などと言っていますが、戦術的な一つ一つの軍事戦闘はいつ発生するかわからず、詭弁にほかならないわけです。結局は戦闘状態をも、前提する方向でこれからの法整備は行われる以外ありません。そして米軍の全世界的展開における諸任務の肩代わりや日本の財政的支援の拡大であったりというように、アメリカのコスト削減に役立つのであり、日米軍事一体化の状況は、自衛隊の米軍への本格的組み込みという側面を濃厚なものにしています。



★では、なぜ、安倍の「閣議決定での解釈改憲」が突出しているのか。

これまでの自民党の政策は、九条空洞化・死文化を、日米共同声明などの形で、条約にもとづく外交的取り決めとして展開し、それを「周辺事態法」などの個別法の範囲で処理してきました。つまり憲法という基本法に直接抵触することを避けてきたのです。



そうしてきたのは「集団的自衛権」を禁じた「政府統一見解」と、これを規定している九条の法的拘束力があったからです。権力者たちがこれから自由になるためには憲法改正手続きを進めていく必要があります。これが立憲主義の基本です。



これに対し、今回の安倍が手法とした「閣議決定での解釈改憲=集団的自衛権の行使容認」、それは端的には九条が規定する「国際紛争解決手段としての武力行使の禁止」を否定することは、直接、九条の規定を停止・無効にするという、立憲主義を無視・破壊したファシスト的手法な手法です。それを用いたことにおいて、これまでの自民党のやり方――も批判すべきですが――とは、一線を画しているということなのです。



抵抗権の要件である「憲法の存在自体が否認されようとする場合」という事態を、安倍の「閣議決定での解釈改憲」という行為は、実質的にというだけでなく、形式的に満たしています。あるいはこういってよければ、現行犯的に満たしています。



安倍はその踏込を、<独裁者が憲法の解釈を、憲法改正手続きではなく、閣議決定で変更する>という独裁者的手法で「可能」にしたのであり、ニューヨーク・タイムズの社説も「個人の考えで憲法を勝手に変えた」ということを批判しています。

 実際の政治権力者のわがままで、民主主義的・平和主義的な秩序が破壊されることは、起こるし、起こってきたのです。そういうところから、民衆の人権の担保・防衛としての「抵抗権」ということを考えていく必要があると思います。



「圧制に対する抵抗は、他の人権の帰結である」(フランス1793年憲法・人権宣言(国民公会で採択)、第33条)



第3章 抵抗権と革命の位置づけの違いについて



橋本公亘『憲法原論』(新版、有斐閣)第2章第12節「抵抗権」から。


「(4)抵抗権と革命  抵抗権の行使は、民主主義憲法のもとでは、単に保守的な意味で、すなわち法秩序の維持または再建のための緊急権としてのみ用いられうる。これを改革の手段として用いることは許されない。この点で革命とは区別される。革命は、法秩序の基礎を変革する行為であって、積極的に自己の政治的主張の実現を図るものである。それは、正当性の問題とは、区別すべきである。抵抗と革命とは、時には、一致して現われることもあるし、時には、相反する場合もある。すなわち、人間の尊厳を否定するような国家秩序の下にあっては(たとえばナチスの圧制下、または帝国主義的な植民地の法秩序の下にあっては)、抵抗権は、革命権として主張することができるのであり、両者は、方向において、一致するわけである。しかし、民主主義法秩序の下では、抵抗権は、これを擁護するためにのみ行使することができるのであって、それは、革命権として主張することはできない。

 


抵抗権は、アメリカ独立、フランス革命等においては、革命権としての役割位を果たした。それは、当時の政治が、人民に対する圧制であったがためであり、人間の権利自由の自覚が、革命権となって、現れたのである。しかし、現代のわが国においては、事情を異にする。われわれは、すでに民主主義基本秩序を樹立している。したがって、抵抗権は、この民主主義基本秩序を維持しようとするものでなければならない。それは、革命権として現われず、むしろ独裁制の出現に対する抵抗権として現われる。いいかえると、固有の意味の抵抗権は、人間の尊厳を重んじようとする自然法上の権利として、その本質を同じくするものであるが、時代と場所を異にするにしたがって、国法の基礎秩序の異なるにしたがって、抵抗する方向の差異を生じて、一は、革命権として現われ、他は、むしろ反革命権として現われるのである」。


抵抗権とは、革命というイデオロギッシュな主張を伴う行為ではなく、民主主義基本秩序を維持するための一般的権利だということが言われているわけです。それは革命と方向として一致することもあれば、相違することもある、そうした、一般的な「自然法上の権利」としてあるということが、ポイントです。





第4章  「抵抗権は、自然法上の権利であり義務であるとともに、それは倫理上の義務たるの性格を備えている」――平和的生存権への侵害を許さない



安倍・好戦ファシスト政権は、集団的自衛権行使、原発再稼動――フクシマ事故被害隠蔽などといった、人権の重要な構成要素である、人々の平和的生存権「平和の内に生存する権利」(例えば、日本国憲法前文に明記されているもの)を著しく侵害しています。60年代初頭、憲法学者・星野安三郎(19212010)が提唱し、その後、人権の重要な構成部分となって行ったのが「平和的生存権」です。最近では、2008年に日本弁護士連合会が「平和的生存権および日本国憲法9条の今日的意義を確認する宣言」を出し、「平和的生存権は、すべての基本的人権保障の基礎となる人権」と定めています。政府権力による、この平和的生存権の侵害に対しては人民には抵抗権を発動して、政権の打倒のために闘う、自然法上の権利が存在していると、ぼくは、思います。大衆的街頭デモを拡大してゆこう! 内閣支持率を低下させてゆこう!



橋本公亘『憲法原論』(新版、有斐閣)第2章第12節「抵抗権」から。



「(5)抵抗権の行使の方法  抵抗権の行使には、いかなる方法を用いるか。これについては、あらかじめ定めることができないことは、いうまでもない。不法権力を排除し、正当な法秩序を維持または再建する目的を達成するに必要な限度で、あらゆる可能な実力を行使することができる。

(6)抵抗の権利と義務  さて、右に述べたような意味で、抵抗権の行使が正当とされう場合であっても、もし抵抗が結果において失敗に帰するときは、支配者は、抵抗した者を叛逆罪に問うことであろう。抵抗が成功した場合においてのみ、それは、法上の権利の行使たる処遇を受けうるのである。このことは、一見、実力のみがすべてを決するように見える。だが、ここに重大な差異があることを見逃してはならない。実力説をとる者には、支配者の行為が合法であり、抵抗権を行使した者が不法を犯したことになる。抵抗権を肯定する者にとっては、たとえ、それが失敗しても、その行為は正当であり、支配者が抵抗者を処罰したことは不法であり、これによって、より一層抵抗の必要を加えるのである。

抵抗権は、自然法上の権利であり義務であるとともに、それは倫理上の義務たるの性格を備えている。抵抗権の行使は、犠牲を伴うかも知れない。しかし、アドルフ・メルクル(法学者の――引用者)が、正当にも指摘する通り、国家のために戦うことのみが英雄ではなく、国家に対して戦うことのうちに、真の英雄が見出されるかも知れないのである。」(終わり)



最後は、何か、『憲法原論』という名のテキストにしては、すごい話になっていますが、人民が、抵抗権を行使する正当性が、これによって、一層鮮明になっているといえるでしょう。


「集団的自衛権行使容認」の解釈改憲・閣議決定=安倍・好戦ファシスト政権の改憲クーデターをゆるさない、戦争する国になることをみとめない、平和的生存権を守り抜く、民衆の活動を広げてゆきましょう。(了)



―――――――――――――――――――――――――――――――――

参考文献:「問題〔13〕 抵抗権  樋口陽一」(有斐閣ブックス『新版 憲法演習1  総論・人権Ⅰ(改訂版)』清宮四郎・佐藤功、他、編 1987年)。

上記、問題〔13〕の問題とは、「「圧制に対する抵抗は、他の諸人権の結果である。」(フランス1793年人権宣言33条)日本国憲法下で、このような考え方は認められるか」

2014年7月6日日曜日

6・22「いいだもも没後3周年」シンポジウムでの渋谷要のスピーチ



6月22日「いいだもも没後三周年」シンポジウムでの渋谷要の発言


 ―――――――――――――――――――――――

6・22シンポジウム

「世界の危機と主体の再生を考える――いいだもも没後3周年によせて」


日時 2014622日(日)1330分~17時(会場13時)

場所 日本教育会館9階 喜山倶楽部「光琳」

   東京都千代田区一ツ橋282 

プログラム

第Ⅰ部 いいだももとその時代

内藤 三津子(元Nアトリエ) :「世代」の時代とその後

高橋 正久(元日通労研)   :水戸での出会いから

松田 健二(社会評論社)   :『季刊クライシス』刊行のころ

渋谷 要(社会思想史研究)  :いいだ著『赤と緑』をめぐって

猪野 修治(湘南科学史懇談会):藤沢での出会いと研究会


第二部 講演「歴史の岐路に立って――世界の危機と主体の再生」


伊藤誠(東大名誉教授)

「現代資本主義の多重危機を考える――いいだももの志をどう受け継ぐか」

本山美彦(京大名誉教授)

「本来性と主体性――いいだ先生から投げかけられた課題」


参加費 1000


協賛 お茶の水書房:橋本盛作、社会評論社:松田健二、批評社:佐藤英之、藤原書店:藤原良雄、緑風出版:高須次郎、論創社:森下紀夫、元白順社:江村信治(五十音順)


主催 変革のアソシエ


終了後、同会館で懇親会(会費4000円)


――――――――



第Ⅰ部スピーチ

 1980年代のいいだももとして、渋谷が話したスピーチをアップします。


―――――――――――――――――


「いいだもも著『赤と緑』をめぐって」渋谷要


自己紹介から始めさせていただきます。58歳です。季刊クライシスの1984年から始まった第三期編集委員会から90年終刊までの、編集委員でした。

いいださんとは、このクライシスで協働するだけの関係だったのですが、今日お話しするのは1980年代にいいださんが主張されていた、「赤と緑」というテーマについての話です。

なぜ、わたしが、話すことになっているのかということですが、わたしはこの4月に『世界資本主義と共同体――原子力事故と緑の地域主義』という本を社会評論社から上梓しました。その中の一章で、この「赤と緑」というテーマでかいた。そういうことで、私にご依頼がきたのではないかと思っています。


緑風出版から発行された、いいださんの『赤と緑』は、チェルノブイリ事故の16日前、86年4・10が発行日です。この本はパラダイムとして、そうした原発の過酷な事故をはっきりと見越した上で書かれていると思います。


いいださんの問題意識を端的に言うとこういう事です。

『赤と緑』の200頁あたりに書いてあることですが、大量生産・大量消費・大量廃棄の大衆消費社会は、廃物廃熱というエントロピーを、急速に増大させてゆきます。このエントロピーを軽減させてゆく以外、地球は環境負荷でパンクします。この資本主義に対する制約は、そのオルタナティブとしての社会主義・共産主義の在り方をもあらかじめ制約している。しかし、ソ連や中国の共産党指導部はそうしたことは考えず、生産力主義的な暴走を展開している、そうしたスターリニスト官僚の暴走に対して、エコロジカルな社会主義を創造していかなければならない。これが、「赤と緑」の中心問題であったと、私は、考えています。


そこからいいださんは、どのように、環境破壊と向き合うのかという事を論じます。1970年代初頭、マサチューセッツ工科大学の研究者たちが、「ローマクラブ」というところの依頼によって、地球の環境汚染をどうしたら削減してゆけるかというケーススタディをやりました。それが『成長の限界』という一冊の本にまとめられました。その内容は、人口・資本が爆発的に増大することで、汚染も爆発的に増大します、これを減少させるために、人口と資本をいかにコントロールするかということでした。

僕もその内容には、大きな影響を受けたものです。

しかし、いいださんは、その限界を「<資本制文明モデル>を動かすべからざる前提としている」と批判しました。同時に「原子力帝国」はクリーンエネルギーではなく、環境破壊を悪化させるとのべます。


このふたつをつなげて考えることが必要です。


『成長の限界』の116頁には、次のように書いてあります。

「核エネルギーの生態学的影響はまだ明らかにはなっていない」。

つまり、これらのケーススタディには、核エネルギーによる環境汚染ということは、入力されていないわけですね。このように核エネルギーの影響を無視した問題は、それから同じ研究チームが20年後に行なった、つまり、チェルノブイリ事故以降のケーススタディ、『限界を超えて』という本にまとめられたものでも、おなじであって。そこでも核エネルギーによる環境汚染という概念はありません。

いいださんの指摘した「資本制文明モデルの枠内のもの」という指摘は正しかったといえます。

最後になりますが、核文明をともなった近代生産力主義は、二つの原発事故を現在進行形として展開しながら暴走しています。チェルノブイリは、石棺がボロボロになっており新たに石棺をつくらなければならない。福島の事故原発は現在も大量の放射性物質を放出しつづけています。

このような近代生産力主義の社会からのパラダイムチェンジが必要です。そのパラダイムチェンジの中心に、いいださんが、提起した『赤と緑』の合流ということを、位置させていかなければいけない、そう私は考えています。これでぼくの話をおわります。ありがとうございました。

2014年5月29日木曜日

没後20年 廣松渉読書案内 



没後20年

廣松渉読書案内


今年は 廣松渉(1933~1994年、東京大学名誉教授。新左翼ブント(共産主義者同盟)同伴知識人)の没後20年にあたります。命日は5月22日でした。



 廣松の何をどうよむか。それを解説するのは、たいへんなことなので、ぼくが考える、というか、ぼくにとって読みやすいだろうなという、その文献の読書順番を書いておきたいと思います。廣松は用語が超難解です。しかし例えばそれは、数学の解き方と同じことで、廣松が用いている一定の用語の意味と使い方を暗記してしまえば、超わかりやすくなります。

 以下の図書は、『事的世界観への前哨』を除いて、ほとんどが、岩波から出ている『廣松渉著作集』に収録されています。


●入門三冊

『唯物史観の原像』(三一新書)、『哲学入門一歩前』(講談社現代新書)、『新哲学入門』(岩波新書)。

(ここに、『もの・こと・ことば』(勁草書房)、『哲学体系への新視軸』(情況出版)などがはいりますが、細かくすることが目的ではないので、ここまでとします。)


●さらに理解を深めるために

『マルクス主義の成立過程』(至誠堂選書)、『唯物史観と国家論』、『唯物史観と生態史観』(講談社学術文庫)。『現代革命論への模索』(新泉社)、『今こそマルクスを読み返す』(講談社現代新書)。『マルクスと歴史の現実』(平凡社)。

(ここに、『エンゲルス論』『青年マルクス論』『マルクス主義の理路』『マルクス主義の地平』『資本論の哲学』などが、入りますが、それは、興味の範囲で……)


●廣松のパラダイムを読み解く

『相対性理論の哲学』(勁草書房)、『弁証法の論理』(青土社)、『物象化論の構図』(岩波書店)、『<近代の超克>論』(講談社学術文庫)、『ヘーゲルそしてマルクス』(青土社)。


●中心命題

『世界の共同主観的存在構造』(講談社学術文庫)、『事的世界観への前哨』(講談社学術文庫)、主著『存在と意味』(岩波書店)。

 では、読みたいと、思っている方々のご健闘を祈ります。